街道沿いにあるフランソワ宝石店の角を右に曲がり、しばらく歩くと自警本部らしき建物が見えてきた。
 門を兼ねた生垣があり、その前に男が一人長い棒を持って立っている。
「すみません」
「なんだ?」
 厳つい顔の男はこんな時間に現れた少女をじろりと睨んだ。その顔に話しかけにくそうに少女は切り出した。
「私はハーディス・ウェインの妹で、ロイスといいます。恋人のトマス・ハリスを訪ねてきたのですが彼はいますか?」
「ハリスの恋人ぉ?!」
 厳つい男の大きな声で少女は驚いたように「はい」と答え、目を瞬いた。
「ああ…すまん。つい、な。…ついてきな」
 鼻の脇を掻きながら気まずそうにそう言うと建物の中に通してくれた。
 客室と思われる部屋に通され、そこでしばらく待っていると扉の向こうから、あの厳つい男の大声が聞こえてきた。
「ハリス! お前一体何人女がいるんだ?! 一人くらいこっちに回せってんだ!」
「はっはっは。お前には無理だ。俺を妬む前にその厳つい顔をなんとかしろ」
「なんだと!?」
 喧嘩に発展しそうな雰囲気の会話の後に大きな笑い声が響く。どうやらただの悪ふざけのようだ。
 そんな笑い声の後に部屋に入ってきたのは、二十代前半くらいの金髪の男性だった。肩より少し長い髪を細い紐で軽く束ね、服の前が半分はだけている。どこからどうみても遊び人だった。
 そんな男性はふむふむと言いながら、腕を組んで少女を眺めると面白そうに笑った。
「俺がトマス・ハリスだ。なるほど、話に聞いた通りのべっぴんさんだ。んで? あんたはいつから俺の恋人になったんだ? 悪いが全く覚えがねえ」
 この口調にぽかんと呆気にとられている少女に、少し前のめりになってトマスが尋ねる。
「聞いてるか?」
「あ、はい。ごめんなさい。…なんか想像と違ってて」
 声をかけられてはっとして謝る少女に面白そうに口の端を上げてにやりと笑う。
「ハーディス・ウェインの妹で俺の恋人ね。あんたの紹介人はアキードか」
 それは質問というよりは確認といった感じで、知らない恋人が尋ねてくることに慣れているようだった。その確認に素直に頷く。
「はい。トリウェル・アキードの紹介できました。あなたに会えば…おじい様に会えると言われたので」
 その言葉にトマスは面白そうな表情を一瞬で真剣なものへと変え、目の前の少女を穴の開くほど見つめた。
 扉の前に立ったままだったトマスは、一度扉の向こう側を気にしてから少女に近づいた。
「…ロイス?」
「いえ、本当はハルミス・サティーナといいます」
 この答えにトマスは大きく頷いた。
「名前を隠したのは賢明です。あなたのことは父から聞きました。…とりあえず出ますか。ここじゃ話しにくい」
「ええ」
 二人が客室から出ると噂を聞きつけた自警の男たちがトマスを冷やかしにきた。
「おい、ハリス。今度は本当に恋人なんだろうな〜」
「お嬢さん、別れるなら今のうちだぜ。そしたら俺のところにきな。悪いようにはしないからよ」
「お前ら、うるせー!」
 トマスが怒鳴ると自警の男たちは大声で笑いながらクモの子を散らすように逃げていった。
「…人気者なんですね」
 あまりの光景に思わずもらしたサティーナの言葉に、トマスが苦笑しながら耳打ちする。
「敬語はやめてもらえますか? なんだかこの辺がむず痒くて」
 首筋のあたりを手でさする仕草にサティーナがくすくすと笑う。
「トマスさんもさっきの話し方のほうが似合っているわ」
 それを聞くとトマスはにっと笑った。
 自警本部を出ると、とりあえず落ち着いて話せる場所ということでトマスの家に行くことになったのだが、さすがに自警である。かなり複雑な道を難なく歩く。
 その道すがらサティーナからここまでの経緯を聞いていた。
「ということはアキードとはトルムまで一緒だったわけだ。その後は見つかったりしなかったのか?」
「どうかしら? 接触はなかったけど…」
 サティーナは言葉を濁して後ろを振り返った。
「とりあえずまだ見つかってはいない」
「! おまえ!」
 返った答えに初めてトマスはノアの存在に気がついたようだ。
 自警本部を出てからずっと後ろを歩いていたのだが、まったく気がつかなかったらしく、かなり驚いたようで腰に下げていた通常より短い剣に手をかけた。
 警戒心むき出しのその様子にノアは淡々と事実を告げる。
「偽装符だ。それより急げ。時間はそれほどない」
「偽装符…」
 トマスはそう呟くとサティーナを見た。
「まあ、そうか。当然と言えば当然だな。…とりあえず、腹は減ってるか?」
「え? ええ、暖かいものが食べたいわ」
 突然の質問にサティーナは戸惑いながらも答えた。
「よし、いい所がある。話はそれからだな」
 先ほどの警戒が嘘のように陽気に笑ってまた歩く。そのトマスの後ろをついて歩くサティーナはふと、あのアキードと彼の関係がどういったものなのかと考えた。
 普段はほぼ無表情だったアキードと違いトマスは常に面白そうな顔をしている。性格もアキードはどちらかというと大人しかったのに対してトマスは賑やかだ。
「アキードと正反対だな」
 ついて歩くノアがそう呟いたのが聞こえ、サティーナは無意識に頷いていた。
「ノアは知らないの?」
 アキードと付き合いの長そうなトマスとまるで初めてあったような雰囲気に、サティーナは首をかしげて尋ねた。
「知ってはいるが、会ったのは初めてだ」
「そうなの…その姿で?」
「いや」
 あの獣の姿では会ったことがあるのかと聞いたのだが、それもないようだ。
「オレがアイツの側にいることのほうが少ないからな」
 契約魔は常に側にいなければならないというわけではなく、契約者の呼び出しに応じて力を貸すという感じだ。つまり、契約者からの呼び出しがなければどこにいてもいいのだ。
「トマスさんは契約魔はいるんですか?」
 アキードの話では聖騎士だというがどうもそんな雰囲気がないトマスは、飄々と歩きながら振り返る。
「だからぁ、敬語はいいって。契約魔はいない。いないというか、つかないだろうな」
 その言い方に首をかしげたが、父とアキードの説明が脳裏に浮かんだ。
「トマスさんは普通の人なの?」
「そういうこと。アキードみたいな馬鹿げた力はない」
 ノアを振り返ると頷いて肯定した。
「でも、アキードの元同僚なのよね?」
 人が多く、どこに耳があるかわからないため、あえて遠まわしに聞くとトマスはにやりと笑った。
「見えない?」
「はい」
「正直だな」
 サティーナの即答にトマスはからからと笑う。
 本当にアキードとは正反対だ。
「あの、アキードっていつもあんな感じなの?」
 この正反対の性格を持つ男と、あのアキードがどういう会話をしているのか気になって尋ねてみたのだが、トマスは首をかしげた。
「いつもっていうと?」
「普段無表情で、あまり笑わなくて、説明不足」
 サティーナの言葉に笑いながら「そうだな」と答えた。
「でも、それだけじゃないだろう?」
 そう言う眼差しは暖かかく、まるで兄のような優しさが溢れていた。
「強くて、優しくて、すごーくお人好し」
「お人好しか」
「でも、魔種より性質が悪いのよ」
「ぷっ…確かにな」
 その言葉にくっくっくと喉で笑った。
「そうか。サティーナと一緒だったか。少しは良くなったかもな」
 ぽそりと洩らされた言葉に首をかしげてノアを見たが、ノアも首をかしげていた。
「ああ、あそこだ」
 そういってトマスが指差した場所はパン屋だった。