人型になったノアを伴い、サティーナたちは港へと向かった。
 トルムには案内板があちこちに設置されているため道に迷うことはなかったが、肝心の船に乗れるのかはまだわからない。
「夜に乗れる船ってあるのかしら?」
 陸と違い水の上に道があるわけでもないことはサティーナにもわかっていた。街道でも夜は危ないのに、水の上ならなおさらだろうと思ったのだ。
「確かあったと思うが…」
 サティーナの質問にアキードも首をかしげた。あの茶店で利用したことはないと言っていた彼にも定かではないのだろう。
 とりあえず港にたどり着くとそこは町とは違った賑わいがあった。
 大きな船から荷物をおろす人や、それを管理する人などが入り乱れて作業していた。夜であるためそれほど多くはないが、それでも活気は十分あった。
 一見して船ばかりあるが、大小いろいろあり、どれに乗るべきなのかはサティーナにはさっぱりわからない。
 アキードもあたりを見渡していたが、一人の男性に声をかけた。
「すまない、聞いてもいいか?」
「おう、なんだ?」
 おそらく船乗りとおぼしき男はアキードの問いに足を止めてくれた。
「フレンダ行きの船はもう出たか?」
「客船ならもうないぜ。貨物ならあるが…乗るのか?」
「ああ。この二人が」
 船乗りの男が聞くとアキードは後ろにいたサティーナとノアを指して告げる。
 サティーナはその言葉に驚き、ノアを見た。
「そういうことだ」
 サティーナの無言の問いにそう答えただけだった。
「二人か。だったらどれでも大丈夫だと思うぞ」
「速い船がいいんだが」
「それなら断然、ベルーナの船だな」
「ベルーナ?」
 アキードはその言葉に反応し聞き返した。サティーナにも覚えのある名前だ。
 船乗りの男はアキードに頷き案内をしてくれた。
「アキード。ベルーナって…」
「ああ。多分そうだと思う」
 アキードに残された伝言。「帆船の上で待つ。名前はベルーナ号」
 それと同じ船であればアキードの追いかけている人がいるか、もしくは何か伝言を残している可能性が高い。
 案内された船はわりと小さいものだった。この船も例に洩れず荷をつけているところだった。
「ベルーナ! 客だがどうする?」
 男は船近くで荷を確認する女性に向かって問うと、女性はこちらを向いた。
「客? 三人かい?」
「いいや、女の子と男の子の二人だそうだ」
 船の主はよく日に焼けた肌の女性だった。
「二人くらいなら乗せてやれるけど、ご覧の通り小さい船でね。客室なんかは付いちゃいないし、私の船は普通じゃないからね。降ろしてくれって言っても知らないよ」
 女性はサティーナとノアを見るとそう尋ねてきた。
「とにかく速く進みたいので、贅沢は言いません」
「速くね。だったら私の船に乗らないと! でも、本当に覚悟しなよ」
 器用に片目を瞑ると豪快に笑った。
 とても逞しい女性のようだと、サティーナは目を丸くした。
 そんなサティーナの横からアキードは女性に声をかけた。
「すまないが、アマンダと言う女性を知ってるか?」
 アキードの質問に女性は少しだけ首をかしげてからまじまじと見つめてきた。
「さて、あんたは誰かな?」
「マージっていうが」
「へえ、本当にきたね」
 女性はキラキラと好奇心たっぷりの目でアキードを見た。
「アマンダとはちょっとした知り合いでね。彼女、今「金の蜂の巣」って店で働いているよ。それで? あんたはアマンダの何? 恋人? 旦那? って…ああ、悪いこと聞いたかな」
 女性はサティーナをちらりと見ると気まずそうに持っていた紙で口元を隠した。
 誰かに呼ばれて慌ててそちらへ駆けていく女性の様子に、可笑しくてくすくすと笑った。
「本当はどうなの?」
 悪戯っぽく見上げて尋ねると無言で抗議された。
 もちろんサティーナもアキードがその人となにかあるとは思っていない。
「でも、あの人はアマンダさんとはどういう知り合いなのかしら?」
 サティーナにはそっちのほうが疑問だった。あの伝言を残した時点でベルーナという女性に伝言を託すことを決めていたのだろうから。
「ああ! それよりも、アキード、いいの? えっと…連れて行っても」
 何も知らされていなかったが、ノアが普通に答えたことからして、二人の間ではサティーナにノアが付いていく話が決まっていたようだった。
 もちろんサティーナとしては嬉しいが、それではアキードが困るのではと思う。
 相変わらずノアの名前を呼ばないサティーナに、アキードは少しだけ苦笑しつつも頷いた。
「そのためにわざわざ呼び出したんだ。ただ、渡した偽装符がどれだけもつかわからない。それが切れたらそこまでだ」
「力を使わなければもつだろう」
「お前はまだ子供だからな」
「……うるさい」
 先ほどから同じ落ちで終わるノアの台詞にサティーナは笑いを堪えた。
 ノアの言った「面倒」はもしかしたら主にアキードのことかもしれないとふと思った。
「でも、しばらくはいてくれるんでしょう? それだけで嬉しいわ。ありがとう」
 ノアにお礼をいうと仏頂面が少しだけ緩んだように見えた。
「あんた達。飯は食べたのかい?」
 そんなやり取りの中、やってきた女性の質問にサティーナは首を振る。
「そうかい。それじゃ大丈夫かもね。でもとりあえずこれを渡しておくよ」
「?」
 そういって手渡されたのは二つの桶だ。
「まあ、用途は乗ればわかるから。ほら、もうすぐ出すから乗った乗った!」
 明るく笑いながら他の船員にも声をかけて集め出した女性を見てアキードが声をかけた。
「それじゃ、俺はここまでだ」
 その言葉に振り返るとどうしてか胸が痛んだ。
「うん。今まで本当にありがとう。本当にアキードがいてくれて良かった」
 少し寂しそうに微笑みながらお礼を言うサティーナに、アキードも微笑みかけた。
「俺がサティーナに会ったのは偶然じゃない、あの契約魔が仕組んだことだし、俺にも関わりがあることだしな。おそらくマゼクオーシが最後の障害だと思うが、絶対にジュメル卿本人に会うまでは気を抜くなよ」
 真剣に忠告してくれるアキードにサティーナは最高の笑顔で答えた。
「うん。アキードも気をつけてね。もし必要ならすぐに呼んで」
「ああ。でもしばらくは必要ない。サティーナも、もし必要なら周りや封印なんか気にするな。ここはポンシェルノじゃない」
 アキードの言葉に一瞬何を言われているのかわからない様子だったが、すぐに笑顔に変わった。
「あ…そうか。うん、そうね」
「行くぞ」
 ゴワ〜ンと出航の合図が鳴り、ノアが促す。
 その音に気をとられたアキードにサティーナは思いきり抱きついた。
「お…!」
「本っ当にありがとう」
 そして何か言われる前にノアの手を引っ張って逃げ出した。
 船に乗るはしごが取り外され動き出してから顔を出す。
「ありがとー!」
 大声でお礼を言いながら手を振ると、アキードが諦めたように頭を掻いている姿が見えた。
 こうして元聖騎士アキードとの旅は終わりを迎えたのである。
 
 
 水の上を滑り出した船の上からアキードが見えなくなるまで、サティーナはその場から動かなかった。
「大丈夫よね」
 無意識にぽつりと呟いた言葉はノアにも聞こえていた。
「大丈夫だろう。オレの契約者だ、そう簡単に死んだりしない」
 そう答えるとサティーナは驚いたようにノアを振り返ったが、心配いらないとの言外の言葉に微笑んだ。
 船員たちが消えて行った扉に向かい船内に入り、途中でベルーナに案内され、荷物が沢山置かれている場所の一角に腰を落ち着つかせた。
 足を投げ出して壁に寄りかかり、ふうと息を落とすと同時に涙も落ちた。
「え? あれ?」
 その雫を見て驚き、手を頬に当てると確かに濡れていた。意識とは関係なく次から次へと涙がこぼれ、驚きながら必死で止めようと拭っていると突然手をつかまれた。
 自分の手を掴むその手をゆっくりたどり、目を上げると、そこにいるのは人の姿になった契約魔だ。
「心配するな。オマエは一人ではない」
 同じ高さの視線が穏やかにサティーナを見つめ、それだけですとんと心が落ち着いて、涙も止まった。
「オレで我慢しろ」
 そういうと手を繋いだままノアは目を閉じて壁に寄りかかった。
 しばらく何が起きたのかわからずノアをじっと見つめ、ノアの言葉を反芻した。
「オレで、って、えっと…アキードの代わりってこと?」
「そうだな」
「私、もしかしたら、すっごく不安になってる?」
「そうだな」
「アキードは知ってた?」
「そうだな」
 面倒なのか、同じ言葉しか返ってこない。
 サティーナはそれに憤慨せず、自分の心を見つめた。
 アキードが側にいるのがそれほど当たり前になっていたのかと、少し呆れ。どれだけ頼っていたのかを今さらながらに自覚した。
 握られた手に力を入れて握り返し、ノアの意識をこちらへ向けた。
「アキードのところに帰ったら絶対にお礼言ってね」
 ちらりとサティーナを見るノアに、にっこり微笑んで頼むと、目を閉じて答えた。
「必要ないだろう」
「必要よ。もう会えないかもしれない…ううん。会えないもの」
 アキードとは一時的に出会っただけで、この旅の道程で一度別れればもう二度と会えないと思っていたし、実際そうだろうと思っている。
「アイツはジュメルの配下だ。オマエがジュメルの孫であれば会う機会もあるだろう。オマエが拒否しなければな」
 ノアの言葉にサティーナは沈黙した。
 その沈黙が意外でノアは尋ねた。
「会いたくないのか?」
「そんなことない!」
 否定の言葉はすぐに出たが、また沈黙する。
 ノアは首をかしげ、目を開けた。
「オマエの声ならどこにいても聞こえる。会いたければ呼べばいい。連れて行ってやらないまでも、伝えるくらいはしてやれるぞ」
 その申出にサティーナはノアを凝視した。
「会えるの?」
「それはオマエ次第だ」
「…会えるんだ」
 どこか呆然と呟くサティーナを不思議なものを見るようにノアは目を瞬いた。
 しかし、サティーナはそんなノアのことなどおかまいなしに表情をゆるめ、微笑む。
「ありがとう」
「その、ありがとうの意味がわからんのだが」
「いいのよ。私の気持ちだから」
 先ほどの不安定な表情が嘘のように、すっきりと晴れた顔をしたサティーナを見て、ノアはため息を落とした。
「…人間はよくわからん」

六話 了