「今すぐにでもトラホスへの船を出すべきです」
「伝書を使って船を戻す手もあるのでは?」
かけられた議題は言うに及ばず。
今朝故郷へと帰るはずだった件の姫の滞在についてである。
しかし、政治を仕切る大臣、補佐である文官や軍部の重役など、それぞれの立場により思いは違うようだ。
「トラホスと同盟を結べるのは良いことではあります」
「いいや。国民意識を考えると全面的に良いことだとは言えません」
「同盟ならば他に手はありましょう」
「そうです。それに、昨今"白"への嫌悪が高まっていることも事実です」
「昔から崇拝者はいないとは言いませんが、しかし…」
「国民への配慮はすべきかと」
次々に出てくる言葉に上座に座っていた一人がくすりと笑った。
「ようは怖いからさっさと帰って欲しいと」
明らかにかからかっている声音に、その場にいた大臣たちが一斉に発言者に視線をやる。
「クロチェスター大臣」
「なんですかな?」
咎めるような声に対し爽やかに微笑む大臣は、この場で一番若い大臣だった。
「我らはそんな感情で議論しているのではありません」
「まったくです。それにしても、なぜ突然帰るということになったのですか」
この疑問はごく一部の人間だけの話だ。そもそもトラホス国の姫君滞在期間は三ヶ月ということになっていたのだから、一ヶ月半では半分の時間でしかない。
「ご自身からの申し出だと聞いたが?」
「しかし、帰らなかったのですぞ」
「それは強制的に船から下ろされたからではないのですか?」
報告によると、姫は船から落ちたらしい。ということは、帰りたくなくて船に乗らなかったのではなく、事故により船に乗り損ねたということだ。いや、もっと厳密にいうならば、一度は乗船したのだ。つまり帰る意思はあったということである。
「一度出てしまった船を戻す確実な方法は足の速い船を出すしかないでしょう。しかし、それをするほど重要なことなのかどうかを考えていただきたい」
軍部の大臣であるギリガム大臣が眉間に皺をよせ発言する。それにははっきりと意見する人物もなく、不満そうな空気だけを漂わせた。
「なんにせよ、次の船が出るまでは滞在を許可する必要があるということだ。そもそも初めの約束は三ヶ月。何か異論のある方は?」
古参の大臣の言葉に一同は沈黙を守った。
つまり、これが議会の決定で、誰も文句はないということだ。
◇◇ ◆ ◇◇
大臣議会に参加しなかった当事者は、その報告を受けて浅くため息をついた。
「そうか」
それ一言だけで済ますと手元に視線を戻す。
「それでよろしいのですか?」
「良いも悪いもないだろう」
淡々とした口調に報告していた執事は少し眉を寄せた。
「クラウド様。本当によろしいのですか?」
「アウザー。私にどうしろと?」
例え滞在期間の延長を言ったところではねつけられるのは目に見えている。それを言い出すにはこちらに味方する人間が少ない。
あの場にクラウドが行って引き止めたのだということすら、ほとんどの人間は知らない。いや、知られないように朝の会議にも何食わぬ顔で出たのだ。船の出航時刻にぎりぎり間に合ったのはアルジャーノンとクロチェスターのおかげだ。
報告を聞く限り、スノーリルが自らの意思で残ったのではなく、あれは事故であったと判断されているようだ。
「今はまだ無理だ」
全てを知る執事としては主がそう言う以上、引き下がるしかあるまい。
報告が終わると、読み上げていた薄い冊子をとりあえず机の邪魔にならない場所へ置く。
「何か御用は?」
「ない」
「はい。では、失礼します」
ここに仕事がないことは見ればわかる執事ではあるが、いつも一応尋ね、それから行動に移す。
足音を立てないように扉に向かっていたが、突然ぴたりと立ち止まり振り返る。
「忘れていました」
仕事に妥協のない執事のその珍しい行動に、クラウドは視線を上げて言葉を待つ。
「言うまでもないと思いますが、大臣議会での決定は最初の通り。ということですので、スノーリル姫に会うのは極力控えてください」
「あ?」
「それだけです。では」
ぺこりと下げた頭が上がるときには満面の笑みがあった。
その顔を呆然と見送り、扉が閉まってから我に返った。
「そうか」
どうしてそんなに念を押されるのか。それには議会が決定した内容にある。
スノーリルに出されている最初の議会の決定とは…。
ディーディランに到着の日より三ヶ月の滞在。
皇太子と面会する時は公の場であること。
候補以上の扱いはしないこと。
と、大きく三つ。
もちろん、軍に直結しているギリガム大臣や、筆頭大臣など数名はスノーリルがディーディランにきた本当の理由を知ってはいるが、それ以外の者は真相を知らないままなのだ。
皇太子に近いアトラスですらその真相にはたどり着いていないはずだ。
「参ったな」
つまり今後もスノーリルに会うには人目を避けねばならないということだ。
想いが通じたと思った矢先にこれだ。
だが、議会に思い切ったことを言えば、それだけスノーリルの立場が悪くなる。それどころか、さっさと帰らせることだって考えられる。
それだけは阻止しなくては、あれだけ必死で引き止めた意味がなくなる。
「どうするかな」
机の上にある書類など視界の隅に追いやって、これからどうするかを考えだした。
◇◇ ◆ ◇◇
この報告はその日の午後にスノーリルの元にも届けられた。
「そう」
報告を聞いたスノーリルは一言だけそういうと、すぐに手元の本に視線を戻してしまった。
「まあ、わからないでもないですけど。クラウド王子は何も言ってはこないのですか?」
「王子からは特になにも。大臣たちからの提案が一つ。トーマス殿たちを帰してしまったから、護衛に数人寄こしてくれるそうよ。それと、スノーリル様」
「なに?」
「あの離宮にまた移動になるそうです」
「え! あそこにですか!?」
反応を示したのはマーサだった。最初にあてがわれた離宮にはあまりいい思い出はない。しかし、スノーリルは落ち着いたものだった。
「この部屋は王家に近いものね。エスティも居ないし、危険もなくなったはずだし、それに…」
できるのなら王家に不吉な"白"を近づけたくないだろう。そもそも最初に離宮をあてがわれたのもその要因が強い。
「荷造りしてある今なら移動は簡単でしょう? 荷物は少ないし、楽でよかったわね」
「姫様」
にこやかに返事をよこした姫君に、侍女のマーサは深いため息と共に批難を声に出した。
「だってマーサ。私はただの国賓だもの」
「姫様は花嫁候補なのですよ?」
「それよね。エスティが帰ったから、きっと私の滞在中…いいえ。もうすでに二人か三人に声がかかっているんじゃないかしら?」
それは大いに在り得た。
不吉であるとされる"白異"を長く国に留めたくないだろうし、もしクラウド王子の目に留まったりしたならば大変なことになると考えるのが普通だろう。
「時すでに遅し、ですけどね」
マーサは呆れたようなため息を落として窓の外を見やる。
「そうでもないわ」
ぽつりと洩れる言葉にマーサはスノーリルに視線を移す。白い髪のお姫様は自分の髪を一房摘まんでくるりと指に絡ませた。
「クラウド王子の好きは、私の好きとは違うかもしれないもの」
「スノーリル様…」
どこか咎めるようなマーサの声に、スノーリルはくすりと笑う。
「別にそれでもいいの。私が好きならそれでいいじゃない」
ね? と小首を傾げて執事に尋ねると、執事も苦笑して頷いた。
「私は納得できません」
マーサだけは腰に手をやり憤然とした。
「でもね、もし私が皇太子妃になったとしてよ? それはそれで問題があるに決まってるわ。ディーディランには後宮があるんだし。それに、私に求められている事はもっと別な事な気がするの」
なんとなくだけど。
そう呟いてまた視線を本に戻す。
ちらりとカタリナとマーサは視線を交わす。
こういう勘はスノーリルの専売特許だ。
「お茶にしましょうか」
「そうね」
カタリナが言うのに頷き笑顔を見せる。
できれば、ずっと。
そう願うのは自分たちばかりではないと、そう信じたい。