|| TopBackNext
09
 ミアが皇太子付きの侍女になってから、早三ヶ月が過ぎようとしていた。
 ここ最近の皇太子付きになった女官が二ヶ月足らずで辞めていたことを考えれば、ある意味ミアは上手くやっていると言えた。
 噂や嫌がらせはそれなりにあったが、元王女付きでもあったミアを悪く言う侍女も少なく、女官たちには、没落貴族なのだからそもそも対象外なのだろうということで落ち着いたようだった。
 表面上は穏やかに過ごしているミアは、その日もいつもと同じように働き出していた。
 相変わらずの日課に始まり、ここ最近はハロルドが忙しいといって朝に来なくなった。そこで一緒に食べるのを止めようとしたのだが、エディウスが一度に済ませたほうが楽だろうと言ったので、結局二人で一緒の朝食を摂っている。
 これが侍女や女官に知れたら大変なことになるだろうなと思わないでもないが、これで少しでもエディウスの女性不審が除けるのならと腹を括った。
 時々はハロルドもやってくることもあり、三ヶ月の間特に問題もなく平和に過ぎていた。
 
 今朝は五日ぶりにハロルドがやってきて一緒に食事をしたのだが、その席で今日はアハナンからの使者がくると話しに聞いた。
「聞いてないぞ」
 報告にそう眉を寄せた主に、ハロルドは肩をすくめて答えた。
「昨日の深夜に連絡があってな。今頃港についているはずだ」
 アハナン国からディーディラン国へは海路で二週間は掛かるはずだ。それが昨晩連絡があり今朝には港についているという事は、彼らは旅立つ前に連絡は寄こさなかったということになる。
「急なのですね」
 エディウスも皇太子として会うのならば、衣装をそれなりに用意しなければならない。たまにこうした急を要する来客があるため、さして騒ぎ立てたりすることもないのだが、侍女のミアとしてみれば、やはりもう少し早く知らせて欲しいと思う。
 ミアの呟きにハロルドはにやりと口元を歪めた。
「さて、何を言ってくるかな」
 その笑みはすぐに口にした茶器で隠れてしまったが、視線を主に向けると眉を寄せてハロルドを見やっていた。こちらは面白くなさそうだが、それはきっとハロルドの笑みへ向けた表情だろう。
「ミア。今日の謁見は使者だけだ。姫の謁見は明日くらいだろうから、それまでに準備してくれればいい」
「姫?…マリンナ王女がきているのですか?」
 たしかアハナン国に姫は一人しかいないはずだ。
「そういうことだ」
 ハロルドの言葉に驚いて尋ねれば肯定が返ってくる。
 アハナンの姫が来て、こちらの皇太子に会うという事はつまり、言うところのお見合いだ。しかし、事前連絡もなしに姫がくるなどあまり良い雰囲気ではない。
 こちらを試しているのか、あるいは何か企てがあるのか。
 ディーディランは大国だ。敵も多い。今も小競り合いは絶えないし、実際に規模は小さくとも戦争になっている場所もあるが、実戦よりも多いのが政治的な揺さぶりだ。
 今回のアハナンの行動もそれに相当するような感じだ。
 ただ、政治に絡んでいないミアには彼らの目的が何かはわからない。姫が来るという事は、アハナンはディーディランとの婚姻で何かを得ようとしているのだろうが、何かなどあり過ぎるほどある。
「しばらくは平和でしたのに」
 思わず洩れた本音とため息に、ハロルドはくすりと笑う。
「これからしばらくは大変だな。まあ、エディウスにそういう話がくるってことは、ミアの功績と言ってもいいと思うが」
 確かに、ここ最近は女官たちもいやに優しい態度で接する者たちが増えた。それはつまりミアへの心象をよくしようということだ。つまるところエディウスからの自分たちの評価にも繋がる。
 そんな事が増えてきたのは、ミアが女嫌いとされる皇太子の側に三ヶ月もいるということが大きな要因の一つだ。女官長と侍従長の作戦は功を奏したといったところだろう。
 そこへ持ってきて他国の――それほど強くはない国の――姫が来るとなれば、国内の上位貴族が黙っていないだろう。
 間違いなく彼女たちやその親たちが動くに決まっている。
 ミアの危惧はそれによるエディウスの精神状態だ。また女性不審に陥ってもらっては困るのだ。内心ため息ものである。
「衣装などは適当でいい。どうせ表面上のものだろうからな」
「そうなのですか?」
 エディウスの言葉に対し、ハロルドに問うと彼も頷いた。
「まあ、今回の訪問は表面上だろうけどな。アハナンの姫に惚れないとは限らないだろう?」
「…美人ならしいからな」
「そうそう。その逆もあるしな。というか、絶対に逆になるほうに賭けてもいいぞ」
 にやにやと笑うハロルドの表情など全く見ずに食事を続けるエディウスは、一つため息をついた。ハロルドに呆れてというものではなく、煩わしくて仕方がないといった感じで、ひどく面倒くさそうであった。
 
 そんな食事を終え、午前中の仕事を片付けると、ミアは明日のエディウスの衣装を調えるために衣裳部屋へと足を運んだ。
 皇太子付きの侍女がミアしかいないのだから仕方がないが、全てをミア一人でしなくてはならない。そのことで女官長とも話をしたりと、いつもより少し行動範囲が広がっていた。
 途中、謁見の間に続く廊下のほうが騒がしかったのはおそらくアハナン国の使者と姫がやってきたからだろう。
 侍従の姿が多いのは件の姫を見にきているからのようだ。
「お前は見たか?」
「ああ。見た。かなりの美人だったぞ」
「でも異称は聞かないよな?」
「そうだな。サイアレグナの"仄華姫"や、ミストローグの"蜜輝姫"には及ばないってことじゃないのか?」
 異称のある姫は他にもいるが全てがいい意味で付けられているわけではない。しかし、異称がつくほどの美姫となれば、それはかなりの美女であるということである。
 噂されているように、アハナンのマリンナ姫に異称はない。しかし、それでも美人だというのだからよいではないかと思わないでもなかった。
 侍従たちの噂はもっぱら姫のことであったが、侍女たちはまた別だった。
 同じようにあちこちに固まって頬を染めた侍女たちの噂は、どうやら先触れできた使者の男性のことであるようだ。
「見ましたか?」
「ええ! 聞いていた通りの素敵な方でしたわ」
「どうしたらお近付きになれるのかしら?」
「あら、あれほどの殿方でしたらすでに奥方様がいらっしゃるわ」
「私は愛妾でもいいわ」
「まあ! でもわからないでもないわ。本当に素敵な方でしたわね〜」
 短い噂に聞く限りではかなりの男前だということだが、騒いでいるのは若い侍女ばかりで、女官たちには噂の対象にすらなっていないようだった。
 一人忙しく働いているミアはそんな事は二の次で、明日までにしなければならないことが多くてとても周りと話している暇はなかった。
 色々と準備に話を聞きに行った女官長は少し様子が違ったように思ったが、この急な訪問に彼女もいつも以上に忙しかったので、やはり話す時間はなかった。
「ミアさん」
 そう呼び止められたのは皇太子の部屋へ続く廊下の一歩手前。男性の声で振り返ると、交替に来た衛兵の一人だ。
「お疲れ様です」
 にっこりとそう挨拶をすると、律儀に「お疲れ様です」と言葉を返してくれる。
「先ほど、クロチェスター様がミアさんを探していましたが」
「そうですか。どちらにいらっしゃるかわかりますか?」
「会ったのは中央廊下ですから…おそらくアルジャーノン大臣の執務室に行かれたのではないかと思います。そこにいるかはわかりませんが」
 中央廊下とは謁見の間に続く廊下だ。ここからだと少し離れている場所であるが、遠いと言うほどではない。対してアルジャーノン大臣の執務室は遠いと言っていい場所だ。急いでいけば、まだ執務室にいる可能性は高い。
「わかりました。ありがとうございます」
 ミアはその情報で、とりあえずハロルドに会うことを優先させた。
 ここ三ヶ月。ハロルドがミアを探す必要はなかったし、ミアに用を言いつけることもなかった。それが今回は誰かに尋ねるほどミアに用があるのだろう。今までなかったことを考えればそちらを優先させるのに躊躇いはない。
 しかも今は忙しい。その原因を考えれば、どうしても行く必要を感じた。
「アルジャーノン大臣の執務室は…」
 頭の中に城の地図を引っ張り出してできるだけ最短距離を導き出す。忙しいのはミアだけではなく、城詰めの侍女や侍従は皆忙しいだろう。そうすると裏側を通るより表側を行ったほうが早い。
 ミアは今来た廊下を歩き出した。
09
|| TOPBackNext