この町の町長であるメレシーナをバロックに預け、暗い夜道を急いだ。
バロックの言葉が思っている通りであるのならばどうやら封印が切られたようだ。切ったのは話から推測するに聖都からの神父。
町の中心にある天使の祠は騒がしく、明かりが沢山灯されていることも特に迷うことなく辿りつく。町の人たちで作られた人垣を覗くと、少し体格のいい男たちが住民を遠ざけるように立っている。
「何があったのよ?」
「大事ではないようだが」
周りにいた住民たちが彼らにそう口々に尋ねる。しかし、尋ねられた男たちも事態を把握し切れていない様子だ。
押し問答が続く中、神殿の中から一人青年が飛び出してきた。
「ジョルジュさん! いったい何があったのですか?」
明かりの中ですぐに誰かわかったのだろう。住民が曖昧な返事しか返さない男たちよりも、事態をわかっていそうな町長の孫に声をかける。ジョルジュはそれに大変な事態ではないのでと静まるように声をかけている。
その中で、ふいに視線がかち合った。
「あ」
アリシアを見つけたジョルジュが人の波を掻き分けてアリシアに近付いて腕を取った。
「法師様。少しいいですか?」
「ええ」
アリシアは特に急いた様子もなく静かに頷いた。
住民たちはそれに怪訝そうな顔をしたが、特に何をいうでもなく、ジョルジュの言葉で一応の納得をした者たちから帰っていく。
神殿に入りきるまで歩調を変えなかったジョルジュであるが、神殿に入った途端にアリシアの腕を取ったまま走り出した。
「何があったのですか?」
「エンドの話しだと封印が切られたらしいのです」
焦ったように話すジョルジュにやっぱりかと思う。バロックの感じたものはやはり封印が切れたものだったのだ。
ジョルジュに引かれるまま走り、ついたところは地下へ続く階段だ。
「エンドがアリシアさんを呼んでくるように言いまして」
「私は封印などできませんよ?」
「そうではなくてですね。えっと、とにかく入ってください。見ればわかるらしいので」
ジョルジュには説明が出来ない事態が起きているようだ。
嫌な予感を感じつつもアリシアは地下へ続く階段を下りた。
下りる先が明るく、そこに明かりがある事はわかっていたが、下りきった瞬間に真っ黒な空間がぽかりと待ち構えていた。
「法師」
その空間の手前で振り返ったのは、あの森の入り口で出会った少年だ。
彼はランプを手に険しい顔でアリシアを見てからその空間に視線をやった。
「封印を切ったのは聖都の神父だ。他に三人いた」
「この闇は?」
「俺が来たときにはすでに溢れていた」
「エンド…」
アリシアの質問にすんなり答える少年に、ジョルジュが心配そうに声をかけた。
「話したほうがいい。協力してもらわないことには……俺だけではどうにもなりそうもない」
その言葉で彼がどういう人物なのかアリシアにはわかったようだ。
「あなたがアルテリオさん?」
「ああ。創始者のアルテリオは"天使の塵"を封じた人の名だ」
「リクレイス・アルテリオ」
アリシアの呟きにジョルジュは息を飲み、少年エンドは小さく頷いた。
「ジョルジュ、悪いが外に出ていてもらえるか?」
エンドがそうジョルジュに声をかけるが、青年はどうすべきかを悩んでいるようだった。
「ジョルジュさん。メレシーナさんの側にバロックを付けてきましたけど、まだ子供です。心配なのでメレシーナさんの側に行ってあげてください」
アリシアもそう告げると、ジョルジュはエンドに視線をやり、アリシアに一つ頷くと階段を上って行った。
「法師はアルテリオについてどのくらい知っている?」
エンドの問いにアリシアは少し考える風にした。
「そうですね。"十二の聖人"の弟子で、天使と契約した人物であるということくらいでしょうか」
現在ある『神の家』は元はただの異世界への対抗組織としての名称でしかなかった。その創設者たちを"十二の聖人"と呼んでいる。
アルテリオはその聖人たちの弟子にあたり、侵食され続ける世界を救うために天使と契約をしたとされている。実際どんな契約だったのか記されていないが、それにより世界の侵食率が減り、逃げ惑うだけだった人々に安寧を与え、定住できる場所を与えたとされる。
現存する文献、口伝により名を知られる数少ない弟子の一人である。
「伝承以外の事で知っていることはありません」
「"天使の塵"については?」
「それこそ、見たこともありません」
アリシアは少し首をかしげた。先ほどから質問ばかりで話が進まない。このまま放っておくわけにもいなかいだろうに、気にはならないのだろうか。
それとも、協力を仰がれてはいるが警戒をされているのだろうかと思い始めた頃、エンドがアリシアの瞳をじっと見つめる。
「俺は創始者の血を濃く継いだのだと言われていた。それがどういう意味なのか考えたことなどなかったんだが……法師、俺には貴方の中に、ここに封じられているものと同じものを感じる……貴方の連れていたあの子にもだ」
その言葉に驚きを覚えつつも、逆にアリシアのほうこそ一気に警戒を強めた。
「それは、どういう意味ですか?」
「それがわかれば俺の疑問は解消される。貴方やあの子の中に、なぜここと同じものを感じるのか、創始者の封じた"天使の塵"とは何か」
少年は真直ぐに見つめてくる。しかし、それは暴いてやるといったものとは違い、敵意や好奇心などは持ち合わせてない。それとは逆にもしかしたら知ってはいけないことを聞いているのかも知れないといった、未知への恐怖が窺える。
しかしここでアリシアとエンドの睨み合いは一時休戦を余儀なくされた。
空間に集まった闇が一段と濃さを増し、それはどんどん肥大していっているようだ。アリシアたちのいる場所にまでその闇があふれ出してきた。
「エンドさん。ここに封じられているのが何か、それは私にもわかりません。でも、きっと封じられているのは私のような人間ではないと思います」
「人間ではない?」
その言葉にエンドがアリシアをまじまじと見つめる。それに苦笑を返すと闇を指差して言った。
「急いだほうがいいですよ?」
それで、中に神父たちがいることに思い至り、エンドは闇を祓って欲しいとそう告げた。
「俺の封印は数年に一度が限界だ。法師なら闇を祓うのは得意だろう?」
封印を作るためにできれば無駄な力を使いたくないのだろう。
それでジョルジュに呼ばせにやったらしい。
そこまでは理解した。しかし、一つ解せない事がある。
「ここはいつもこうなのですか?」
何かを封じている場所というのは普通、とても清浄な所である。これほどの闇が集まるのは、侵入者避けにそういう風に作ってあるためか。
アリシアの疑問を正確に汲み取ったエンドは眉を寄せた。
「今までに数度、封印の強化にここへ入った事があるが、いつもは清浄な空気で満たされていた。地下であることを忘れるほどな」
つまり、今の状態が異常であるらしい。
「いつもは何もない空間だ。そこに神父が入ったからなのか、あるいは他に原因があるのか。とにかく闇を祓ってみないことにはなんとも…」
しかし、どこかに嫌な予感があるのだろう。真剣な表情で溢れる闇を見つめる。
「わかりました。とにかく一度祓います」
アリシアが空間の前に立つのと入れ替わりにエンドが階段側に行く。
いつものようにペンダントを取り出し聖言を紡ぎ、闇を祓った。
一気に闇が祓われ清浄な空気が満たされた。そこでようやくこの空間の中を見通す事ができた。といっても、ランプの明かりが届く範囲であるが、エンドの話しの通り、見える範囲でもこれといって装飾のようなものはない。その代わり入り口近くに人が倒れていた。
「間違いなく、聖都の神父ね」
三人は正規のマントを着用し、一人は法衣を着ている。手には聖書。近くに香炉が置いてある。その香炉を持ち上げアリシアは少し首を傾げる。
「何をしようとしたのかしら」
「おそらく、天使解放組織の人間だろう。俺が生まれる前にも一度きたことがあるらしい」
その言葉にアリシアは唇を噛んだ。
「『神の家』の代行者か。まずいな」
「まったくだ」
意外な肯定にアリシアが振り返ると、エンドは憂いのため息を落とした。
「ここには今ある『神の家』は必要ない。メレシーナさんもそれをわかってくれている」
聖都からだろうが、なんだろうが、『神の家』を招くことはしたくないのだろう。特に、こういう独りよがりな信奉者は。
「まあ、とにかく彼らを…!!」
「闇が…」
祓ったばかりの空間に、祓われたと同じ勢いで闇が戻ってきた。
そう、戻ってきたのだ。
「エンドさんはここにて。私が入る」
「大丈夫か?」
ランプを持って、香炉を手にする。
「もし、万が一、私が倒れたらこのまま封印してください。いいですか?」
「わかった」
実力がいかほどの物なのかも知らずにこの場を任せるのに抵抗はあっただろうに、それでもエンドはアリシアにしっかり頷いてみせた。
「あなたは本当はどこまで知ってるのかしら?」
「俺はアルテリオだからな」
そんな戯言を言い合い、渦巻く闇を見据え、ランプを高々と掲げて香炉を左右に振る。香炉から漂う紫色の煙はふわふわと漂い、狭い空間を清清しい香りで満たす。
「冒しがたき光。我に汝の守護を与えん」
言葉と共に紫煙がふわりとアリシアを包んだ。
視線だけでエンドに告げるとしっかりと頷いて送り出してくれた。
一歩足を踏み入れた瞬間に視界がゼロになる。
周りに漂う煙がランプの光を得てわずかに見えるが、それだけだ。
すぐそこに転がっている男たちを踏みつけたのか、柔らかい感触がしてから足をどける。本当にまったくのゼロ視界。真直ぐそのまま進んだが、特になんの変化もない。
そもそもどのくらいの大きさの祠であるのかもわからないのだ。
「仕方ないか」
アリシアは一つ息を落とした。
どうせ神父たちは昏倒しているのだ、大丈夫だろう。
深く息を吐き出し、それからゆっくり吸い上げ、胸に手を当てる。
「"去れ"」
声と同時に闇が引ける。
一気に良くなった視界にランプをかざし、原因になっているものを探したが、次の瞬間に思わず声が洩れる。
「嘘でしょう」
かなり広い地下室のその中心に、ありえないものを目にしてアリシアは呟きと共に額に手をやった。
小さな影が横たわっていた。あれが"天使の塵"かとも思ったが、全く違う。
違うどころか、ここ最近は最も身近な存在で、元は天使とは逆の存在だったものだ。
「バロック…」
まさに、そこに転がっているのは見慣れた美少年。見事な黒髪を広げ、瞼を伏せて眠っているようだった。
近付いて確認すると間違いない。触れてみれば紛れもない実体だ。
「どうして、こんなところに…?」
穏やかな顔で目を閉じているが、ふと呼吸がないことに気が付く。
「バロック?」
声をかけるが反応はない。小さな胸に耳を当てるが心音もない。
「バロック? バロック!」
揺すってみるが全くの無反応だ。
そうこうしているといつの間にやらどんどん闇が集まってくる。ふと見渡すと、すでに先ほどまでは見えていた壁が真っ暗闇になっている。
「まさか…あなたが原因ですか?」
しかし無意識なのに闇が集まるものなのか?
そこまで考えた時、ある可能性に辿りつきアリシアは低く声を紡ぎ出した。
「まったく。このままあなたも封じますよ?」