会話の主導権はほぼカトリア嬢が握っていた。
初めは差し障りのない天気の話題から入り、その後に自己紹介がなされた。
名前は聞いて知っていたのでそれは省いたが、好きな服の話やら宝飾の話やらを披露され、はっきり言ってディーディラン貴族ではないスノーリルには何がどうすごいのかはさっぱりだったが、隣で同じく話を聞いているクリスティンの反応を見る限り、どうやらかなりすごいようだった。
有名な仕立て屋であるトルーバー氏にドレスを作ってもらっただとか、イリキス宝飾商に特注で首飾りを作らせたとか、そんな話だ。
とても無邪気に透き通る声で話をされている分には特に何も感じないが、端々にクリスティンへの牽制があるのは一目瞭然だ。そういった駆け引きはできない性質なのか、あえてしていないのか。お茶と菓子をつまみながら二人の様子を見ていたスノーリルだったが、ふいにカトリアの視線がスノーリルにじっと向けられた。
「何かついていますか?」
あまりに見つめられるのでそう尋ねると、にっこりと微笑まれた。
「私の話はあまり興味はないですか?」
「いいえ。そんなことはありません。ディーディラン国の流行や文化を知るのはとても楽しいですよ。今日のドレスも特注なのですか?」
周りの人物よりも遥かに仕立ての良いドレスをまとっているカトリアにそう尋ねると、少し眉を上げて嬉しそうにした。
「ええ。今日はスノーリル姫にお会いするので失礼にならないようにと、父が用意してくださったのです。これはトルーバー作ではありませんが」
そのドレスについてを控えめにそれでも誇示するように話をする。その合間合間にわざわざクリスティンはどうなのだと尋ねる。
「クリスティンさんのドレスも素敵ですわ。誰の作ですの?」
「無名の作家ですので、名を申し上げてもわからないと思います。出入りの作家のドレスですから」
「あら。そうなのですか? でも皇太子妃候補に名を連ねたのですもの、あまりふさわしくない装いもどうかと思いますわ」
「そうですね。以後は気をつけたいと思います」
確かカトリアはスノーリルより一つ年下だと言っていた。つまり、二十歳になったクリスティンとは三つ違うのだ。家格の違いからくるのか、どうもカトリアはクリスティンをかなり見下しているような印象がある。
貴族ではないスノーリルには分からない感覚ではあるが、家格というのは人格にも影響を及ぼすものであるらしい。
そんな観察をしていると、カトリアが侍女を呼んだ。
侍女は盆を持っており、そこに何か乗っている。
「実は、ぜひともスノーリル姫にお見せしたいものがありまして」
そう前置きをして、盆の上のものを手にとってテーブルの上に置いた。
それは髪挿しだった。地の部分はおそらく金でできているのだろう。二股に分かれたもので、飾りの部分には大振りの赤い花を模した宝石と、緑や黄色の小さな石で飾られたとても細工の細かいものだ。
「綺麗ですね」
素直な感想を口にするとカトリアは少し首をかしげて「気に入られましたか?」と尋ねた。
「これをスノーリル姫にお贈りしたいと思いまして」
「え?」
突然の申し入れにスノーリルがカトリアを見ると、髪挿しを少し触ってからスノーリルを見る。
「いつも髪を下ろしておいでだとお聞きしました。結い上げた白い御髪にはきっととても綺麗だと思うのです」
その言葉に内心首をかしげる。今の言葉ではスノーリルの髪ではなく「髪挿しが綺麗だ」と賛美したものに聞こえる。わざとなのか、それともなにも考えていないのか。
ふと静かな隣に視線を移してみた。彼女はただ無表情に視線を落としている。しかし、膝の上に置かれた手がぎゅっと握り締められているのが見えた。
なるほど。これはきっとクリスティンへの牽制の一つのようだ。
「申し訳ありません。個人的な贈りものは受け取らないようにと言われていますので、残念ですが受け取ることはできません。赤い花はカトリア様がなさったほうがお綺麗ですよ。赤がとてもお似合いですもの」
鮮やかな赤いドレスを身に着けているカトリアはここで一番目立つ存在だ。
ただ断るだけでは気分を害するのではと思い、にっこりと笑顔つきでそう返すとこれまた嬉しそうに微笑み返して「そんなことは」と口にした。
ここまできて、ふと自分は問題の外に置かれていると気がついた。これは二人の花嫁候補の戦いであって、スノーリルはまったく絡んでいない。
それどころか、これはもしかしなくとも、スノーリルをだしにして自分の価値を相手に知らしめているようなものだ。二人よりも質素なドレスを身に纏っているスノーリルに何も言ってこないのもそういうことだろう。そう、初めからカトリアの敵はこのクリスティンただ一人なのだ。
自分はどう動くべきなのだろうかと考え始めたところに、それまで質問をしてこなかったクリスティンがスノーリルに声をかけた。
「スノーリル姫は、皇太子殿下にお会いしたのですか?」
初めてまともに視線を合わせた彼女の瞳は緑色だ。少し黄色が含まれている瞳は澄んでいてとても綺麗だ。よくよく見ればかなりの美女であることがわかる。この年までどうして結婚しなかったのか不思議なくらいだ。
「一度お会いなさったはずですよね?」
スノーリルが彼女の質問に答える前にカトリアが口を挟んだ。
「噂ではミストローグの姫君が会議室に強引にお入りになったときにご一緒だったと」
どうやらカトリアはあの一件をどこかで聞いているらしい。この辺の情報網が"イーチェ"と"ニィ"の差か。
「はい。お話はしませんでしたが。お顔は拝見しました」
「お話はなさらなかったのですか?」
「エストラーダ様は何か難しいお話をなさっていましたけど」
「そうなのですか」
真実ではないが嘘でもない話に、クリスティンは頷き、カトリアは何も言ってこない。どうやら全部を知っているわけではなさそうだ。
「ですが、お話はなさるのですよね?」
クリスティンの問いに少し逡巡する。
「申し入れはしていますが、叶うかどうかはわかりません。お忙しい方であるとお聞きしましたから」
その答えに「そうですか」と笑顔を向けてくる。
「お会いできるといいですね」
「はい」
どうやらクリスティンはスノーリルを花嫁候補の一人としてみているようだと感じた。そこにふとした素朴な疑問浮かぶ。
「クリスティン様はお話したことは?」
「いいえ。私などはとても」
「カトリア様は?」
「私は、小さい頃にでしたら何度か。今はスノーリル姫のおっしゃるとおり忙しい方ですから、そう簡単にお話する場はありません。夜会にもほとんどいらっしゃらない方ですから。アトラス様とでしたらありますけど」
にっこりと笑みを作るカトリアに頷く。
「そうですね。アトラス様はよくお話にきてくだいます」
その言葉にカトリアは笑みのまま固まったようだったが、はっと息を吹き返した。
「そういえば、ダイアナがそんな話をしていましたわ」
「ダイアナ様。元気になられたようですね」
「ええ」
そういえばダイアナと決闘などということもあったかと思い出す。そう昔の話ではないのだが、状況があまりにも変わったのでまるで遠い昔のような心境だ。
ダイアナとはあの時以来だとふと思い出し、姿を探すとちょうどカトリアの向こう側に金髪の巻き毛が見える。その横顔がこちらを大いに気にしているのが伺えて思わず口元がほころぶ。
その笑みにカトリアがぴくりと反応した。
「スノーリル姫はアトラス王子に求婚されたとか?」
「え?」
突然の話題転換にクリスティンが驚いたようにスノーリルを見る。
やはり二人の間で話題になっていたのかと思い、どう答えようかと思ったが、事実を口にしても大丈夫な気がした。
「そうですね」
証人としてダイアナがいるカトリアには何をいっても嘘だと思われるに違いない。事実の肯定だけを口にすると、カトリアの薄い緑色の瞳が見開かれていく。
「お受けになるのですか?」
どこか呆然とした声に、フィリオの言葉が蘇る。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
「私は、皇太子妃候補ですから」
事実を事実のままに伝えるが、カトリアの中で何かが激しく動いたようだ。
視線がどんどん険しいものに変わり、唇を噛み締めてから小さく息を吐き出した。
「そう、ですわね。スノーリル姫はあくまで、皇太子妃候補の一人ですわ」
ようやくそう認識したのだろうカトリアとは違い、クリスティンは冷静だった。
「スノーリル姫は、皇太子妃になりたいとお思いですか?」
この質問に、周りの耳が一斉に集まったのがわかった。
「私はディーディラン国から乞われてきました。私が相応しいと判断されれば、そうなる可能性は十分あると思いますよ」
この言葉でクリスティンは安堵し、カトリアは憤慨した様子だった。
器量のよさでは…。フィリオの観察眼は間違いなかったと言っていいだろう。スノーリルが"白異"である限り、国がスノーリルを皇太子妃に据えるはずが無い。その判断はディーディラン国に委ねられているのであって、スノーリル個人の感情は排除される。
ガタガタと鳴る硝子窓の音が響くほど静まり返った室内で、この家の主が一つ咳払いをした。
「えー。天気もあまりよくないことですし、この辺でお開きとしたいと思います」
その言葉に周りの人間が賛同し、ぴりぴりした空気をとりあえず濁してお開きとなった。