その日、朝食をとるとすぐにディーディラン側から侍女たちが付けられた。
といっても、もちろん離宮へと移動するための手が足りないからである。
持ってきた荷物のほとんどは、トーマスたちとトラホスへ向かう船に積んでしまったため、沢山あるわけではないが、どういうことか、一級品のドレスなどはマーサがここに留め置いていたためそれなりの荷物があった。
なぜなのだろうと首をかしげるスノーリルに、カタリナとマーサは顔を見合わせて微笑むと、「お告げがありまして」と訳のわからないことを言った。
お昼には全ての荷物を運んでしまい、マーサが食事の準備を始めた。いつもはリズもいたのだが、リズはトーマスたちと船で行ってしまった。そのため、ディーディランから一人側付きの侍女を借りることになった。
紹介してくれたのはメディアーグ夫人で、荷物を運び終えた離宮にさっそく侍女を伴い訪れてくれた。
「こんにちは。いいお天気でよかったですね」
にっこりと満面の笑みを浮かべてやってきた彼女は、本当に嬉しそうだった。
昨日、船から飛び降りた――落とされた?――あと、メディアーグ夫人の馬車で再び王城に戻ってきたのだ。当然、クラウド王子とは別行動だった。
その馬車の中でも沢山の話をしたし、少しだけメディアーグ夫人の馴れ初め話もきいた。
これからも親しくできそうな夫人を椅子に促し、そっと視線を後ろへやった。
それに気がついたのだろう、夫人がにっこりと微笑んで視線の先にいる侍女を呼んだ。
「紹介しますね。こちら、ミシェル・ヘレイズ。年はスノーリル様と同じはずです」
その紹介に控えていた侍女はにっこり微笑んでから膝を折って挨拶した。
「初めまして。ミシェルといいます。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
微笑んで返し、ふとその名前に覚えがあることに気がつく。
「ヘレイズさん?」
「はい。キース・ヘレイズは私の兄です」
黒髪の男性を思い出し、よく見れば確かに面差しが似ている。黒髪に明るい茶色の瞳の、リズより大人びた印象の少女だ。
「なんでも、ミア様がスノーリル姫とお近づきになりたいらしいのですが、兄では役に立たなかったとかで。兄に頼まれてまいりました」
そういえばそんなやり取りもあった気がするとメディアーグ夫人を見れば、彼女は愉快そうに笑っていた。
少女ミシェルは印象と違い、とても茶目っ気のある人物であるらしい。
さっそく昼食を一緒に食べ、会話上手な夫人がそろそろ帰ると言って退室したのは午後のお茶の時間という頃だった。
とりあえずする事のないミシェルがお茶の用意を始めようとする、まさにその頃合いを見計らったように、スノーリルにお茶会の招待状が届いた。
「アルジャーノン大臣です」
招待状を持ってきたミシェルが言うのに、スノーリルは招待状を開いて確認する。
「今後についてのお話かしら?」
「おそらく」
首を傾げるスノーリルにカタリナが頷く。
「よろしければ今からご一緒にと、扉の前でサミュエル様がお待ちです」
サミュエルは侍従だが、ミシェルでも様付きで呼ぶようだ。大臣の侍従は各が違うのかもしれない。
「じゃあ、行きましょうか」
カタリナに視線を向けて告げ、一緒にアルジャーノン大臣のもとへ向かう。
「お呼び立てして申し訳ない」
「いいえ、お忙しいでしょうから」
サミュエルに中に通されるとアルジャーノン大臣は机に向かって仕事をしていた。手を止め立ち上がるとスノーリルに座るよう促がす。
ここにはもう一人大臣がいるのだが、今は不在のようだ。
スノーリルの前に大臣も腰掛けると、すぐに話を切り出す。
「すでにお聞きになっているとは思いますが、姫の滞在は当初の通り、三ヶ月ということになりました」
事前にカタリナから話しは聞いていたので一つ頷く。
「つまり、あと一ヶ月半程度だということですね」
「はい。もうしばらく今のままでいていただきたいと思います。そこで帰してしまった侍女と護衛の件ですが…すでにミア殿から侍女を一人提供したと聞き及びましたが?」
誰をとは聞いていないのか、わずかに首をかしげる大臣に答える。
「はい。キース・ヘレイズさんの妹のミシェルさんを紹介していただきました」
「ミシェルを…そうですか。ディーディランの侍女は剣術を心得ていますが、男手もあったほうが良いでしょう」
カタリナに視線を向けすぐにスノーリルに視線を戻した。トーマスたちがいなくなった分を背負うにはカタリナ一人では負担が大きい。護衛は確かに多いほうがいい。
「ミストローグとの同盟も成立しましたし、スノーリル殿の身に危険が迫る事はないと思います。しかし、まったくなくなったとは言い切れません」
「はい」
懸念がひとつなくなっただけで、すっかり忘れていたが確かに解決していない問題はまだある。
「アルジャーノン大臣が必要だと感じているのでしたら、こちらに異論はありません」
「そうですか」
そういうとサミュエルに目配せをする。視線を受けたサミュエルが扉を開くとそこに二人の男性が立っていた。
一人は煉瓦色の髪の文官風の男性。その隣は少し年若い、どこか目の前の大臣と容貌が似ている青年だ。
部屋に入ると一つ礼をとる。
「では、引き続きアドル・イトを」
煉瓦色の髪のほうが会釈するのにスノーリルもにっこりと微笑む。
「それともう一人」
「フィリオ・アルジャーノンです。これからよろしくお願いします」
その名前に覚えがあった。確か、護衛についたアドルを見てメディアーグ夫人が口にした名だ。
「アルジャーノンということは」
「はい。私の息子です」
「父がお世話になっています。どうやら弟もお世話になったようですが」
くすくす笑いながら添える言葉にスノーリルは小首をかしげた。
「覚えておりませんか? 以前ミア殿の昼食会で水を浴びせたことがありましたでしょう」
大臣の説明であの光景が思い出される。
「はい。そういえば、確か…」
あの時、黒髪の青年が対峙した人物の名を叫んだような気がする。
濡れ鼠になった顔は確かに目の前の人物とよく似ていた。どうやらあれがフィリオの弟であるらしい。
「申し訳ありません。大変失礼なことをしました」
「いいえ! そんな! 頭を上げてください」
スノーリルが頭を下げると大臣の笑い声と、フィリオのあわてる声が重なる。
「スノーリル殿の言葉でかなり反省をしていようですから、いい薬になったでしょう」
「あの二人がそろうと必ずああなるんです。止めてもらってよかったです」
似た顔で苦笑すると、「さて」と大臣が話を切り替える。
「護衛はとりあえずこの二人が中心に行います。トラホスの護衛のほうが良いのでしたら引き下げますが?」
この質問にスノーリルはカタリナを見上げる。
「問題ありません」
「大丈夫みたいですので」
カタリナの言葉を受け大臣に頷いてみせる。
「そうですか。ではよろしくお願いします」
「はい」
「それともう一つ」
話はこれで終わりかと立ち上がりかけると大臣が言葉を続ける。それにもう一度腰を落ち着けると一呼吸置いてから話題に入った。
「近々花嫁候補が数名追加されます」
「そうですか」
ミストローグの姫が帰ったのだ。当然それはありえると思っていたので特に驚きはなく、ひとつ頷くと後ろから質問が飛ぶ。
「他国の方ですか?」
「はい。それと我が国の貴族です。何事もないとは思いますが、他国の姫よりは我が国の貴族のほうに注意していただきたい」
「わかりました」
大臣とカタリナのやりとりをスノーリルはただ黙って聞いていたが、ふと視線を感じてそちらを見やる。そこにいたのはもう一人の大臣だ。
「あ」
「勘はいいみたいですね」
少し驚いたように眉を上げそれから爽やかに微笑む。
「その候補の貴族が、さっそく姫と面会したいと申し入れている」
ひらりとサミュエルに紙を一枚渡すと、アルジャーノン大臣に渡る。大臣はそれを見て一つため息をついてスノーリルを見た。その視線に微笑み返す。
「一度お会いしたほうが面倒が減るのではないですか?」
大臣二人の視線を受けてそう答えると、やはりため息をつかれる。
「そうしていただけるとありがたいです。悪い方たちではないのだが、我々も手を焼くツワモノであることは間違いありませんので、十分気をつけてください」
どこか苦笑の混じる声に少し首をかしげるが、一応答えておく。
大臣の執務室を出ると男性二人が加わった一行は離宮へと向かう。
「アルジャーノンさん」
前を歩く男性に声をかけると、「フィリオで結構です」と微笑とともに返る。
「面会の女性のことは知っていますか?」
「はい。一人は有名ですし。もう一人は同じ"イーチェ"ですからよく知っています」
「二人なの…。あとで教えてもらえますか?」
スノーリルの言葉にアルジャーノンは快く頷いて見せた。