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開幕は静かに
04
 馬車の用意ができるまでのわずかな間にとうとう雨が降り始めた。降り始めこそたいしたことはなかったが、何かの堰を切ったように土砂降りになった。そのせいなのか、辺りはすっかり夜のように真っ暗だ。
「こんな雨の中をお返しするわけには行きません」
 スノーリルが国賓であることと、この屋敷が"イーチェ"であることで、スノーリルが泊ることはあっさりと決定された。
 お昼過ぎの時間から始まったお茶会であるため、終わった頃にはもうすぐ日暮れという時間だった。夕刻という時間も危険だという理由で王城内でもあまり出歩かないようにと言われている。今回は王城の外で、しかも雨まで降ってきたのだから、エルバンスの判断は当然ともいえた。
「不安でしたら私も残りますが」
 そう申し出てくれたのはメディアーグ夫人、ミアだった。さすがにメディアーグその人は仕事があるので残るわけにはいかないはずだ。おそらくスノーリルの外泊は彼がアルジャーノン大臣辺りに連絡するだろう。
「ありがとうございます。でも、護衛も沢山いますから大丈夫です」
「そうですか? フィリオ、ちゃんとお守りするのよ?」
「はい。もちろんです」
 明るく頷いたのは本来は護衛であるフィリオで、もう一人の護衛アドルはカタリナと共にスノーリルの泊まる部屋を確認に行った。おそらく他の警備がどうなっているかも見て回っているはずだ。
 大臣の息子のフィリオがいるのだから、そうそう面倒なことにはならないだろうとはメディアーグの言葉だった。警備についてはスノーリルは心配していない。スノーリルが一番問題にしなければならないなのは、一応恋敵の家に泊まるということだ。
 メディアーグ夫妻を見送って、部屋の準備の間待たされている部屋にカトリアがダイアナを伴いやってきた。
「スノーリル姫。夕食もご一緒してくださいますか?」
 そうにっこりと、美少女二人にお伺いを立てられるのに「来た」と思ったのは至極当然だったかもしれない。もちろん快諾して夕食を一緒にとることを約束した。
「あの、一つお伺いしてもよろしいですか?」
「はい」
 少し声を潜めて尋ねてくるのに首を傾げつつ答えると、スノーリルの横に視線が動いた。
「どうしてフィリオ様が護衛に?」
 大臣の息子が護衛に当たること事態異例なのだろうか。スノーリルもフィリオを見上げると、フィリオはにっこりと微笑んで説明をする。
「私は一応軍に属しています。姫の護衛には相応の人間がつくべきですが、ここのところ何かと忙しいので、それなりに見栄えのするのを当てたというだけです」
 軍所属で、大臣の息子であれば外からの文句にも対応できる。と、言うことだ。スノーリルもそれは分かっていたし、フィリオが役に立たなくてもカタリナがいるのだから大丈夫だとも思っている。
「まあ、それは大変な名誉ですね。一国の姫をお守りするのですもの」
 その説明にカトリアは瞳をキラキラさせて賞賛する。一国の姫を守るにしては手薄すぎると思うが、それは彼女の理解の範疇ではないのだろう。
 少し興奮気味にフィリオを見つめるカトリア。その隣にいるダイアナは少し眉をひそめたが、特に何かをいうことはなかった。
「ダイアナ様の兄上はお帰りになったのですか?」
 フィリオが先ほど兄上も一緒にと言わなかったので、なんとなく尋ねたのだが、カトリアの眉がぴくりとはねた。
「まあ、スノーリル姫はアーノルド様を気に入られたのですか?」
 微笑んではいるが、どこか固い表情のそれに思わず苦笑してしまう。
「以前大変にお世話になりましたから、ご挨拶をしたかったのですが」
「いいえ。お世話になったのはこちらのほうですわ。兄も大変感謝しておりました」
 ダイアナが少し気まずそうに微笑んで答えるが、カトリアはそれにつまらなそうな反応をする。
 話が途切れ沈黙が降りる。他の部屋ではなにやらいろんな物音が立てられているが、集まっている部屋は呼吸の音さえしないほど静かで、間違いなく気まずい空気だ。
「スノーリル姫は恋をなさったことはありますか?」
 沈黙を破ったのはカトリアの真っ直ぐな声だった。
「恋、ですか」
 その質問にしばらく思案するが、答えをもらうより早くカトリアが言葉を吐き出す。
「私は恋をしています。幼い時からずっと恋焦がれた方がいます。その方はとても忙しい方で、他のことを視界に入れないと聞いていました。それが、やっと、その方の視界に入ることができたのです」
 相手は誰だと聞かなくても分かる。カトリアはあのアルジャーノン大臣が「手を焼く」というくらいにはご執心なのだ。
 そういえば、隣にいるダイアナもアトラスに恋をしている。
 自分はどうなのだろうか。彼女たちと同じほどに恋をしているのだろうか。
 カタリナは恋をしていると言っていた。でも、自覚はほとんどない。好きだという気持ちは確かにあるが、これが恋というものなのかはまったく自信がない。
「私はこの機会を絶対に逃したくないのです」
 強く宣言するカトリアの言葉に何か違和感のようなものを感じる。
 先ほどのお茶会の話ではそれほど親しいわけではないようだった。ダイアナはやっと名前を覚えてもらったというくらいにはアトラスと親しいのだろう。しかし、カトリアはどうなのだろうか?
「カトリア様はクラウド王子をどのくらいご存知ですか?」
「え?」
「私も幼い頃に好きだった男の子がいて、ずっと長い間会っていなかったのですが、大きくなってから再会したのです。もちろん同じところもありましたけど、姿も雰囲気も随分変わっていました。成長したのですから当然ですけれど、だからこそよく知らなければならないと思ったのです」
 成長したからこそ立場も背負うものも、幼い頃とは比べ物にならないほど違った。その時知らなかったことも、今は十分知ることができる。そして知るには一歩を踏み込む勇気が必要だった。
「好きだという気持ちは大切ですけど、ただ好きなだけでは駄目なのだと思うのです」
 盲目的に好きになることが恋なのならば、これはきっと違うとそう思う。
 視線を落として自分の考えに没頭しかけたとき、カトリアが少し弾んだ声を出した。
「スノーリル姫はその方が好きなのですね?」
 その言葉に視線を上げると瞳を輝かせているカトリアと目が合う。
「はい」
 なにやら気配に圧倒されて、正直にそう答える。
「そうなのですか。そうでしたわ。スノーリル姫は相応しくないと判断されれば国へ帰るのですものね」
「ええ」
「カトリア」
 ダイアナの咎めるような声もどうやら届いてはいないようだ。突然上機嫌になったカトリアにスノーリルは首を傾げた。カトリアを咎めたダイアナもこらえきれずに口元が綻んでいる。
 二人の突然の変わりようにスノーリルは不思議そうにしていたが、答えを求めるようにフィリオに視線をやる。視線を受けたフィリオは苦笑して肩をすくめただけだった。
「お部屋の用意ができました」
 そう使用人が声をかけ、その後ろからカタリナとアドルが現れる。
「では、一度部屋へお入りください。夕食にまたお会いしましょう」
「はい」
 にっこりと輝く笑顔に見送られ、とりあえずあてがわれた部屋へと案内される。
 部屋に入ると自然、ため息がもれた。
「大丈夫ですか?」
 フィリオが尋ねてくるが、それには苦笑を返すくらいしかできない。
「クリスティン様はお帰りになったのかしら?」
「はい。今夜泊まるのはダイアナ様と、同じく"イーチェ" のテオドール・ロシェット様という方だそうです」
「テオドールか。やっぱり残ったか」
 カタリナの答えにフィリオが呟く。
「危険因子なのですか?」
 カタリナが少し真剣に尋ねると「いえいえ」とフィリオが首を振る。
「テオドールはカトリア嬢に気があるんです。カトリア嬢はまったく気がついてないようですが」
 どこか面白がって見えるのは見間違いだろうか。フィリオの表情を見ているとにっこりと笑顔を返された。
「どこでも恋愛事情はややこしいものです」
 そう言い残すとアドルに自分たちの寝る場所はと尋ね、部屋を出て行った。
「どうかなさいましたか?」
 カタリナが覗き込むように尋ねてくるのに息をつく。
「いいえ。恋愛事情がややこしいのよ」
「そうですか」
 眉を下げて告げてくるのに、ただ苦笑を返した。
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