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王女の受難
06
「マーサはカタリナの出身は知っているの?」
 大臣が去って静かになった部屋でふとスノーリルも聞いてみた。
 スノーリルがカタリナの本当の姿を知ったのは、エストラーダにも話したとおり、出会ってから随分とたってのことだ。それまでは特に気にもしていなかったし、する必要もなかった。
 しかし、強制的に知ることになったカタリナはものすごい剣の使い手で、父がカタリナをスノーリルに付けたのは護衛としての側面を重視したのかとも思っていた。
 それでも、カタリナの出身については、実は最近まで知らなかった。いや、今も直接聞いたわけではないので、本当かどうかはわからない。
 スノーリルの質問に、マーサは少し考える風にして視線を窓の向こうへやった。
「女官長からの紹介では、出身は大陸とだけ…」
 そこで少し言いよどんでから困ったように苦笑した。
「カタリナに尋ねれば答えてくれますよ」
「マーサは聞いたことあるの?」
「ええ。スノーリル様がカタリナを泣き落としたあの時に」
 にっこりとそう言って茶器を下げる。同時にミシェルが部屋に入ってきたのでこの会話は終了だ。
「どうかなさいましたか?」
 入ってきたミシェルがきょとんとスノーリルの表情に小首を傾げる。複雑そうに眉をよせ、どこか苦い表情をしていたからだ。
「なんでもないわ。泣き落としって言われれば確かにそうだったかも」
 過去の自分を振り返って、少しだけ反省した。
「カタリナは嬉しかったと言っていましたよ」
 だからそんな顔をするなと言外に言われたような気がして、笑顔で頷きを返す。
 そんな二人のやりとりを見ていたミシェルがほわんと笑って「いいですね」と呟いた。
 
 お昼にはカタリナも戻ってきて一緒に昼食をとり、お茶会のドレスをどうするかを議論する。
「ここに置いておいた分はすでに着てしまっています」
 マーサの読みでは本来は十分足りていた計算だったのだが、途中スノーリルがミストローグの姫君に引っ張られてあちこちのお茶会に出席したため、大体のドレスは二周りしていると言うのだ。
「貴族のお茶会くらいに着ていくようなものに残っているドレスはもったいないものですし」
「別に同じのでもいいわよ。そんなに覚えていないんじゃないかしら?」
「そうでもないです。スノーリル様は目立つのですから、逐一確認している人物は必ずいます」
「そうですわ。それに、スノーリル様はよくても私がよくありません!」
「じゃあ、どうするの? 新調するのは無理よ?」
 ドレスなどはマーサが担当しているので、カタリナはそれほど口を出さないのが常だ。
 断固として拒否するマーサにスノーリルが眉を下げて困るのも常だが、今は一人強い味方がいた。
「では、少し手直ししますか? そのくらいでしたら十分間に合いますし、主にかけあえばおそらく喜んでお針子を紹介してくれますよ」
 にっこりと微笑んで提案したのはミシェルだ。
 その言葉にマーサは当然飛びつく。
「いいのですか? ではお頼みしようかしら」
「ええ。ミア様も喜びますわ。ここへ起こしになる理由ができますもの」
 そんな嬉々とした二人の様子にスノーリルがカタリナへ視線を投げて笑った。それに答える執事も仕方ないといった風に苦笑する。
 その後二人は、どのドレスをどの程度手直しするかを話しあうために部屋を出て行った。
「お茶にしますか?」
「ええ。外に出てもいい?」
 今日は朝からカタリナがいなかったため、庭に出ることを自主的に禁止していた。
「庭は大丈夫ですよ。あの一件があったので、その周りに警備が付いたようですし」
「そうなの?」
「ええ。それに、本城からここの庭が一望できるようですね」
 お茶の用意をしながらそんな説明をくれるが、それはここに移った時にでも話があったのか。スノーリルに説明がなかったのは自己規制が予防になると考えたからか。
 一応許可を得たので硝子製の戸を開ける。
「庭で飲みますか?」
「うん」
 カタリナの提案に振り返って強く頷く。それにカタリナが微笑んで頷き返してくれる。
 敷物になりそうな布をもって先に庭の端、丁度木陰になる場所に陣取る。ふとその場所があの小剣が吊るされていた木である事に気がつく。
 結局あれがなんなのかまだ分からずじまいだ。
 そんな事を思い出しながら、ぶら下がっていたあたりを見てふうっと溜息を落とす。落としてからその溜息に疲れているのだろうかと考える。疲れているというよりは、少しだけ落ち込んでいるような気分だ。
 その思考に、何に対してと首をかしげる。
「ああ」
 久しぶりに彼の名前を聞いたからだ。
 最後に会ったのは確か七日前ほどになろうか。会いたいと思って会える人物ではないことは分かっているし、彼がこの国で一番忙しい人物であることも噂から窺える。
 思い出さなければいつもの通り平常で居られるのだが、思い出してしまうとどうしていいのか分からない焦燥のようなものがやってくる。だからといってどうにもならない気持ちなのであるが。
 もう一つ溜息が落ちそうになって、ふいに視線を感じて振り返る。
 振り向くときは一息に。
「!」
 振り返った瞬間、必ず相手は驚きに動きを止める。何もできないスノーリルが、敵に作れる唯一の隙である。
「…驚いたな」
 スノーリルが振り返った先にいたのは黒っぽく見える髪の男性。
「驚いたのはこちらです」
 その姿を認めて小さな落胆があることにも気がつくが、それは悟られないようにする。
「お久しぶりです、アトラス王子」
 にっこり微笑むとアトラスも驚きを払拭する。
「すみません。勝手にお通ししてしまいました」
 アトラスの背からカタリナがお茶を持ってやってくる。それに大丈夫だと視線を送り、アトラスに向き合う。
「何か御用ですか。あ、ここでお茶でもと思っていたのですが」
 手に持ったままの敷物をちょっと掲げて見せると、アトラスがひょいとその敷物を手に取る。
「ここで結構ですよ」
 敷物の端を持ってばっと一気に広げてしまう。
 そういえば、アトラスに会うのもかなり久しぶりである。
 カタリナがお茶を用意して、敷物の上に二人で座ってしばらくお茶を楽しむ。
「それで、何か御用でしたか?」
 アトラスがスノーリルに会いに来る理由など一つしかない気がするが、一応尋ねてみると、案の定アトラスは少し苦い表情でスノーリルを見つめる。
「伯父のお茶会ですが、巻き込んで申し訳ない」
「仕方ないです。貴族間の事情もおありでしょうから」
 スノーリル自身特にこれといって考えはしなかったが、回りの人間たちの会話を聞くに、どうしようもないことなのだろうと思ったくらいなものだった。
「今回の目的はシルフィナだと思うので大丈夫だとは思いますが、一応気をつけてください」
「はい」
 答えはしたものの、どこか腑に落ちない。それはわざわざスノーリルを尋ねてまで進言するほどの事なのだろうか。一応国賓であるスノーリルが一貴族に害されるようなことはないはずだ。それが例えアトラスの伯父の家であろうと。
「何か裏がおありなのですか?」
 スノーリルのぼんやりとした違和感をカタリナが質問へと代える。
 見上げれば、すっと視線を鋭くした執事がどこか冷たい雰囲気でアトラスを見つめていた。
「広まっているとは言いがたいんだが、俺が姫に言ったことを誰かが囁いていないとも限らないからな。それはそれで歓迎はするが、姫を面倒なことに巻き込むわけにはいかないし、それは望んでいない」
 アトラスがスノーリルに言ったこと。
 それにより彼から忠告されることと言えば、一つしかない。
「自身でまかれた種ではありませんか」
 カタリナの厳しい一言にアトラスが渋面を作る。
「聞いていたのは極限られた人物だ。噂にも上っていないようだし、他に気を取られている伯父が知っているとは思えない」
「ですが、気がかりがあるからこそ、いらっしゃったのでございましょう?」
 カタリナの剣士としての厳しい気配に、アトラスが少し気圧されたように言葉を飲む。
「カタリナ」
 スノーリルが声をかけると灰色の視線をスノーリルに移して息を吐き出す。
「気をつけているのはいつもですから問題ありません。まさかご自分の領内で何かするとは思えませんし、もし事を起こすなら伯父殿ではなく母君ではありませんか?」
 スノーリルの言葉にアトラスはさらに顔をしかめた。
「わかっておいでなのでしたらいいのです。もうご存知かもしれないが、俺たちの母親はかなり面倒な人が多くてな」
 何気なく言われた複数での発言にスノーリルは一つ頷くことで答えた。
 それだけを伝えるとアトラスはすぐにこの場を去った。長く留まる事が良い方向へ流れないことを知っているからだろう。
「大丈夫かしら」
 外での会談にスノーリルが遅ればせながらまずかったのではと思い至ったのだが、執事は微笑して大丈夫だと請け負った。
「なんだか面倒事が増えている気がして仕方ないわ」
 薫り高いディーディランのお茶を口に含み飲み下す。
 甘い香りはするが甘味は無い。
 それがなんともこの国を現しているようで密かに溜息を落とした。
「会いたいな」
 ポツリと落とされた言葉は薫り高いお茶の上に落とされ、執事の耳には聞こえなかった。
王女の受難 終わり
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