早朝。
まだカーテンがされ薄暗いその部屋に入った瞬間。侍女である彼女の口からため息がもれた。
「はぁ。ここまでくると、いっそ見事としか言いようがないわね」
しかしそれは、決して感嘆からもらされたものではない。
部屋の扉を片手にうな垂れたが、次の瞬間には意を決したように顔を上げ、ずんずんと歩を進める。
その先に大きなベッドと、山になっている何かがあった。
その何かに躓かないように気をつけながら窓へと近づく。そして一気にカーテンを取り払った。
大きな窓から差し込んだ光にわずかに目を細めてから、彼女ミア・メディアーグはベッドへと目を向けた。
「おはようございます。エディウス様」
ベッドの上にいる主に向かいそう声をかけたが、主は一度ごそりと動いたきり返事を返すことはなかった。
起きる気配すらない主の様子に、ミアは足元を見下ろした。
薄暗い中で文字通り山になっていたそれは本である。まるで本棚をひっくり返したような散らかりようだが、実は昨日も同じ光景が広がっていた。
ミアは侍女である。主が読み散らかした本を片付けるのは彼女の仕事で、昨日ももちろん全てを本棚へ片付けた。
しかし、一夜明けてみればこの有様である。それはため息も出るだろう。
ミアはとりあえずその山になっている本を、これ以上崩れないように片付け始めた。その間も主に声をかける。
「エディウス様、起きて下さい。朝ですよ」
できるだけ上にあるものから取り、十冊の束にしてベッドの脇に置いていくと、ふと気がつくことがあった。その順番というのが昨日片付けた順とほぼ一緒。
どうやらこの主は本棚の端から順に読んでいるようだ。
「本棚に片付ける必要もないのかしら?」
片付ける行為が無駄な作業と化している気がしてそんな呟きがもれる。
それでも侍女として、このまま山の状態にしておくわけにもいかない。
できるだけ大きな音をたてながら寝ている主の起床を促すが、まったく起きる気配はない。
光溢れる窓へ背を向け、頭まで寝具を被り、見えているのは濃い灰色の髪だけだ。
頭のあるその場所をしばし見つめ、ミアは本を手に取りつつ、いまだ夢の中の主に最終通告を言い渡した。
「エディウス様。早くしないとハロルド様がいらっしゃいますよ?」
特に強く言ったわけでもないが、その言葉で主は勢いよくベッドの上に起き上がった。まだ眠いのか、光が眩しいのか目を閉じたまま眉を寄せる。
「おはようございます。洗面と着替えの用意はできています。朝食はハロルド様がお持ちになると言っていましたから、早くなさらないとひどい目に合いますよ。急いでくださいませ」
起きたことを確認すると、ミアは本の片付けをひとまず止めてにこやかに朝のあいさつをしたが、濃い灰色の髪をもつ主は不機嫌そうにミアを見た。
「ハロルドがくるのか?」
「はい。今日は"ニィ"ファントゥ様の面会が予定されています」
それを聞いて主は顔の半分を手で覆って唸った。
「そうだった…。あの意地腐れ、いったい何を言いにくるつもりか知らんが、こんな朝に面会を申し入れるか? 普通」
主の抗議にミアはけろりとこう答えた。
「それをお受けになったのはハロルド様ですから」
「…あいつは根性が腐れてる」
顔を覆った手で灰色の髪をかきあげ、諦めたようにベッドから降りた。
ミアは主を見送ると窓を開け、ベッドを整え、散乱する本を端から片していった。
そうこうしていると部屋の入り口から声がかかる。
「おはようございます」
入り口からミアのいる寝室は少し離れているためか声は小さい。
しかし、その声に覚えがあるミアは自分の仕事を直ちにやめ、その声の人物を迎えるために入り口へと向かう。
「おはようございます、ハロルド様。どうぞお入りください」
「おはよう、ミア。エド様は起きていらっしゃるか?」
ミアを認めると声の人物、ハロルドと呼ばれた男性は一番にそう聞いてきた。
ミアはくすくすと笑いながら「はい」と答え、彼の運んできた朝食を受け取った。
ハロルドの運んできた食事は三人分あった。一度首をかしげたが、にっこり微笑むハロルドの視線にミアは呆れたようにため息を吐き出した。
「いいだろう。知らない顔でもないし、ミアが毒を入れたら俺が弁護してやるから。で? エド様は?」
物騒なことをさわやかに言ってのけ、主を探すように部屋の中へと進んでいく。
「今、お支度をなさっています」
「心配せずとも大丈夫だ」
ミアが受け取った朝食をテーブルに並べ始めると、ちょうど後ろから当の本人、エディウスが不機嫌そうな顔を出した。
「これはエド様。おはようございます。ご機嫌よろしいようでなによりです」
見れば機嫌が良くないことは明白だ。しかしハロルドはまったくそ知らぬ振りでさわやかに笑って見せた。
「…ミア。こいつをつまみ出せ」
「はい」
にべもなくそういう主に侍女はにこやかに忠実に従う。
そんな二人を前にハロルドは苦笑しつつ、降参の意を表して両手を挙げた。
「わかりました、私が悪いです。どうかお許しください」
不機嫌を崩すことなく食事の席に着いた主に代わり、ミアが笑顔で席をすすめた。
「まったく、気の合う主従で何よりです。それにしても、まだ三日目か」
すすめられた席に腰を下ろし、息の合った主従を見やりハロルドは感心したように呟く。
そう、ミアがエディウスの侍女になってまだ三日しかたっていないのである。
「それにしては扱いがわかってるみたいだな」
暖かい食事を並べるミアを見て、にやりと笑うハロルドに、冷たい視線が飛ぶ。
「扱い…」
「それはひとえにローズ様のおかげです。さすがにご兄妹ですもの、よく似てらっしゃいますから」
ミアは冷たくなる空気を取り繕うためににこやかに、何も知らないふりで食事を並べる。
ミアは三日前までエディウスの妹、ローズアンナの侍女だった。
「可愛げのないとろころは似てないだろう」
せっかくの取り繕いをわざとダメにするハロルドの発言に、ミアは困ったように笑うだけだ。並べられた食事を食べ始めたエディウスは、冷たい空気を吐き続けている。
さほど大きくはないテーブルに三人分の食事を置くわけにはいかず、結局二人分しかテーブルには並んでいない。
そのことにハロルドが抗議し、ミアが断る賑やかな朝食の席がここ三日続いていた。
「仕方ない。ミアも食べられるように大きめのテーブルを入れよう」
「ハロルド様。ここはエディウス様のお部屋ですよ? そんな勝手が許されるわけがありません」
「だいじょうぶ。そのくらいの権限は持ってるから」
「いえ、そういう問題ではなくてですね」
「そういう問題だろう。権力は弱い者を助けるために使うものだ」
「その志は間違いではありませんが…」
「ではそうしよう」
「いいえ、ですから…」
ああいえば、こう切り返すハロルドに、さすがのミアも三日目には言い逃れの言葉を出しつくしてしまっていた。
「ミア、髪を頼む」
「はい」
これ以上は格下であるミアが言い逃れできない、という絶妙なところでエディウスが声をかけた。
ミアはほっとした様子で整髪の道具を取りに行った。
「あまり無理を言うな」
その間にエディウスはハロルドをたしなめると、当のハロルドはにこにこと機嫌よさげに微笑んだ。
「お前とじゃ、毎朝味気ないだろう?」
「では、無理に来るな」
ここのところ毎朝ここで食事を取るハロルドを睨みつけるが、あまり効果はないことも知っていた。
そのくらい気心の知れた相手でもある。
ミアは櫛と髪留めを持ってくると、食事中ではあるがエディウスの髪を整え始めた。
濃い灰色の髪は肩に掛かるほどあるが、女のように結い上げるわけではない。自分で何でもしてしまうエディウスはそのくらいを侍女に頼む男ではなかった。
つまり、これは完全にミアをハロルドから助ける行為である。
そのことに当然気がついているハロルドは、にこにことその光景を見ていたが、ふと不満げにテーブルに肘をついてエディウスを見やった。
「俺が付いていた時は髪に触らせなかったくせに、ミアならいいのか?」
「男に髪を触らせる趣味はない」
「侍従の務めだぞ?」
「お前が侍従だったことがあったのか?」
ミアがくる直前までハロルドがエディウスの補佐をしていたが、侍従ではない。
おかしな会話に二人の仲がどれほどかを窺えて、エディウスの後ろでミアは微笑んでいた。