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王女の受難
05
 気の重いお茶会があと三日後と迫った日の朝。
 朝食が終わり、ミシェルにディーディラン国の流行についてなどをマーサも混ざって話していた時だった。珍しくアルジャーノン大臣本人が離宮へとやってきて面会を申し出た。
「いらっしゃっているの?」
「はい。どういたしますか?」
 次の間にいたアドルが訪問を知らせにきたのに、マーサとミシェルに視線をやると二人ともやはり意外そうな表情をしていた。
「お通しして」
 アドルにそう答えると、マーサが立ち上がってお茶の用意をし始める。ミシェルも座っていた椅子から立ち上がりテーブルの上を片付ける。
 その様子を眺めながら一応身なりを整える。大臣が部屋へ入ってくると同時にスノーリルも立ち上がる。
「突然の訪問で申し訳ない」
「いいえ。どうぞ」
 普通ならば必ず先に知らせが来る。それが無いということは、かなり急ぎの用であるということでもあるが、さて、この大臣の場合それが真実であるとは言いがたいかもしれない。
 スノーリルの前に座るとマーサがお茶を出す。ミシェルは部屋の外へ出たようだ。
「どうかなさいましたか?」
 素朴な疑問を尋ねると、大臣はお茶を口に運びながら「ええ」と頷いた。ゆっくりとお茶を堪能してからスノーリルに視線を合わせる。
「実は、花嫁候補が一人増えることになりました」
 その言葉にマーサが小さく溜息を落としたのが聞こえる。大臣にも聞こえたのだろう視線はスノーリルに固定したままにっこりと微笑んだ。
「知らせに来るくらいですから、ディーディランの貴族ではないんですね?」
「ええ。お察しの通り。サイアレグナ国の王女がこちらにくることになりました」
「サイアレグナ」
 ディーディラン国に隣接する中で一番小さな国の名だ。名産は鉄花。サイアレグナ国で育つものは純度が高く良質だと言われている。しかし、硬すぎて加工するのには特殊な技術が必要だという。今は確かディーディラン国の同盟国になっているはずだ。そこには間違いなく軍事に関した取引があっただろうと推測される。
 スノーリルの知っている情報はそのくらいで、花嫁候補としてやってくるには特に問題はないだろう。問題はどうして今、選ばれたのかだ。
 そんな事を考えるスノーリルが沈黙すると、それまで黙って控えていたマーサが大臣の視界に入るように移動した。
「まさか、あの“仄華姫”がいらっしゃるのですか?」
 その言葉にマーサを見ると眉を寄せ、厳しい顔で大臣を見つめている。
「仄華姫」
 その異称は知っている。ミストローグの“蜜輝姫”と並び称される美姫の異称だ。噂によれば“仄華姫”は“蜜輝姫”と正反対の美しさだと言われている。
「いいえ。かの姫はすでに結婚なさっています。候補としてくるのは妹君のジャスミン姫です。お年は確かクラウド王子と同じでしたかな」
「妹君、ですか」
 大臣の言葉にマーサはほっとした様子で表情を緩めたが、ふと首をかしげる。
「妹君のお話はお聞きしませんね。悪い噂も聞きませんが」
「まあ、異称の付くほどの姉がいるのですからな」
 二人の会話にそれでも姉妹なのだから美しい方なのだろうと想像はついた。
「その方は純粋に花嫁候補としていらっしゃるのですか?」
 エストラーダのこともあるのでそう尋ねると、大臣は少しだけじっとスノーリルを観察してから微笑んだ。その微笑に少しだけ嫌なものを感じる。
「彼女を呼んだのは王妃です」
「スノーリル様に対抗できる姫としてですか?」
「違うと思うわ」
 大臣の言葉にマーサが一番ありそうなことを口にする。しかし、直接王妃に会った事のあるスノーリルはその可能性は低いと思った。
「王妃は私をそもそも眼中に置いてないもの。どちらかといえばエストラーダ様の対抗者として選ばれたんだと思うわ」
「その見解のほうが正しいでしょうな。エストラーダ王女がディーディランに滞在していたのはかなりの時間になります。その間、王妃はエストラーダ王女を口説いていたようですが、まあ、結果はご存知の通りです」
 エストラーダ自身が、次期ディーディラン王妃となることに、野心はもちろん意欲のかけらもなかった。ただ、だからといって王妃が完全に諦めたのかは知るところにはないのだが。
「あの、こんなことをお尋ねするのは失礼かと思いますが」
 マーサが言い難そうに、それでも楽しそうな瞳で大臣に話しかける。それを大臣も面白そうに頷いて続きを促すと、マーサは少しだけ声を低めた。
「王妃が選んでいる花嫁候補はクラウド王子の好みだと思っていらっしゃるのでしょうか? それとも、自分の好みなのでしょうか?」
 それを聞いたスノーリルは呆れてマーサを見やった。確かに失礼だ。
「さて、どちらかと言えば王妃の好みでしょうかな」
 さらりとそう答える大臣もどうなのだと、スノーリルは溜息を落としてお茶に手を伸ばした。
「そうですか」
「それがどうかしたのかな?」
 よく分かったと頷くマーサに、興味深そうに大臣が尋ねる。スノーリルの存在はおそらく忘れ去られているに違いない。
「王妃の好みということでしたら、その妹君がどんな方なのか、なんとなく分かるというものですわ」
 にっこりと断言するマーサに、大臣は感心したように「なるほど」と呟いた。
「いやいや。中々優秀な侍女を抱えていらっしゃるな」
「あら、ありがとうございます」
 感心する大臣とそれに素直に礼を言うマーサを見て、そういえばこの二人が話をするのはこれが初めてなのだと気がついた。本来なら侍女と大臣が話をすることなどないだろうが、トラホスからきたマーサにディーディランの常識はない。というよりも、トラホスと同じように気後れすることなく話をしているのだから、ある意味すごいのかもしれない。
「貴女は貴族の出身でしたかな」
「はい」
 トラホスはディーディランと違い城にいる侍女でも民間の者が沢山いる。つい先日までいたリズは民間の出であるが、マーサは歴とした貴族だ。
「貴女はカタリナ殿をどう思っているかな」
 大臣は微笑むマーサをしばらく観察した後、少し真剣に尋ねた。
 その意図は分からないが、貴族であるマーサが、民間…それも国外の人間であるカタリナをどう思っているかなど今まで考えたことなどなかった。表面上は仲良く付き合っているように見えるし、不満があるのならとっくに行動しているはずではあるが。
 スノーリルも少しだけ注目してマーサを見つめると、当のマーサは少し困ったように微笑んだ。
「カタリナはとても頼りになる仕事仲間ですわ」
「信用していると?」
「はい。もちろんです」
 大臣の言葉にしっかりと頷きはしたが、どこか不快気な表情だ。
「何がおっしゃりたいのですか?」
「カタリナ殿との付き合いはどのくらいかな」
 質問には答えずさらに質問をしてくる大臣に、マーサがスノーリルを窺うのにただ静かに頷いた。
「カタリナとの付き合いはスノーリル様と同じです。ただ、私のほうがスノーリル様との付き合いが長いので、私のほうが先輩になりますが」
「彼女を疑った事は?」
 ここにきて、スノーリルは大臣が何を知りたいのかがわかった。
「アルジャーノン大臣。マーサは全部知っています。もしかしたら、私が知らないカタリナのことも知っているかもしれません」
 口を挟んだスノーリルに、大臣がちらりと視線を投げ、マーサに視線を戻す。
「貴女はそれでも彼女を信用していると?」
「カタリナ以上に信用できる人間はいないと思っています」
 マーサの断言に大臣はようやく表情を和らげた。
「実は、最近いらぬことを調べる人間が出ていましてな。遠いトラホスのことですから中々実態がつかめていないようなのだが、だからこそ尾ひれがつくというものでして」
 大臣のどこか独り言のような言葉にマーサと顔を見合わせる。
「私たちのことを調べている人間がいるのですか」
 大臣は呆れた溜息を吐き出して立ち上がった。
「我が国は節操というものを持ち合わせている人間が少なくていけない」
「お帰りですか?」
 立ち上がった大臣に合わせてスノーリルも立ち上がる。
「近くクラウド王子とお会いする機会が設けられるはずです」
「それはつまり、サイアレグナの姫と、ということですか?」
 クラウド王子とは公的な場所でしか会ってはならないと条件が付けられている。それはスノーリルだけなのか、あるいは来た姫全てなのかは知らないが。
 大臣は無言で頷くと「では」と見送りを断って部屋を去っていった。
「近くというとどのくらいでしょうか?」
「さあ、でもすぐだと思うわ」
 サイアレグナは隣国だ。さすがに渡航に一ヶ月かかるトラホスとは違う。エストラーダが帰った、あるいは帰ると決まった時点で呼んでいるのなら、そう遠くないはずだ。
「仄華姫の妹君か。アリスガード様も良く似た美形だったわよね」
 お茶を下げているマーサの手が止まる。それに気づいて顔を上げると、そこにはにっこりと笑った黒髪の侍女がいた。
「姫様も十分お可愛いですよ」
「ありがとう」
 マーサはスノーリルが気がついた時にはもう側にいた人物で、カタリナよりもずっと兄弟に近い存在だ。そんなマーサの言葉は姉が妹に贈る言葉のように、愛しさ中にどこかからかいが含まれている。
「マーサには本当、敵わないわ」
 はふ、と溜息を落とすとくすくすと控えめに笑われた。
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