主人であるエディウス王子は、どうしても自分でなければならない事以外は補佐であるハロルドにやらせている。そして自分は私室からほとんど動かない。
なので、ミアの仕事の場はほとんどがエディウスの私室である。しかしその私室での仕事もあまりない。
特に一通りの仕事を終え、主人が部屋にいない時は侍女部屋に下がる。
ここで一つだけ問題があった。
皇太子の私室近くには護衛部屋はあるのだが侍女部屋はない。その代わりに女官部屋が一つある。それは言うに及ばず、通いやすいためだ。
ミアは侍女であるため、例に洩れず王城の侍女部屋を使っているのだが、問題というのは、ミアが唯一の皇太子付きであるという事実だ。
噂好きの侍女たちを毎日相手にするのは大変だし、何より秘密が守られ難いということだ。ミアの行動一つで噂を膨らませる侍女たちのことを考えて行動するのはとにかく大変である。
特に引きこもりの王子様だ。何があってもおかしくない。そして、その醜聞を待ち望んでいる女官は多い。
一週間が経ち、その辺りの事情を痛感し始めた頃、女官長に呼び出された。
童顔の女性は部屋を訪れたミアへ一つ笑みを向け頷いてみせた。
「わかっているようですね」
開口一番にそういわれ、ミアは苦笑するに留め女官長の言葉を待った。
「ミア。貴女には部屋を移動してもらいます。場所は女官部屋――と言いたいところですが、それでは貴女の立場がますます悪くなります。侍従長とも話したのですが、侍従部屋も空ですのでそこへ入ってもらいます」
護衛部屋と女官部屋の隣に侍従部屋がある。
「女官部屋と比べるとあまり居心地はよくないかもしれませんが」
「侍女部屋とそう変わりないです」
侍従部屋は男の入る部屋であるためかなり簡素な作りではあるが、王城の侍女部屋もそんなものだ。行く場所のないミアはそもそも贅沢を言う立場ではない。
「これで少しは寛げます」
ミアの答えに女官長も微笑んで見せた。
さっそくその日のうちにミアは王城の侍女部屋から、皇太子付きの侍従部屋へと引越しをすることになった。
「なんだかここのところ荷造りばかりしてるわ」
ほんの二週間前は後宮にいたのが、ずっと以前のことのように感じるほどこの広い王城のあちこちへと移動している。
「これを最後にしたいわ」
ミアの家は没落しているため荷物は女官の比ではないが、ミアの生活の全てが侍女という職にあるため、運び出す荷物は生活様式全てで、かなりの荷物である。それでも少ないのはかさ張るドレス類がないからだ。
さすがに皇太子付き侍従部屋は綺麗に清掃されていて、運んだものを片付けるのは意外に簡単だった。男の服と女の服では保管方法が違うため、そこだけは片すのに手間取った。
この日はエディウス王子にも許可をもらい、朝以降の仕事を休ませてもらっていた。
「片付いたみたいだな」
このくらいの片付けは一人で間に合うので手伝いは呼ばなかったため、一人で作業している部屋に声がしてミアは驚いた。
その声に視線をやると、よく見知った濃い灰色の髪の青年が立っている。
「エディウス様! このようなところに…いいえ、何か御用ですか?」
何でも一人でするエディウスがミアに格別用があるとは思えないが、とりあえず聞いてみた。
ミアの言葉にやはりというか、当然というかエディウスは「いいや」と否定した。
侍従部屋を見回しながら部屋へとずんずん入ってくるのを、ミアは止めることなくただ見守っていると、くるりとこちらを振り返った。
「食事もここか?」
その言葉に一瞬首を傾げたが、ふいに笑いがこみ上げてきて、くすくすと笑ってしまった。
「それはハロルド様にお聞きください。私は控えの間でも、ここでも、どちらでもよいのですから」
エディウスはハロルドを決して嫌いなわけではない。ただ苦手なのだ。
結局あれからハロルドはミアも座れるようにと、少し大きめのテーブルをエディウスの私室へ運び込んだ。そしてここ五日は強制的にそのテーブルで三人の食事となっている。
にこにこと爽やかに毒を吐くハロルドと、黙って冷気を吐き続けるエディウスに囲まれて、穏やかに笑っていられるのはミアくらいなものだろう。
毎朝のことで、ようやくミアも対処の方法を身につけた時期で、ここ最近はあまり苦にすることなく食事をしているが、一人でゆっくり食事をしたいエディウスは、ハロルドとミアとの食事はあまり好まないのだろう。
「俺のほうが立場は上なはずなんだがな」
明後日の方向を向き、ぼそりと呟いた一言が今後の食事の行方を物語っており、ミアはさらに笑いを深くする。
ミアが来てから、いくらエディウスが「うるさい」「くるな」と言ってもハロルドはどこ吹く風で、ミアが侍従部屋に落ち着いたからといって朝の騒がしい食卓が変わるとは思えない。
珍しげにあちこち見て回るエディウスに、しばらくミアはその場に立っていたが、特に何をするでもないエディウスを放ってミアは片付けを再開した。
「ミアはハロルドを知っているんだな」
「はい」
質問に答えながら視線をやるとエディウスは窓の外を見ていた。
「親しかったのか?」
「……ハロルド様は姉の婚約者でした」
少し考えてからの答えにエディウスが体を反転させ、ミアに視線を向ける。
「いつの話しだ?」
「四年前です。ご存じないのですか?」
あれほど仲がいいのだから知っているのだろうと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。それとも、個人的にはそれほど親しくないのかもしれない。
片付けの手を止め、ミアもエディウスに視線をやると、床に視線を落としてなにやら考えている風だった。
「四年…だった。ということは、ハロルドが振ったのか? 振られたのか?」
「いいえ。姉が亡くなりましたので」
にっこりと微笑むミアの口から出た言葉に、エディウスは表情を硬くした。
「必然的に婚約の話は立ち消えて…。まあ、それが原因ではないですが、メディアーグ家は一気に衰退しました。姉の存在は、メディアーグという家には大きな存在だったのだと、亡くなってから気づきました」
それだけで一つの家が没落するかと言われれば否と答える。特にメディアーグ家は貴族の中でも名門と言われた家だ。一人の娘が支えていたわけではない。
何かを隠しているのは明白だったが、それを聞き出すにはまだ日が浅い。
エディウスもメディアーグ家が没落した話は聞いたが、原因までは聞いていないのだろう。一言「そうか」と告げただけでこの話はここまでになった。
「ローズの侍女になったのはいつだ?」
「三年前です」
仲は悪くないが、エディウスが皇太子という立場であるためか、あまり妹のローズアンナとは会う機会がないらしい。それでもこういう所はよく似た兄弟だと思う。
「エディウス様。そういう事はハロルド様か、女官長や侍従長にお聞きになったほうが早いですよ」
本人に直接聞くのは意外に勇気のいることだ。特に過去に何かある場合。口は堅くなるだろうし、不興を買うこともある。何より警戒されてしまってはその後の話をしにくくなるだろう。
普通はそれらを恐れ、本人の周囲から情報を集めるものだ。
「聞かれたくないこともあるだろう? それは本人しかわからない」
だから直接確認にくるのだ。何がダメで、何がいいのか。
「だから俺は皇太子には向かない」
窓枠に背を預け、ため息混じりに呟くその声が、どこか悲しく憂いに満ちていて、思わずその顔を凝視してしまった。その視線に気がついたのか、ふいに上げられた視線とぶつかった。
「ミアは不思議だな」
「はい?」
何のことかわからず聞き返すとふわりと微笑まれ、さらに何のことかわからず言葉を続けようとしたところでエディウスが窓枠から離れた。
「邪魔をしたな」
「いいえ。お茶もお出しせずに失礼しました」
本来なら主が来て、何もしないなんてありえない。しかしそれを気にする人物でないことを一週間になる付き合いでわかっていた。
部屋から出る主に頭を下げて送り出すと、扉を閉める前にエディウスが真面目に話しかけた。
「朝食は一緒でもいいか?」
「ハロルド様と二人ではお辛いでしょう」
ミアの返事にエディウスが笑い、扉が閉められた。
しばらくその扉を見つめていたが、ふと首をかしげ目を瞬いた。
「もしかしたら、それが用件だったのかしら?」
それを思うとやはり笑いがこみ上げ、そこまでハロルドが苦手な理由はなんなのか、あの性格だけのせいではない気がして、明日の朝食を少しだけ楽しみに思った。