夕食にはまだ早い時間ではあったが、蝋燭を灯す前に食べてしまって、後片付けまでしてしまえば暖炉の明かりの前で過ごせる。
暖炉を前に、ジョルジュ、メレシーナ、バロック、アリシアと並んでいる。椅子は使わずに絨毯の上に直接座っての談話だ。
太陽が姿を消すと、一気に気温が冷え込んだ。この町の人たちの服装にはそんなわけがあったようだ。人間は寒すぎても死ぬ。"人生"を勉強中のバロックにアリシアは体が震えるのは体温を上げるための自己防衛だと教えた。
アリシアが聖職者であることもあるのか、『神の家』についての話しやら、聖都のことを中心に話が弾んだ。
三人がこの世界の話をしている間、バロックはその話に耳を傾けているだけだった。小さな子が加わるには少し難しい話でもあるため不信がられることもないが、元々悪魔であるバロックにしてみれば、人間の住む世界の話など興味はないのかもしれない。
アリシアたちの話によると「聖都」とは五年ほど前に呼ばれるようになった俗称であるらしい。本来の名はヴァーテという町だ。
そこに聖帝と呼ばれる人間の代表が納まっているが、その聖帝こそが六年前にバラバラだった町や人を一つにまとめた張本人である。
「アリシアさんはなぜ法師を?」
そんな話を聞くともなしに聞いてたバロックだったが、ジョルジュの質問にわずかに顔を上げた。
アリシアは普通の法師以上の力を持っている。話をした中では『神の家』をどこか馬鹿にした風でもあるアリシアが、それでも法師をする理由はなんなのか。
ジョルジュの質問にアリシアは少し首を傾げて答えた。
「そうですね。私の場合は両親がすでにその道にいたので、必然的にといったところでしょうか。私自身にも資質があったようですから、理由など考えたこともありません」
質問に答えるアリシアの顔をじっと見つめてみるが、嘘なのか本当なのか、バロックにも全く読めない。
「ご両親も聖職者だったのですか」
「生粋の聖職者なのね」
呟くように洩れた老婆の声にはどこか真剣な響きがあった。
「聖職者にはどうしたらなれるのですか?」
ジョルジュの質問にアリシアは少し困った様子で老婆に視線をやった。
「一応試験があります。一番下の法師にでしたらその試験に合格さえすれば誰でもなれますよ。その上にいくには適性を調べられますけど」
「そうなんですか」
アリシアの話に驚いたように声を上げる。
事実、法師というのは力があってもなくてもいいらしい。ようは『神の家』の使い走りができるかどうかなのだろう。上の神父にしてもその力という点では怪しい人間もいる。
「ただ、適性がなければ上にいくことはできませんし、『神の家』に属するという事は常に悪魔の誘惑があると思ってください」
誰でも属する事ができるが、それでもなる人間のほうが少ない聖職者。そこにはそれなりの理由がある。
アリシアの少し真剣な声音にジョルジュが頷くと、聞き覚えのある高い鐘の音が聞こえた。
「訪問者のようですね」
「出ますね」
ジョルジュが立ち上がって玄関へ向かった。
それを見送り足音が聞こえなくなるとアリシアが老婆に尋ねた。
「メレシーナさんは元聖職者ですか」
柔らかく断言する声に、老婆の息が一瞬だけ止まる。
「ええ。神官でした……よく、おわかりになりましたね」
「ジョルジュさんが、メレシーナさんは聖都に行った事があると言っていましたし、ここもあまり手を加えていない様子でしたから」
アリシアの指摘に老婆は「ああ」と頷いた。
「ここには『神の家』は必要ないと思うのですが、それでもここが私の家だと思うのよ。旅をしているあなたにはわからないかもしれないけれど」
どこか遠くを見る瞳で暖炉の炎を見つめる。過去何があったのかは知らないが、彼女がここにいる理由はアリシアが旅をする理由とは正反対なのだろう。
「『神の家』は固執するためのものではありません。彼らの説く"解放"は魂のことばかりではないのですよ」
「ええ、わかっています。手放す時期がきていることも」
老婆がどこか痛そうに目を閉じた。
その様子を見てバロックには一つ、今の会話を成立させるものを思い出す。
「ジョルジュか」
幼いながらも明確な声に、はっと老婆が顔を上げてバロックを見つめる。
「バロック」
咎めるような響きを持った声がして、ゆっくり頭を撫でられる。
見上げるとアリシアが苦笑していた。
出したくないのなら、出て行かないように誘惑すればいい。
それがダメなら、雁字搦めに縛りつけてしまえばいい。
それでも出て行くというのなら、手足を切り落としてしまえばいい。
実に簡単なことだ。
バロックのそんな心のうちを見透かしたのか、それ以上は何も言葉にするなと視線だけで訴えてくる。
「人間は愚かだ」
「そうですね」
肯定が返ってくるが違うのだなと思い直す。
人間は「無知」なのだと言っていた。
自分のことすら知らないのに、他人を知ることなどできない。
知ったと思ってもそれはその人の一部でしかない。
自分の全てを知ることがないように、他人の全てを知ることなど不可能だ。
しばらく沈黙が落とされたが、誰かが走ってくる足音にアリシアと老婆が扉を振り返る。それと同時に扉が開かれた。
「おばあさま! 大変です。天使様の祠に人が入ったようです」
「何ですって!」
ジョルジュの言葉に老婆も立ち上がると、ジョルジュが駆け寄ってきた。
「エンドたちが止めに入ったようですから大丈夫だとは思います」
「天使様の祠?」
アリシアの声に二人がはっとした様子で振り返った。
「おばあさま」
「大丈夫よ。…このアルテリオの真ん中にある建物はご覧になったでしょう?」
本来は『神の家』がある場所だ。そこに神殿のような建物があった。
アリシアが「はい」と返事をすると、老婆はもう一度座りなおした。
「アリシアさんは聞いた事があるかしら。世界崩壊後、界の侵食が起こり始めたときから、侵食されずに生き残っている町があります。ここアルテリオもその一つです。その生き残りの町にはある共通点があります」
「"天使の塵"ですか」
「………はい」
アリシアの答えに老婆が視線を落として頷いた。重大なことを話している風の老婆を前にアリシアは驚きもせず言葉を続ける。
「私は見た事はありませんが、普通の人が持ち出せるものではないと聞きます」
「ええ。おっしゃるとおりです。ですが人智を超えたものであることは間違いありません。アレに触れてなにも起きない保障などどこにもないのです」
「あの、それが……どうやら普通の人ではないようなのです」
ジョルジュの言葉に老婆がはっきりと凍りついた。
「聖都からきた神父ではないかとエンドが言っていました」
「私のほかにも聖職者がいたのですか?」
「いいえ。今いる聖職者はアリシアさん一人です。エンドが言うには天使様の祠を狙ってきたんじゃないかって……おばあさま!」
ジョルジュの話の途中で老婆が気を失った。
慌てるジョルジュを制してアリシアが老婆の様子を見て「大丈夫だ」と言った。
「ジョルジュさんはその祠へ行ってください。メレシーナさんは私が見ていますから」
「お願いできますか」
そう言い置いてジョルジュは再び扉へと消えた。
ジョルジュの気配が完全になくなってから、そっと老婆を覗き込むと顔が真っ白になっていた。精気も少し弱い。
「封印はそれか?」
アリシアが老婆にジョルジュのひざ掛けをかけ、一つため息を落とした。
「そうみたいですね」
「塵?」
天使は天使のことだろうが、塵とはなんだと問う。
「私も見た事はありません。塵といわれているだけで、それが何なのかは想像の域を出ません。一般的には天使の羽だとか、天使が残した奇跡だといわれていますが、『神の家』では天使の霊核ではないかと言われています。実物を見た人間がいるわけではないですから、憶測でしかありませんが」
アリシアにもわからないものであるらしい。
「まあ、でも。聖都の神父がいる以上ここにも長くいるわけにはいきませんね」
思案するように顎に手をやったアリシアは"天使の塵"はどうでもいいらしい。
「アリシアは聖都の神父が嫌いなのか?」
前にもそんなことがあった。かなり嫌悪していたと思う。
アリシアはその質問ににっこりと微笑んだだけだった。
「ところでバロック。天使に会ったことはありますか?」
「ある」
「どんな感じです?」
そう聞いてくるという事は、アリシアは会ったことがないのだろう。
「同じだ」
天使と悪魔。物質的には同じもので出来ている。そのくらいアリシアなら知っているだろう。
「区別はあるのですか?」
どちらであるかは見ればわかるが、それを言ってもアリシアにはわからない。アリシアは悪魔を認識できないと言っていたし、感覚を伝えるのも無理だ。
「アリシアは光を集めるだろう。私は闇を集める」
簡単に言うならば、その差だ。
この答えにアリシアはどこか満足そうに微笑んだ。
「アリシアは…」
突然、ふわりと古い空気が外へ向けて移動した。
「切れた」
「何がですか?」
呟きにアリシアが尋ねてきたが、一瞬後には何のことであるのか理解した様子だ。
「バロック。ここにいてくださいね」
「行くのか?」
「はい」
「わかった」
アリシアはどうやら聖都の神父が嫌いらしいし、バロックを会わせたくない様子だった。それはそうだろう。元とはいえ悪魔なのだから。
返事を受けたアリシアが去ると途端に暗さが増したような気がした。
「『神の家』か」
バロックが封印される前にもあった組織の名であるが、どうやらあの頃とは違うようだとなんとなく気が付いている。
「六使徒…」
アリシアをそう呼んだ悪魔がいた。
しかし、バロックはその名を聞いた事がない。
――六使徒?
「?」
頭に直接響く声に倒れた老婆を見てみるが変化はない。
――いらっしゃい。
柔らかく、包み込むような声が誘う。
なんだと思った瞬間、世界が暗転し足元がなくなった感覚があった。