吹き荒れた突風に襲い掛かっていた兵士の足が止まる。
 すぐさま体勢を整えた彼らは一様に、現れた魔種の姿にどうすべきかを迷ったようだ。
「お前に穴が空けられるとは思わなかったな」
 わずかに動揺している兵士たちをよそに、フロストの契約魔はハーディスの評価を上げたのか、感心しているようだった。
 サティーナたちの目の前に現れたのは紛れもない、アキードの契約魔ノアである。
「まったく。どれほどの味方がついているのだ? トリウェルといい、その男といい。まさかお前まで呼びかけに応じるとはな」
 最後の言葉はどこか驚きを含んでいた。感情の抜けたような契約魔が反応するほど意外な出来事だったようだ。
 しかし、フロストの契約魔は彼らを一瞥すると宣言した。
「これで楽な死に方はなくなったと思え」
 その言葉で兵士の士気が戻ったようだ。それぞれ剣を構えなおし、乱れた円を整え臨戦態勢を取った。
「で? もちろん手伝ってくれるんだよな?」
「まさか傍観させるために呼んだわけではないだろう」
 どこか呆れた風に呟くノアに、ハーディスはやはり楽しそうに笑った。
「結界と兵士なら吹き飛ばせる」
「十分だ」
「ただ護符を持っているヤツがいる。ソイツらは無理だな」
「人間だけならなんとかなる。契約魔は任せた」
 二人(?)のやりとりはそれだけで具体的なことは何も話さなかった。
「サティーナ、合図したら走るからな。遅れないようについてこい」
「うん。わかった」
 頷いたサティーナだったが緊張のせいで足が動くか心配だった。今もハーディスのマントをしっかりと握り締めていないと崩れてしまいそうだ。
 敵が完璧に二人と一匹を包囲すると、乏しい明かりを受けて鈍く光る刃が一斉に向けられた。
「覚悟はいいな?」
 ノアがそう二人に言うと空気が一瞬真っ赤に染まった。そして次の瞬間、爆発したような衝撃が二人を襲い思わず目を閉じた。
 押しつぶされるような空気の圧力に壁に叩きつけられる物音や、兵士たちの悲鳴が聞こえる。衝撃がやむと結界がなくなったことを証明するように空気の匂いが変わったのがわかった。
「行くぞ!!」
 ハーディスの大きな声がかかり反射的にサティーナも走り出す。不思議と膝が崩れることもつまずくこともなかった。
 衝撃に襲われ大多数の敵は倒れていたが、護符を持っていると思われる敵は二人に襲いかかってきた。
 複数の敵相手に、自警の剣を持つハーディスは誰が見ても不利と思われた。自警の剣は通常の半分しかない。間合いは広いほうが有利に働くため明らかにハーディスが不利だった。
 しかしサティーナを庇いながら戦うハーディスは、そんなことを物ともせずに敵を次々倒していく。
 その光景に呆気にとられるサティーナにハーディスが声をかける。
「行け!!」
「うん!」
 その声でサティーナは二つ目の十字路を目指した。そこを左に曲がってラフィー書店まで行けばこの状況を抜け出すことができる。
 
 
 結界が壊れ、二人が走り出した後もノアはその場を動くことはなかった。
「未成熟なままで私の結界を吹き飛ばすとはさすがというべきか。しかし経験不足は否めないな」
「……」
 フロストの契約魔は逃げるサティーナの背を悠然と見送る。
 目の前で牽制していたノアはその余裕のある態度に不審を感じ、十字路に向かった二人を見た。
 視線をやったとき、丁度サティーナがハーディスから離れて走り出した。
 向かう先は二つ目の十字路だ。
 ノアはその先にある闇を見つめ、わずかに漂う紫色の煙に気がついた。
「! 行くな!!」
 サティーナが向かうその先にある違和感が、何であるか気がつき叫んでみたが後の祭りだった。
 ハーディスが最後の一人を倒し終え、ノアの声にこちらを向いたが、そのときすでにサティーナは十字路を左に曲がっていた。
 とっさにフロストの契約魔を見たがすでに姿はない。
 ノアは猛然と十字路に向かって走った。
 その様子にハーディスも困惑気味に後を追う。
「やられた」
 十字路を前にしてノアはため息をついた。
 サティーナが曲がったのは一分も前のことではない。姿があって当然なのだがそこにサティーナの姿はない。
「…サティーナ?」
 ハーディスが声をかけてみるが結果は同じだ。
「結界が張られてる。あれはただの噛ませ犬か」
 そう言うと座って目を閉じるノアにハーディスが詰め寄った。
「入れないのか!?」
「無理だ。経験が違う」
 あっさりと諦める横柄なノアの態度に、ハーディスは顔を顰めた。
「あのな、お前アキードの契約魔だろうが。お前をサティーナにつけたのはこういった事態に備えてじゃないのか?」
「違う。アキードはオレとアイツの経験の差を知っている。力で押し通ることはできるが、サティーナはオレの契約者じゃない」
 もし、サティーナが契約者であれば何が何でも結界に入っただろうし、そんなことをしなくても契約者の呼び出しは絶対だ。たとえ隔離結界だとしても呼ばれれば容易に入ることができる。
「お前、さっきは力を使っただろう?」
 フロストの契約魔の結界を吹き飛ばしたのは間違いなくノアの力だ。
「あれぐらいなら後でアキードから補充できるからな」
 つまり、今目の前にある結界はそうはいかないくらい力を消費するということだ。
「アキードの要請があれば話しは別だが」
 契約魔は契約者の力を借りて行使する。
 それは契約者を助けるためのもので、他者を助けるためのものではない。
「アキードなら間違いなく要請するだろうが!」
 付き合いの長いハーディスはアキードの性格をよく知っていたが、ノアは苛立たしげに尻尾をばさりと振った。
「今、アキードから力を引き出して何かあった場合、オマエに責任が取れるのか?」
 厳しい声にハーディスははっと息を詰まらせた。
 ハーディスもジュメル卿の配下である。アキードが今どんな仕事をしているか知っている。
「俺の血を使えるか?」
 ハーディスの申し出にノアは少しだけ沈黙した。
「……そうだな。オマエの血だと、できてせいぜい穴を開けるくらいだ」
「やってくれ。入る」
 即答するハーディスにノアも即答する。
「オマエが行っても助けにはならない。この結界を切るほどの力はオマエにないだろうが」
 冷静に、いや冷徹に状況を伝えるノアにハーディスは沈黙し、ぽつりと呟く。
「要はあの契約魔を殺せばいいんだよな?」
 その声にノアは目を開け、ゆっくりとハーディスを見た。
「…犬死にって言葉を知ってるか?」
 見上げた先にある面白そうな顔に、ノアはため息混じりにそう言ったが効果は得られそうにもなかった。
「やるだけやってみるさ。護符もあるしな」
 そういうと倒れている敵の懐をごそごそと探る。紐に通してある金属製の小さな薄い板を見つけるとにっと笑う。
 その笑顔にノアは諦めのため息を吐き出した。
「わかった。穴を開けてやる」
 次々に倒れた兵士からできるだけ護符を盗み出すハーディスをよそに、ノアは走りハーディスの短刀を一つ咥えてきた。
「別にどうでもいいが、人型にはならなくていいのか?」
 魔種が姿を変えることは知っているが、なぜ狼の姿なのか少しだけ気になった。それというのも、彼らは人と対等あるいはそれ以上だという自負がある。それだけに、獣の姿は見下ろされる上に侮られるため、知能が高いものほど人の姿を保持するものだ。
「………面倒だ」
「…?…ああ」
 微妙な沈黙の後の答えに、首をかしげたハーディスが妙に得心したように頷いた。
「俺も可愛いと思うぞ」
「…うるさいっ。キサマは間違いなくアキードの仲間だ」
 この世に魔種をからかう人間がまさか二人もいるとは思わなかったノアである。
「さて、準備はいいぞ」
 切り替えの早いハーディスは兵士の持っていた剣も一振り拝借して、十字路の前に立ち自らの腕に短刀を滑らせ、地面に刺した。
 突き立った短刀を中心に拳くらいの血溜まりができると、ノアが意識を集中させる。血溜まりは蒸発し赤い霧となる。
 赤い霧はハーディスくらいの大きさで輪になり、凝固した。
「サティーナは特殊な力を封じられてる。ギリギリまで追い詰められればそれを解放するかもしれない」
 赤く薄い血の壁に短刀が真直ぐ飛び、壊れたそこにぽっかりと穴が開く。
「女の子を傷物にするわけにいかないだろう?」
 ノアの言葉にそんな反応を残し、躊躇いなく開いた穴へと姿を消した。

七話 了