|| TopBackNext
王女の受難
03
 嵐が嘘のように過ぎ去った翌朝、後宮にいるシルフィナに招待状が届けられた。
 特別な許可無く後宮に入れる男性は王族に属したものだけである。それは彼女、シルフィナもよく分かっていたが、その招待状を持ってきた人物の訪問に少なからず驚いた。
「まさか貴方が持ってくるとは思わなかったわ」
「言いたいことがあったしな」
 目の前で眉を寄せているのは腹違いの弟だ。
「返事はどうしたらいいの?」
「侍女にでも届け出させてくれ。これ以上関わりたくない」
「持ってきている時点でそれはどうかとも思うけど」
 弟の正直な感想に思わず笑んでしまう。
 招待状というのはお茶会の招待状だ。彼の母の実家、ケムフェゼロ家からの招待状だが、王子である彼が持ってくる必要はどこにもない。おそらく母親あたりにでも頼まれたのだろう。この後宮で立場の強い彼女からの使いだと言われれば、相当な理由が無い限り断ることはできない招待状となる。
「それで、貴方の母君は何か言ってた?」
「想像はついているんだろう?」
「そうね。これ以上いい縁談は望めないだとか、婚期を逃したら次はないとかそんなところかしらね?」
 シルフィナの言葉に弟、アトラスは面白くなさそうに茶器を手に取りお茶を煽った。
 どうやらかなりイラついているようだ。朝から母親に呼び出された用事がこんなことでは確かにイラつきもするだろうが、あまりほめられた態度ではないなと、少し苦笑する。
「それで、貴方の用件は?」
 嫌だと思った使いをわざわざしたのは用があったからだと先ほど聞いた。なんとなく想像はついているが一応聞くと鋭く視線が飛んできた。
「求婚があったとしても、今回も断るつもりだろう」
「ええ」
「少し難しいかもしれない」
 そう前置きをしてから茶器を置いて姿勢を正す。
「父上に口添えを頼んだそうだ」
「貴方の母君が?」
 質問には首が横に振られる。つまり、ケムフェゼロ家当主が陛下に直談判したということだろう。こちらとしてはついに切り札を切ったかといった感想だが、目の前の弟はそうではないらしい。
「だが、このまま母が何もしないとは思えない」
「そうね。貴方を使うくらいだもの…本当は説得を頼まれたのでしょう?」
 指摘してやると眉を寄せて腕を組み窓の外に視線をやる。
「シルフィナが早くどこかに嫁げば問題はないんだ」
「ごめんなさいね」
 アトラスがイラつく理由は分かっている。シルフィナがケムフェゼロ家次期当主へ嫁ぐということは、王家の血が入るということだ。それにより今の「側妃の実家」という立場がより堅固になる。
 しかし、そこにあるのはケムフェゼロ家の安泰だけが理由ではないと、さすがにアトラスも分かっている。背後にあるのはアトラスを国王にしたい母親の強い願いだ。
「シルフィナが謝ることじゃない」
 苦く口に出すとすっくと立ち上がる。
「話はそれだけだ。それと、その茶会に白姫も呼ばれてる。多分断らないだろう」
 白姫は国賓なので、断らないかどうかはアトラスでも分からないはずだ。それを言い切ったことにシルフィナが視線だけで尋ねると、一つため息を落とされた。
「昨晩、エルバンス家に泊まったそうだ。それが不可抗力でも余計な波風は立たせないだろう」
 本来は呼ぶ必要のない国賓の姫を呼ぶのは"イーチェ"としての面子だということのようだ。確かにあの姫ならばそう判断するだろうし、そうでなくともアルジャーノンあたりが動くだろう。
「姫に会うのは楽しみだわ」
 もしかしたらもう会わないかもしれないと思ったが、現在皇太子の弟の想い人であることは彼女の話から察せられた。となれば、あの弟がそう易々と彼女を国へ帰すことはないだろうと思っていた。
 その予感が的中したのか彼女は船に乗りそこね、まだここディーディランに留まっている。次の船が出る前にもう一度お茶を一緒に飲みたいと思っていたのだが、それがこんなに早く実現するとは。またエマリーアに怒られるなと思わず微笑む。
「シルフィナは白姫が気に入ったのか?」
 立ち止まったアトラスがシルフィナの表情を見て聞いてくる。そのアトラスの表情をシルフィナが見ると弟はどこか呆れた様子だった。
「あら、アトラスは嫌いなの? 噂によれば求婚したのでしょう?」
「…どこからそんな話を聞いてくるんだ」
 平静を保ったつもりだろうが、わずかな間が動揺を表している。
「あら。城中の侍女は皆知ってるわよ?」
「冗談だろ」
 にっこり微笑んで言ってやると少し引きつった顔になる。
「でも、貴方の狙いはそっちのほうが効果をはっきするんじゃないの?」
 アトラスがあの白姫に求婚する理由など一つしか思い浮かばない。
「シルフィナらしくないな。それを公言したらもっと面倒な話になるだろう」
「ええ。国家を巻き込むくらいのね」
「そういうことだ」
 少し表情を硬くしてから去っていった弟もきっと再認識したのだろう。
 そう。暗殺くらい簡単に行われる国だ。
「"白異"であることが彼女の強みだけれどね」
 もらった招待状をくるくる回す。
 ケムフェゼロ家の息子ロバートは悪い男ではない。ただ少し考えが足らず、野心があるというだけだ。シルフィナを手に入れたいと思っているのは色恋からではないことは明白だ。
 だからこそ断り続けているのだし、これまで向こうも思い切った手に出なかった。
 それが今回は父王に口添えを頼み、アトラスを使うほど手を回してきた。三年という時間があったにも関わらず、今動き出したのにはそうしなければならない何かが裏にあるはずだ。
「はぁ。頭痛の種が増えるわね」
 もしかしなくとも、近いうちにあの男から何か言ってくるだろうと思っていると、侍女がやってきてその人物の訪問を告げた。
「きているの?」
「はい。いつのも場所でお待ちです」
「相変わらずね」
 なんとも間のいい。というより、アトラスの訪問も知っていたのだろう。
 いつもの場所というのは後宮の入り口にある部屋だ。原則として男は立ち入りできないことになっているが、中の侍女と話をしたりする上役もいるわけでこういう措置は当然取られている。
 そう、本来なら侍女が使う場所であり、一応姫であるシルフィナが使うべき場所ではないのだが、そこは位の低い王女の特権か、特に咎められることもなかった。
 扉を開ければすでに寛いでお茶を飲む男が一人。
「アトラスは何と?」
「ご想像通りよ。一応知らせに来てくれたみたい」
 前置きも挨拶も無しに尋ねてくる。一貴族のくせに態度がでかい男は爽やかに笑って見せた。
「姫は結婚する気はあるか?」
「あの男と?」
「いいや」
 一応確認に聞くと否定される。つまり、あの男以外にいい相手がいればということだ。そういえば、今までそういう話を目の前の男としたことはなかった。
「考えないわけではないわ。ここにいることに文句も無いけれど」
 王女だからと言ってどうしても結婚しなければならないわけではない。国力の十分あるディーディランだからこそいえるのであるが、もしそれが必要ならばもっと若いうちにどこかに嫁がされていたはずだ。
「そうか。そう伝えておく」
 にやりと笑うと男はすっと立ち上がる。
「え? ちょっと、どういうこと? まさか結婚しろと父上が言っているの?」
「このままだとケムフェゼロ家に嫁ぐことになると思う。俺は別にそれでもいいと思うがな。エドがそれを許さないだろうし、火種は少ないほうが俺としても楽だ」
 つまり、それに対抗できる相手を用意するということだろうが…。
「お願いだから、もう少し説明してくれる?」
「大体は姫の考えている通りだ。まあ、その相手と結婚するかどうかはさておき、とりあえず競争相手を立てたほうが無難だろう」
「誰を?」
 一番聞きたいのはそこだ。
「ケムフェゼロ家と対抗できる人物に決まっているだろう」
 妙に爽やかに笑ってのけるその笑みに悪寒が走ったのは何故だろう。
「…貴方、確か婚約者がいたわよね?」
「聞くほどの説明はいらないな」
 質問には答えず、それだけ言うと颯爽と去っていった。
「最悪だわ」
 いや、とりあえずの相手であればいいのだ。とりあえずの。それを考えれば誰も文句は言わない相手であることは間違いない。しかし、下手をするとそのまま本当になりそうで恐いのは何故だろう。
 文句を言える立場ではないのだが、現実にそうなった場合、やはり文句を言ってやらねばと強く思った。
03
|| TOPBACKNEXT