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03
 二人の食事が終わり、ミアがお茶の用意を始めるとハロルドが立ち上がった。
「ミア。食事が冷める。これは俺がやるから」
「そうですか? では、お願いします」
 ミアが来る前は当たり前のようにお茶を淹れていたハロルドである。ミアも彼がそう言い出したときは大人しく引き下がることにしている。
 彼らが食べた後の食器をとりあえず一つにまとめ、一つだけあまっている食事をもって引き下がろうとすると、その食事をひょいと取り上げられた。
「あの?」
 食事を取り上げたハロルドはにこにこと微笑み、先ほど自分が食事をしていたテーブルに食事を並べ始める。
「ハロルド様!?」
「はいはい。ここに座って」
「いけません! ハロルド様! 何を考えていらっしゃるのですか!」
 必死の抵抗も空しく、強制的に椅子に腰掛けさせられる。
 侍女が主と同じ席で食事をするなど言語道断である。
「大丈夫。俺たちしかいないし、ミアは階二位の貴族だぞ? 本来なら侍女の立場なんてありえないんだ。それにこいつが何も言わなければ文句はどこからもでない。な?」
「ああ」
 ハロルドの問いにミアの主であるエディウスも同意する。
 自分より身分の高い彼らにやり込められ、ミアは反論を諦めのため息に変えた。
「お二人が揃うと怖いものなしですね」
「そういうこと」
 にこやかなハロルドに、しかしミアは釘を刺すことを忘れなかった。
「ハロルド様。私の主を「こいつ」呼ばわりするのは止めて下さい。女官長にいいつけますよ」
「ミア〜。もう少し俺にも優しくしてほしいんだけどな」
「しなくていい」
 ハロルドのいじけた発言をエディウスがすっぱり切り捨てた。
 

◇ ◇ ◇

 
 賑やかな食卓を終えると、二人はすぐに今日の面談の相手に会うべく部屋を出て行った。
 ようやく一人になったミアは息を吐き出して広い部屋を見渡す。
 皇太子の私室は意外に物が少ない。必要最低限のものしか置いてないので、広い部屋がさらにだだっ広く見える。
 この三日で主についてわかったことは、無駄が嫌いな人であること。本の虫であること。ハロルドが苦手なこと。それともう一つ…。
「あの噂ってどこからきたのかしら?」
 エディウスは女嫌いというのは嘘だ。
 その噂がもとで補佐をやっていたハロルドと恋仲なのではから、どうやら恋人らしいとまで噂が発展した。
 食事を片付け、一通りの侍女としての仕事を終えると移動式のテーブルに片付け物をのせて廊下を移動する。
「ご苦労様です」
 廊下の前に立っている衛兵にあいさつすると、彼らも小さく一礼する。
 ローズアンナは後宮に住まっていることもあり、衛兵がいることはなかったのでこの光景は少し見慣れない。なのでどう接していいのかいまいちよくわからない。それでもあいさつをすると返してくれる律儀な彼らには好感を持った。
 ガラガラと音を立てテーブルを押し、給仕室へと向かう。
「ミア」
 声をかけられ振り向くと、そこに女官長が立っていた。
 御歳五十を迎えると聞いたが、どう見ても三十の後半にしか見えないほどの童顔の女官長は今日も柔和に微笑んでいた。
「パトリシア様。おはようございます」
 こちらも笑顔を返し、腰を折ってあいさつをする。
「おはよう。どう? エディウス様は」
「はい。今日もご機嫌斜めです」
「まあ。ハロルド様に何か進言せねばなりませんね」
「無駄だとは思いますけど、よろしくお願いします」
 そんな会話をしながら使った食器類を所定の位置に置き、洗い物を篭に入れる。
「ミア。少しお茶でもしませんか?」
 女官長からそんな誘いを受け、ミアは首をかしげた。
「エディウス様はしばらく戻りませんでしょう?」
「はい」
 ファントゥ大臣との話はいつも長い。女官長もそれを知っての誘いだ、ミアも笑顔で頷き、女官長の後をついて歩く。
「どうですか? 仕事は」
「はい。ローズ様の時より楽になりました」
 エディウスは手のかからない主だ。本で山を作るのは止めてもらいたいが。それ以外はミアに面倒な事はさせない。なにより、お茶会を開いたり、着飾ったり、珍しいものに興味を持ったりしないのでミアが奔走する事がない。
 通された部屋で女官長手ずからお茶を淹れてもらい庭園を見やる。
 今日も洗濯日和で、城の裏手にあたるここからは洗濯物がびっしりと干されている光景が広がる。
 かちゃりと茶器の置かれる音で視線をテーブルに戻すと、女官長も席に着くところだった。
「さて、ミア。何か質問はありませんか?」
 三日。それだけあれば何か疑問があるだろうと、童顔のせいか身近く感じる女官長が母親の笑みを浮かべミアを見る。
「はい。エディウス様の噂について、少々。後宮にいたのでその辺りの話はどうもよくわからなくて…侍女たちの話はおそらくほとんどが面白可笑しく作られた話でしょうから」
 噂の核はエディウスが失恋したこと。これは後宮にいる時も聞いた。
 その後の付属の話はどうしてそうなったのかがわからない。ハロルドは確かエディウスが失恋する前から補佐をしているはずだからだ。それに、あの二人を遠目に見ている限りでは仲がいいとは決して言えない。エディウスの態度を見ると、ハロルドを鬱陶しく思っているとしか見えないからだ。
「実際仲は大変よろしいお二人ですが、あの噂に発展するには弱いです」
 失恋したエディウスをハロルドが慰めたと解釈したとしても、女嫌いはどこからきたのか。
 ミアのそんな疑問をしっかりと読み取った様子の女官長は、お茶を一口含み、ゆっくりと茶器を戻した。
「エディウス様が失恋し、部屋に閉じこもったことは知っていますね?」
「はい」
「私たちもしばらくはそっとして置こうと思いました。しかし、エディウス様は皇太子です。やっていただかなければならない事はたくさんあります。補佐のハロルド様だけでは前には進めないだろうと思いまして、女官を何人かつけました」
 何でも自分でしてしまうエディウスには元から女官はついていなかった。侍従や侍女もしかり。
「他にも女性はいるんだと思い出していただきたかったのですが、どうやらそれが裏目に出てしまったようです」
 ミアが首をかしげると、女官長は重いため息を吐き出した。
 それで何があったのか大体を察した。
 女官になるのは上位貴族の息女だ。身分のある男性に見初められることを望み、またそれを現実にしたいと願う女性が大半だ。
 そんな彼女たちにとって皇太子のエディウスは魅力的な男性第一位なはずだ。容姿は問題ないし、皇太子という地位は絶対的なものだ。彼の手がつけば一生苦労はしないし、もし別の貴族に嫁ぐことになったとしてもその事実は優位に働く。
 しかもエディウスは失恋したばかり。つけ込むなら絶好の機会だ。
 そこまで考え、ミアも重いため息を吐き出す。
「女性不審、なのですか」
「簡単に言えばそうですね。エディウス様も子供ではありません。最初はそれでもあしらっていたようですが、そのうち理由もなく女官を変えてくれと…その時に気がつくべきだったのです」
 自分の失態だと女官長は眉を寄せる。
「あの、いったいどのくらいの方が」
「五人です」
 皇太子につく女官だ。もちろん厳選されるし、身分も高いものから選ばれる。一年という期間で五人とは少ないほうであるが、エディウスに関して言えば、かなり多い人数といえるだろう。
「教養、容姿共に自負のある方たちばかりです。そのうち三人は家長から命まで出されていたようですから、必死にもなりましょう」
 後宮のあるこの国では正妃という地位は絶対だ。それ以外は身分があっても決して正妃と同列に配することはない。しかし、後宮があるからこそたくさんの女性が群がってくるのも事実で、だからこそ厳選している。
 だが、今回はそれが逆にまずかった。
 エディウスは失恋したばかりで、できれば女性とは一線を引きたかったのだろう。そこに我こそはと思う貴族の息女が無理やり押し入った。
 その結果、玉砕し、その事実を彼女たちが真実を曲げて伝えたのだろう。
 拒まれたことで高い矜持が傷つき、その腹いせと自己弁護のために。
「学んだ教養とはなんでしょうか」
 そんな呟きが洩れるほどげんなりした。
「欲とはそういうものです」
 女官長の静かな声がどこか冷たさを持っていて、ミアはこの童顔の女性がこの件についてかなりご立腹なのだと知った。
「地位などいつひっくり返るかわからないものでしょうに」
 元上位貴族のミアには地位とはあまりいいものとして映っていない。むしろ不幸をもたらす要因のほうが強い。特にここディーディランでは王家ですらそれは言える。とても脆く不安定な国だ。
「だから、貴女を選びました」
「え?」
 過去の亡霊に捕まっていたミアに、女官長の声が現実へと引き戻す。
「あそこまで酷い噂を立てられては男性を付けるわけにはいきません。かといって、下手な女性ではエディウス様が落ち着かない。地位が高く、王家に慣れ、自分の立場を十分理解でき、尚且つ家の心配を必要としない人物」
 それだけ条件を当てはめて探した結果、適任者がすぐ近くにいた。
「家の心配ですか。確かに私には心配する家はありません」
 没落貴族が家を再興する条件は、嫡男がいることだ。ミアの家に男はおらず、また父方の親類は皆縁を切っている。
「それに、貴女はローズ様という前例を見事に立ち直らせました。そこが一番の決め手です」
 女官長の微笑みに、ミアもくすりと笑った。
「本当によく似たご兄弟です」
「しばらくの間、エディウス様をよろしくお願いしますね」
「はい。できる限り頑張らせていただきます」
 女官長に頼まれ、ミアは姿勢を正して頷いた。
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