駅の構内にやってきた歩クンはやっぱり注目の的。特に女性に。
彼が通るとほとんどの人が振り返る。格好は前と同じ感じだ。髪を後ろに一つにして、緑色のシャツに濃い茶色のパーカー。下はジーンズだ。わりとシンプルなのが好きなのかな。女の子の格好の時もわりとシンプルだった。
歩クンが来る様子を観察しつつ待つ。
「お疲れ様」
「あ。お疲れ様です。ちょうどよかったですね。これなんですけど」
にこやかにそう言って箱を軽く持ち上げて見せた。
確かにものすごくタイミングがいい。その箱を受取りながらふと思う。
「もしかしたら待ってたりした?」
その質問に歩クンはにっこりと微笑んだ。どうやらそうであるようだ。ということは、当然今までの行動を見ていたと考えていいわけか。ついさっき分かれたばかりの人が抜けていった改札を見やる。
「あの人は誰ですか?」
やっぱりきたその質問に激しく消耗する自分がいる。
「会社の同僚です」
これ以上の質問に忍耐のほうがもう持たない気がする。そのため少し睨んでしまった。歩クンに罪はないと思うが、思わずの行動なので許して欲しい。
私の様子にどう思ったのか、歩クンはぱちぱちと瞬きをしてじっと私を見る。
「何かあったんですか?」
「色々と面倒な事がね。明日会社に行きたくないってくらいの事がね」
それ以上を勘ぐるでもなく、その場で恋愛に絡む質問を終わらせた歩クンに、つい愚痴ってしまった。こんなところで歩クンに言っても解決にはならない事くらいわかってるけど、誰かに吐き出したかったのも事実だ。
長いため息を吐くと、するり、頭の側面を撫でていくものがある。視線を上げればそれは歩クンの手だ。
「ケーキ食べてください。絶対に美味しいですから。元気でますよ」
ほわんと笑う顔は男の子でもやっぱり可愛いと認識するものだけど、自信たっぷりに言う歩クンは大人っぽい。自分の仕事にプライドを持っている男性なのだとふいに感じさせた。
…思わぬ人に慰められてしまった。
一瞬ぽかんとしたのはそんなことを思ったからだ。それに何を思ったか、歩クンは少し頬を染めて視線を逸らした。それからもう少しだけ近付いて、こっそり耳打ちするように言う。
「こんなところで可愛い顔しないでください。キスしたくなるじゃないですか」
まさかそんな台詞を歩クンから言われるとは思わず、つい笑ってしまう。
その私の行動にきょとんとしたが、頬を染めて不機嫌そうにそっぽを向けてしまう。その仕草にまた笑いがこみ上げる。
可愛いのは歩クンだ。
「ありがと。ちょっと元気出た」
なんか久しぶりに心から笑った気がする。
礼を言うと歩クンも機嫌を直して笑う。
「川上さん、週末はお休みですか?」
「うん。多分」
今はそんなに忙しくはない。逆に言えば、これからが忙しくなる。
「土曜日にデートしませんか?」
「仕事が入らなければ」
「それでいいです。とりあえず予定入れておいてください」
こういう所は歩クンは上手いと思う。いや、これが普通なのかな。こちらに経験が無いので判断もできないけど。
さて、デートとは言われたもののどこかに行くのだろうか。ふとそんなことを考えたが、そこは歩クンに任せていいだろう。
「あ。電車、きましたね」
構内アナウンスに歩クンが反応する。前のバス待ちの時に話した私の乗る電車を覚えていたようだ。
「うん。じゃあ、またね。土曜日…の前に連絡くれる?」
「はい」
にっこりと上機嫌で微笑む歩クンにケーキのお礼をもう一度言ってから、改札に足を向ける。
「川上さんは」
引き止めるように歩クンに名前を呼ばれる。
「ん?」
振り返るとちょうど合った視線を彷徨わせて、俯いた。
「えっと、ああいう人のほうがいいですか?」
「ああいう人?」
「普通の人」
何のことを言われているのかわからず首を傾げて尋ねると、上目遣いに答えが返る。表情はどこか心配そうな、不安そうな。本当によく表情の変わる子だ。
歩クンの言う普通の人の対象は多分さっきまでいた遠藤さんのことだろう。そういえば歩クンは女の子の格好するちょっと普通じゃない人だっけ。最近会うときはこの歩クンにしか会わないので忘れていた。そうか、この姿のほうが彼にとって普通ではないのかもしれない。
「別に格好なんか気にしないよ? いつものアユちゃんでいいんじゃない? っていうか、別に歩クンが変な人ってことでもないと思うけど」
女装に付随してくる彼の"恋愛"は自由だと思う。友人もそう公言してるし、私もそうだと思っている。人が人を好きになるのはごく普通のことだと思う……まあ、多少個人差はあれ。
私の答えに歩クンはほっとしたように表情を緩めた。
「電車乗り遅れるから。またね」
「あ、はい。また」
定期を取り出して改札を通る。
ちょっと振り返ると歩クンが手を振っていたのでそれに振り返し、乗り込む電車へ急ぐ。車内は混んでいたが一駅の辛抱だ。
一つ息を吐き出して手元にある箱を見る。今日は取り合えずこれを食べてお風呂に入って、明日への決戦に臨もう。
翌日のお昼の社員食堂にて、ことのあらましを聞いた先輩は話が終わるまでニヤニヤしっぱなし。
「なるほどね〜。面白いじゃない」
やっぱり面白がってる。
「これでいじめでもあったらどうしてくれるんだって感じですけど」
ご飯を一口ぱくりと頬張り、ありえないとは言い切れない事実を口にする。
出社してみれば、昨日と同じように微妙な視線がやってくる。まだはっきりとした敵意などはないと思うけど。でも、話を聞いて椎野さんと美紀ちゃんの間は確かに冷ややか空気が流れている感じがする。それは時間がたつごとに間違いないと認識した。二人の間を右往左往する同僚君がかなり困った様子だった。
「チーちゃんがいじめで凹むことはないと思うけど。そうね、もしあったら言ってね」
にっこり極上の笑顔を向けられているのに、薄ら寒い空気が流れるのはなぜだろう。
でも、多分この先輩が味方でいる限り私は大丈夫な気がするのも事実だ。
食べ終わってお茶を飲んでいると、ふと今思い出したといったように先輩が切り出した。
「ねえ、チーちゃん」
「はい?」
「その、電話の相手って、前話してた子?」
さすがに鋭いな。
ここまで歩クンであるとは匂わせていない。電話があったとは言ったが男女の性別すら話してない。
「違いますって言ったら信じます?」
「え〜。どうしようっかな〜」
どうしようって、どういうこと?
お茶を一口啜って答えを濁すと目の前の先輩がじっと見つめてくる。
「なんですか?」
「面倒なことになってるなら相談に乗るからね?」
「なんですか、面倒なことって」
質問の意図が分からず聞き返すと、先輩はにっこりと微笑んで両手で湯呑みを持ち上げた。
「チーちゃんの知らないところで、三角関係が四角関係にならないとは限らないでしょ?」
「先輩」
「ふふふ〜」
絶対に楽しんでる。
なんか微妙に話題をそらされた気もしないでもないが、とりあえずあの噂の真相がわかっただけでもいいとしよう。今はそんなことよりも週末のデートとやらのほうが気になる事柄だ。
「ねえ、チーちゃん。週末デートしない?」
「は?」
考えていた事と、突然の話題転換についていけず聞き返すと、食事の終わった先輩は席を立ちながら一言一言区切るように言う。
「でえと」
「金曜日なら」
「え〜仕事帰り? うーん。うん。それでもいいわ。いい?」
「はい。って、買い物ですか?」
「うん♪ チーちゃんに見て欲しいのみつけたの。じゃね〜」
片手をひらひら振りながらトレイを持って去っていく先輩を見送る。どしてか、この先輩、気に入った服を見つけると必ず一緒に見に行こうという。ただ二つのうちどっちが似合うかを聞かれるだけなのだが。
彼氏に見てもらえばいいのにと言った事があるのだが、男では両方似あうよで終わってしまうのだそうだ。それならそれで両方買ってもらえばいいのだが、あの先輩なぜかそれはしない。
「服か…」
そういえばあまり他人事でもないんだなと思う。でも実際問題何を着ていこうというほどのことでもない気がするのだ。
そんな事を思いながら職場へ戻り席に着く。
昨日の様子から、今頃歩クンは着ていく服に頭を悩めているのかもしれない。
「恋愛ってホント大変だ」
思わず洩れた言葉は隣の田辺さんに聞こえたようだ。小さく「何かあった?」と聞かれて苦笑してしまった。
週末は間違いなくいろんなものが消費されるだろうなと思い、とりあえず英気を養うために疲れの取れる入浴剤を買おうと決めた。