いつものように侍女部屋で同僚の侍女たちとおしゃべりをしつつ、遅めの朝食をとっている時だった。
「ミア・メディアーグ。クレメンス様がお呼びです」
呼ばれることには職業柄慣れてはいるが、それでも少しだけ首を傾げてしまったのは、あまり接触の無い人物に呼び出されたからだった。
クレメンス様は侍従長であるが、男の仕事と女の仕事は基本的に違うこともあり、ミアの直属の上司は女官長である。そのため、めったに侍従長には呼び出されることはない。
呼びにきた女官について歩き、向かった場所は侍従長の執務室である。
「クレメンス様。ミア・メディアーグをお連れしました」
女官が声をかけると中から侍従が現れ扉を開けて、中に入るように促した。
「ミア・メディアーグです」
「おお、来ましたな。こちらへ」
「はい」
執務室へ入り声をかけると、書類の沢山乗った机から顔をあげて反対側にある応接用の椅子へ座るように示す。
ミアはそれに従い腰掛けると、真正面に侍従長が腰掛けた。四十を半ば越えた侍従長は娘くらいの年であるミアをじっと見つめて、何かを検分しているようだった。
その視線にミアは何も言わず、ただ侍従長が話し出すまで待った。
「ミア殿は王女付きの侍女になってどのくらいだったかな?」
「三年と少しです」
「三年…あれからもうそんなになりましたか」
「…はい」
父のように微笑む侍従長にミアは目を伏せた。
「さて、呼び出された用件は何か、予測はできているかな?」
「いいえ」
ミアは首を横に振って答えた。侍従長に呼び出される覚えは全くない。
「私に何か落ち度が?」
考えられるとしたらそのくらいであるが、侍従長は微笑みながら首を横に振って否定した。
「その逆です。女官長が優秀だと言っていたので是非にと思ってね」
「?」
優秀だといわれてもミアは王女付きの侍女としてただ働いているだけだ。それ以上のことをしたことはないし、女官長の目に止まるような事もしていない。
「あの、是非にといいますと…」
「エディウス王子の噂は耳にしているかな?」
「はい。城中その噂で持ちきりです。ローズ様もご心配なさっていました」
ローズというのはミアが仕えている主、ローズアンナ王女のことである。エディウス王子とは同じ母を持つ兄妹であるため、噂にも渋い顔をしていた。
◇◇ ◆ ◇◇
「ミア。貴女は聞いた?」
「はい?」
お茶の時間に主の部屋に一歩はいると、むっつりと不機嫌な王女様に出迎えられ、開口一番そう聞かれた。
お茶を淹れながら聞き返すミアへ、ローズアンナは眉を寄せてじっと見つめてくる。
その様子から何となく、何を聞いたのかわかった。
「エディウス様の噂ですか?」
「そう! それよ! ミアはどう思う?」
「そうですねぇ。噂になるほど仲がよろしいのは確かなようです」
「ミアは信じるの?」
「私はお会いした事はありませんので」
実際、ミアはエディウス王子を見た事はない。ゆえに、広まっているその噂が本当であるかどうかの判断材料も無い。
「でも、ハロルドなら知ってるでしょう?」
「はい。でも、彼ならありえないとは言い切れません」
「っ…そうなの!?」
ミアの返答に驚愕の声をあげ、ローズアンナはミアに詰め寄った。
「た、確かに。そういう噂の多い人だけど! でも、でも、まさか、そんなこと…」
母親譲りの若草色の瞳は「嘘だと言ってくれ」と語りかけている。しかし、それを完全否定できない悲しい事実もある。
「私も、ハロルド様は女好きだと信じたいですが」
苦笑するしかない。
城中に広まっている噂というのは他でもない、エディウス王子と補佐であるハロルドができているのでは? というものだ。
しかし、ここ最近ではさらに尾ひれ背ひれがつき「エディウス王子は男しか愛せなくなった」ということになっている。
「エディウス様こそどうなのですか?」
「兄上? わからないわ、でも女性が対象だったはずよ。……一年前までは確実に」
そこまで言って、ローズアンナはため息をはきだして、お茶に手を伸ばした。
一年前。エディウスには好きな人がいた。もちろん女性だが、酷い失恋をし、そのせいで今は部屋に引きこもっている。皇太子であるにもかかわらず、公の前にはほとんど出てくることなく、一ヶ月の大半を自室の中で過ごしている。
それでも公務には出ていたのだが、ここ二ヶ月、ついにその公務へも出てこなくなったらしい。
「アルジャーノン大臣が嘆くわけよね」
まるで他人事のように呟きながらお茶菓子を口に運び「おいしい!」と悲鳴をあげた。
「ローズ様もあまり人のことは言えませんからね」
失恋でローズアンナも一時期部屋から出てこなかったことがあることを言っているのだ。
「私はちゃんと克服したもの。ミアだってちゃんと知ってるじゃない」
「はい。よく似たご兄弟だと思います」
「否定はしないわ」
ミアの言葉に苦笑して、ふと真面目な顔を作る。
「でも、兄上のほうがずっと重症よ」
「…そうですね。誰かが側にいるといいのですけど」
「私にミアがいたように?」
「はい」
「それがハロルドで、今問題になっているのよ」
「そうですね」
口を尖らせて言うローズアンナの言葉にミアは納得したような、今気がついたような笑みをこぼす。
「ハロルドが女性なら問題はないのよね〜」
どこか憂えたような、遠くを見つめる瞳でため息をついた。
◇◇ ◆ ◇◇
そんなローズアンナとの会話を思い出す。
「あの、まさかと思いますが」
少し眉をよせたミアの言葉の先を侍従長は笑顔で頷いて肯定した。
「その、まさかです」
絶句とはこういうときに使うのだろうと、そんな全く関係ない事を思うくらい現実から逃げたかった。しばらく自分に求められていることを思案し、それから目を閉じて息を吐き出した。
「あの、クレメンス様。一度はっきり言葉に出しておっしゃっていただけますか?」
「命令があれば文句はないですか?」
「それは聞かなければわかりません」
自分の思っていることと、侍従長が下す命令はもしかしたら違うのではと、少しだけ期待したのだが、自分の言語理解力のよさを呪った。
「では。ミア・メディアーグ。貴女には明日か皇太子エディウス殿下の女官として働いてもらいます。もちろん、女官長の許可はすでに下りているし、ローズアンナ様の許可も得ています」
「もちろん、私に拒否権は」
「存在しません」
にっこり微笑む侍従長はいっそ清清しいほどきっぱりと言い切った。
しばらく考え込んで、ミアは一つだけどうしても聞き入れられない事項があることに気がついた。
「あの、クレメンス様。侍女としてではいけないのですか?」
「侍女、ですか?」
同じようではあるが、侍女と女官では全く立場が違う。
一般的に女官は上級貴族の息女がなる事が多く、礼儀作法を学びに王城へとやってくる。その中で結婚相手を見つけたり、見初められたりというのが家を継がない貴族息女の習わしとなっている。
そして、その下についているのが下級貴族の息女たちである。彼女たちも女官とほぼ同じではるが、どちらかといえば女官に仕えているような感じである。下女の上ではあるが、彼女たちと同じように使い走りにされることがほとんどだ。
侍女より女官のほうが格段に扱いがよく、主に伴いお茶会などにも参加が許されている。
ミアの申し出に侍従長は考える顔になる。
「侍女でもよいのですが、いざという時は女官でいてくれるほうが助かるのです。それに、貴女の元の称号は"ニィ"です。女官として働いていても誰も文句は言わないと思うのですが」
「クレメンス様。私の家は没落しました。今ここにいることができるのはローズアンナ様のおかげです。それだけでも恐れ多いことだと思っているのです。その上、皇太子付きの女官など、身に余ります」
「では、侍女としてならエディウス様のところへ行ってくださるのですね?」
やんわりと無理だと断ったつもりだったのだが、侍従長はにっこりと微笑み条件を変えた。
「それは…」
はっきりと拒否権はないと告げられている。
そもそも、化かしあい百戦錬磨である侍従長に敵うわけもないのだ。そして、もしかしなくても決定事項を告げられている。
「侍女としてでしたら」
ため息交じりの答えに侍従長は笑顔で頷いた。
「では、決まりですね」
そいうと扉が開かれ、案内の女官が現れた。
「ものすごくはめられた気分ですが」
「気のせいですよ。では、エディウス様のこと、よろしくお願いします」
そして、その日のうちにミアは後宮から王城へと異動になった。