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作意のイトの端
02
 アーノルドの侍従が言うには今日の主賓はシルフィナであるはずだ。
 いや、もちろん主賓であり、話題の人物であることは間違いないのだが、その隣にいるケムフェゼロ次期当主である息子ロバートに皆の視線が集中した。
「求婚しているのですよね?」
 思わずそう隣に問いかけたスノーリルの言葉は誰もが思ったであろう。
 無表情なシルフィナと、笑顔ではあるが引きつって見えるケムフェゼロ当主、そして青くなっている息子のロバート。
 そう、青くなっているのだ。
 体調が悪いのだろうか。それならばわざわざ出てくる必要はないのではないか。など、どこか間の抜けたことを考えていたスノーリルに、ミアが少し首を傾げてみせた。
「おそらく思っていた以上に困難だと気がついたのでしょうね」
「困難?」
 シルフィナとの結婚がか?
 スノーリルの思考を他所に事は進んでいく。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。ぜひ我が自慢の庭園を楽しんでいただきたい」
 当主の挨拶があり皆の集中もそちらへと動くが、やはりその隣の様子に気を引かれている。スノーリルはそんな周りの反応を見ていたが、隣から穏やかな呟きが聞こえてくる。
「こういう場合、それなりにシルフィナ姫に声をかけるものですけれど…それも無いようですね」
 ミアの呟きの間、当主の挨拶は無難なもので、隣にいるシルフィナに関しては特に触れなかった。それはそれでものすごく不自然である。
「求婚を断られたのですか?」
 確かあまり乗り気ではないとアーノルドが先ほど言っていた。ありえる予想を口にすると、ミアがにっこりと微笑んで口元に手を当てた。
「それはいつものことですわ」
 いつも断っているという事は、これが初めてではないということだ。
「でも、いつもと違って何か動きがあったのでしょうね」
 断れるのはいつものことなのなら、あれほど青くなることはないだろうとはさすがにスノーリルも予想できる。しかし、当主ですら引きつるような事柄はそうないと思うのだが、隣にいるご夫人は何か知っていそうだ。
「そういえば、スノーリル姫は求婚されたことはあるのですか?」
 ふいに話題がこちらに向いた。
「え?」
 同じ内容ではあるが、自分に向くとどうにも居心地が悪いものだと苦笑しながらも答える。
「ええ、これでも王女ですから」
 例え白異だとしても、王女という事実は変わらない。王家と姻戚関係を築けるだけでも価値はあるのだから、それなりに求婚というものはあった。
「どなたか心惹かれた方はいらっしゃった?」
「えーっと…」
 そこまで聞かれるとは思っていなかったスノーリルが言葉に詰まると、ミアの瞳は輝いた。
「あら、いらっしゃるのね?」
「そう、ですね」
 スノーリルへの求婚は国内貴族で有力な人物たちばかりだった。姉も国内貴族に嫁いだのだから、もし結婚するのであればスノーリルもいずれ父が決めた相手へと嫁ぐのだろうし、あるいは神殿に送られるかのどちらかだろうと漠然と思っていた。そもそも恋愛自体が遠い夢物語だったのだ。
 それを覆してくれた人物が確かにいた。探しても見つからないクラウドの事を諦めかけていた頃でもある。
 しかし、それはやはりスノーリルに自分が“白異”なのだと再認識させるものでもあった。
「あまり良い思い出ではありませんが」
「何事も経験ですわ。辛い思いをしなければ幸せが何かもわかりません」
 スノーリルの微笑んではいるが固いその表情に、ミアはすぐにその話題から退いた。
「ミアさんも、辛い思いをなさったのですか?」
 少し控えめに尋ねると、ミアは慈愛の眼差しで微笑む。
「不幸も幸福も等しく訪れるものですよ。決してどちらかが多いことはありません」
 そう言えるだけの経験と思いを味わってきたのだと、彼女の全てがそう語っていた。思えば港での言葉も真剣で重く、そして全てを包み込む優しさがあった。
「ですから、ロバート様にも同じことが言えますわ。これまでの行いがようやく自らに降りかかってきたと言ったところでしょう」
「これまでの行い。ですか」
 にーっこりとどこかいたずらっこの笑みで告げるミアに、スノーリルは少しだけ何の根拠もなくロバートに同情した。
 
 
 主であるスノーリルとミアがそんな話をしている席には誰も近寄らない。視線はあるものの、だからといって近づいてくる者はいないのだ。
 そんな様子を間近で見ているカタリナは、アルジャーノン大臣はいい虫除けを用意したものだと、冗談ではなく思っていた。それに、ミアの連れてきた隣にひっそりと立っている侍従は間違いなく剣士だ。視線をやると微笑が返ってくる。
「このまま何事もないといいですね」
「あるとお思いなのですか?」
「潰せるところで潰しているようですが、全てではないでしょうから」
 視線を庭園に向けて言う黒髪の侍従に、カタリナも視線を前へ戻した。彼が何を警戒しているのかはわからないが、不穏な空気は確かにある。大臣の懸念はただの予感ではない裏づけが必ずあるはずだ。
「執事殿は剣はお持ちなのですか?」
「剣というほどのものではありませんが」
 小剣ほどのものならば常に帯刀している。どこにと聞かれることもあるが、隣の男はそこは尋ねなかった。
「事が起こるとしたらここを離れた時だと思います」
 主催する者が「庭園を楽しめ」と言った以上、鑑賞する時間が設けられるはずだ。その場合、席を立たないのは失礼にあたるので、当然席を立つことになる。
「大臣からの要請ですので、スノーリル様もご一緒します。それである程度は牽制になると思います」
「ありがたいと同時に申し訳ありません」
 少しの苦笑と真剣な様子が伝わり、メディアーグという人物の器量が窺える。
 元は皇太子という人間であり、現在は大臣補佐官である。狙われる要素は多々あり、信頼の置ける人間を選別するのは大変なことだろう。しかし、マーサの情報やスノーリルの話からすると、彼の人物は相当な目利きだ。一度だけ相対した時もクラウド王子よりも皇太子らしい人物であった。何故彼が皇太子という地位を退位する必要があったのだろうと思わせるほど、王気の備わった人物だった。
「お互い、得がたい主を持ったようですね」
 カタリナの突然の言葉に侍従は驚いた表情を浮かべたが、嬉しそうに微笑んで頷いた。
「貴方にそこまで評していただけるとは、光栄です」
 その言い方にカタリナは少しの違和感を覚える。しかし、その違和感はすぐに解消される。
「“ラストール”の意味を調べている人間は我らだけではありません」
 メディアーグがかなり優秀な諜報機関を持っている事は知っていた。皇太子にも聞かれたのだし、あのアルジャーノンも間違いなく知っている。しかし、それは国の中枢に近い人間であり、脅威になる事でもない。
 しかし、この侍従の話ではそうも言っていられない状況になりつつあるということのようだ。世間話のように警告を伝えてくれただろう彼に一つ頷いた。
「よく、分かりました」
 こちらの雰囲気に気がついたのか、スノーリルが少し不思議そうにこちらに視線を寄越した。
 それに微笑むと、同じように返してミアとの雑談に戻った。今回の事ではスノーリルにもそれなりに忠告があったのであるが、警戒もなく実に楽しそうにしている。それは絶大な信頼によるものであるということも知っている。それに答えるためにここにいる事もわかっている。
「しかし、あまり私には関係のない話です」
 例えその事実が知れ渡ろうとも、特に気にするようなことではない。
 そもそも、トラホスほどの情報網のない国の情報など取るに足りない。所詮根拠がなく終わるものである。それほど、自身のことに関しては一定の情報しか集められないだろうことは分かっている。
「私がなぜラストールを名乗っているのか、考えれば分かりそうなものですしね」
「そうですね」
 名くらい変えてしまえばいいのだ。それをしなかった。いや、あえて未だに名乗っているのだ。
 普通の人間が知っていることはないし、知っているという事はそれなりに闇の部分に接している人物である。つまり、知っている人間には牽制になるし、深く探ってくる人間はそれだけで要注意人物だ。
「私の主は味方ですよ」
「そうであることを願います」
 そもそも彼の主は元皇太子なのだから、知らないはずがないのだ。
 しかし、すでに敵ではないと思っている。それはカタリナの長年の勘であり、彼の人と同じく人を見る目のある主が信頼しているからでもある。
 誰が何を言おうとも、目の前の守るべき人物からの信頼が失われない限り、絶対に側を離れたりしないのだと、そう決めたのだ。
「難儀なことです」
「だからこそ、やりがいがある」
 返された言葉に視線を送ると、最近は近くにいる彼の妹に良く似た笑顔が向けられる。しかし、そこにある剣士としての誇りと、主を助ける使命感に共感できるものがあった。
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