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開幕は静かに
02
 日々、天気の良い国であるが、それでも天候はいつも同じではない。
 少し風が強く、遠くに見える雲が暗い色を伴っている。間違いなく雨を孕んだ雲はどうやら風に押されてこちらにやってくるようだ。
 ガタガタと揺れるトラホスでは考えられない薄い硝子に、少し不安を感じながらその日を迎えた。
 天気が悪いこともあり開かれたお茶会は花嫁候補になった貴族屋敷の一室だ。
 ディーディラン国はとにかく規模がいちいち大きい。招待されたお屋敷は貴族でも一番地位の高い"イーチェ"と呼ばれる人の屋敷だ。だからなのかもしれないが。
「トラホスの王城と同じくらいに見えるのは私だけ?」
 いや、硝子窓や調度品を見るとそれ以上と判断されてもおかしくない。
 隣にいるカタリナにそっと囁くと「ディーディランですから」と苦笑とともに返事がある。
 通された部屋――広間と言っていいくらい広い――は白磁の壁に金縁の絵画が沢山飾ってあり、さながら美術館のようであるし、調度品も白地の金細工が多く、今座っている椅子も目の前にある一本足のテーブルもさりげなく金が使われている。今目の前に出されている茶器も、持ち手のない陶器の器を金細工で覆う形のものだ。まあ、本物かと聞かれると判断はできないのだけれど。
 しかしそれよりも、無駄にキラキラした空間は、なんというか。
「居心地悪い」
 思わず口に出すとくすりと笑われる。
 ちらりと視線を投げると「失礼」と口を引き結ぶ男性が一人。
 ものすごく優雅にお茶を飲んでいるのは濃い灰色の髪をした男性。隣にはその奥様がいる。スノーリルの視線ににっこりと微笑んでくれるその笑顔に素朴な疑問が一つ。
「あの、どうしていらっしゃるのですか?」
「お茶会ですもの」
 質問の意味はそうではない。しかし、この笑顔を見る限りでは質問の意図をきちんと把握していそうだ。つまり、話したくないということだろうか。いや、ただ単に夫婦で誘われたということもある。この茶会の席はほぼ上位貴族で、身分で言えば一番低いのが"サニー"である目の前の夫婦だ。しかし、別の意味でものすごく地位の高い人たちでもある。
 昨日アルジャーノン大臣の執務室で話し合った通り、その日のうちにお茶会という名の顔合わせの話がスノーリルの元に届いたのだった。
 
 
「エルバンス家の使いからだ」
「やっぱり来たんですね」
 次の間にいたアドルが持ってきた招待状をミシェルが受け取って、まじまじと招待状を見つめて呟いた。
「先ほど旦那様にお会いしたのですが、ミア様も誘われたとおっしゃっていました」
「今日、お許しが出ると知ってたのかもな」
 スノーリルに候補の二人の令嬢について説明していたフィリオが、ミシェルの言葉に頷く。
 マーサとカタリナは、明日お茶会があるだろうと見込んでドレスを選定中だ。
 椅子に座ってフィリオの話を聞いていたスノーリルへ招待状を差し出して、ミシェルはお茶のおかわりを注ぎ足した。
 差し出された招待状を開くと挨拶で始まり、お茶会の誘いと、最後に差出人の名前が記されている。
「カトリア・エルバンス。"イーチェ"のほうの人ね」
「はい。おそらくクリスティン様もおいでになるでしょうね」
 クリスティンとはもう一人の花嫁候補の名前だ。フィリオの話だと"ニィ"だという。
「皇太子妃候補に身分はあまり関係ないの?」
「いいえ。"イーチェ"のエルバンス家が優位であることは間違いないです。ただ、器量でいえばクリスティン様のほうが上ですね。まあ、年齢の差も加味されますが」
「クリスティン様のほうが年上でいらっしゃるの?」
「はい。二十歳になったはずです。カトリア様は姫より一つ下だったと思います。ああ、あのダイアナ・グレイブスと友人です。類は友を呼ぶという感じで、皇太子妃にふさわしいかと聞かれると今の時点では疑問ですが」
 苦笑気味に笑うフィリオの口から意外な人物の名前が出てきて驚いたが、なんとなくその説明でどんな人物かは想像できる。
「なんか、大変そうなお茶会になりそうね」
 話をしながら返事をしたため、扉の前に控えているアドルに持っていってもらう。その姿が扉から消えるとため息を吐き出す。
「スノーリル姫は候補以上の動きはなさらないのですか?」
 ミシェルが突然そんな質問をしてきた。
 好奇心に瞳を輝かせるミシェルを見てからフィリオに視線を移す。微笑んではいるがどこかこちらを伺っている様子のフィリオに首をかしげる。
「私に権利はない。違う?」
 スノーリルがここにいる最大の理由は国が関わっている。個人的な感情を優先して動ける立場にいない。
「許された範囲内で動くことは可能ですよ」
 フィリオの言葉に瞬きを二度ほどしてからにっこり笑う。
「私に悪知恵を与えるとアルジャーノン大臣が怒りますよ」
「そのくらいが楽しいですよ」
 にっこりとまったく悪びれる様子の無いフィリオに、強い血の濃さを感じたのは必然とも言えた。
 
 
 あまりよくない天候のもと行われた今回のお茶会は、特にぴりぴりとした雰囲気が溢れていた。
 護衛であるアドルとフィリオも付いてきていたが、フィリオは大臣の息子ということもあってか、お茶会に強制参加させられた。アドルは近くに控えている。
 "イーチェ"の屋敷で行われるお茶会の参加は二度目だ。一度目はグレイブス家の庭園であった。その時はエストラーダもいて、別の緊張感があったが、今回のこの張り詰めた感じは少し違う。
 スノーリルの他に候補者となった女性が視界の隅にいる。
 フィリオの話では二十歳になったと言っていたが、貴族でその年齢は実のところ行き遅れに片足を突っ込んでいる年齢である。その人は金髪を綺麗に結い上げ、周りの人物より少し豪奢な装いだ。彼女の席近くにいるのはグレイブス兄妹で、どことなく空気が悪そうである。
「気になりますか?」
 夫人に小さく問われスノーリルはなんとも微妙な笑顔を向ける。
 実際のところまったく気にならないわけではない。しかし、対抗心を覚えるほど気になるほどでもないというところが本音だ。好きだと言われた余裕から来るものではなく、ただ実感が伴っておらず、その最たる原因は何かといえば自分が"白異"であることかもしれない。
 スノーリルのそんな内心をどう捕らえたのか、夫人は穏やかに微笑んだ。
「あれからお会いにはなっていないのですか?」
「え? あ。はい。今回のことで忙しくなったでしょうから」
 何を問われているのか首をかしげかけて、気がついた。
 そう、あれからまだ会っていない。
 忘れていたというわけではないが、次に会う時のことなど考えていなかった。というより、また会えると思っていなかったというべきか。まさかこちらから会いに行くわけにもいかないので、向こうから会いにきてくれるのを待つしかない。
 そんな事を考えていると、この屋敷の主が顔を出した。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。本来ならば当庭園を楽しんでいただくところですが、今日お集まりのご婦人方の美しさを前に出ることを控えたようです」
 にこやかに挨拶に現れた紳士の後ろを淡い茶髪の美少女が続き、控えめに寄り添って笑顔を見せる。どうやら彼女が花嫁候補の一人、カトリア嬢であるようだ。
 紳士は一番にスノーリルのいる場所へやってきて優雅に礼を取った。
「お初にお目にかかりますスノーリル姫。ジョーンズ"イーチェ"エルバンスと申します。こちらは娘のカトリアです」
「初めまして。スノーリル姫」
 鮮やかドレスを身に纏いながらも一見儚げに見える少女だが、その視線の強さにフィリオの評価が正しいと悟る。
「初めまして」
「メディアーグ様も、お久しぶりです」
「そうですね。この間の昼食会以来でしょうか」
「おお。あれ以来でしたか。それでは今日は楽しんで行ってください」
 無難に挨拶を終えると、二人はそのままもう一人の候補がいる席へ挨拶に行く。
「どうですか第一印象は」
「フィリオさんが言っていたように、ダイアナ様とよく似てます」
「そうですね」
 夫人は上品に笑うと隣の男性に視線を送る。
「杞憂で終わりそうですね」
「そうだな」
「?」
 スノーリルの視線に二人は微笑み返しただけだった。
 
 しばらくすると席替えを促されたが、スノーリルは動かなくてもよいとメディアーグ夫妻に言われたのでその場に留まった。
「カタリナ」
「はい」
 側に控えていたカタリナを呼ぶとするりと隣に現れる。
「アルジャーノン大臣になにか言われているの?」
 見上げてする質問にカタリナが少しだけ首をかしげる。
「ミアさんがいるのは分かるんだけど、エディウス様もいらっしゃるのはどうして?」
 普通こういった席には一家の主は出席しない。おそらくそれはディーディランでも同じであるはずだ。しかも、メディアーグ家主は前の皇太子である。たとえ"イーチェ"といえどそう簡単に招ける存在ではないはずだ。
 スノーリルの質問をカタリナも正確に把握し、ちらりとメディアーグ夫妻を視線で追う。
「私は特に何か言われてはおりませんが、メディアーグ様は何か言われてきたのではないでしょうか」
「……私がいるから?」
「それもあると思います」
「他にも何か?」
「さあ。そこまでは」
 何も言われていないのならばさしものカタリナにも分からないだろう。
 話をしているうちに、候補二人がこちらに向かっているのを確認する。
「ありがとう」
「はい」
 礼を言うとすぐに後ろに控える。
 エルバンス家の侍女が新しいお茶をいれてくれるのと同時に、二人の候補者がスノーリルの前に立った。
「こちら、よろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
 聞いてきたのはカトリアで、それにただ黙ってついてきたのがクリスティンだ。
 二人が席につくと同時に、ぴりりと空気が張り詰めたのがわかった。
 さながら、一戦始まる前の空気である。
 ここからが本題であると、さすがにそのくらいはわかった。
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