目指す目的は結界の媒体。アキードの話だと媒体はおそらく香炉。違ったとしても祭壇が組まれている上にあり、素人目にでもわかるだろうといことだ。
(ちょっと待って、もしそれ自体嘘だったら?)
 サティーナは一度物置きから出はしたが、その可能性が大いにあることに気がついて、もう一度物置きに戻った。
 しかし、考えている時間はない。もしアキードが死を覚悟しているのなら早くせねばならない。
 とりあえず茶店の裏通りに回ってみることにした。
 暗いが敵はもちろん人影すらない。
 少しだけ安堵して、裏口へと近づいて中の様子を見てみる。やはり人影はない。
(やっぱり無いのかしら?)
 扉に手をかけると裏口は開いていた。ぼんやりとした明かりがあるが、部屋全体を見渡せるほど明るくはない。
 少し途方に暮れたように壁に寄りかかると足音が聞こえてきた。
 ドキッとしてとっさに店の中に入った。
(私の馬鹿! もし本当なら敵が入ってくるじゃない!!)
 そんな嘆きも空しく足音は茶店の裏口の前で止まる。
 サティーナは急いで暗がりに走り込んだ。それと同時に裏口の戸が開いた。
「誰かいるのか?」
 立っていたのは剣を所持した男が一人。男は剣の柄に手を置いたまま、物音の正体を探り部屋の中を見渡す。サティーナはひたすら見つからないように祈った。
「…気のせいか」
 そういうと男は二階へ続く階段を上って行った。
 完全に男の姿が見えなくなるとサティーナは止めていた息を吐き出した。心臓が激しく脈打っている。
 どうやらアキードの結界のおかげで見つからずに済んだようだ。
(よかったぁ。…あの人上へ行ったわね。もしかしたら上?)
 でも今すぐに上っていくわけにはいかない。サティーナはしばらくじっと息を潜めて上の様子を窺った。
 上の階には部屋があるらしく複数の話し声がする。
「とにかくヤツを殺すのが先だ。女は後でなんとでもなる」
 サティーナがまた暗がりへ移動すると階段から男たちが四人下りてきた。彼らが店から出ていくと、店の中はしんと静まり返り物音一つしない。
 サティーナは今しかないと階段を静かに上った。短い廊下があり、扉が正面と真横に一つずつある。
 とりあえず真横の扉に耳を押しあてて中の様子を窺うが人の気配はしない。ゆっくりと取っ手を回し、そっと中を覗く。
 どうやら寝室のようで中には誰もおらず、また祭壇のようなものもなかった。
 次に正面を同じように開いてみると、そこは外へ出る扉だった。
(たしか屋上ね。何に使うのかしら?)
 ポンシェルノでは見かけない建物に興味を持ちつつ外へ出てみた。見晴らしがよく通りを一望できた。
(…こんなに簡単に見つかっていいの?)
 その屋上の真ん中に祭壇があり、その上にはアキードの予測通り香炉が置いてあった。
 屋上には祭壇がぽんと置いてあるだけで見張りもいない。その状況がサティーナを疑わせた。
(でも、壊しておいて損はないわけよね)
 そう判断し扉から手を放して歩きかけたその瞬間。
「あら。かわいらしいお嬢さんだこと」
「!!」
 今のいままで誰もいなかった空間から突然声をかけられた。
 とっさに中へ戻ろうとしたのだが声の主がすでに扉を押さえていた。
「あの男の連れだって言うから、もっと歯ごたえのある女だと思っていたのだけれど、残念。こんなかわいらしい女の子だったのね」
 声の主は腰まである金髪の女性だった。
 真っ直ぐで癖のないその髪は月光のように輝き、それゆえに冴え冴えとした印象を与えた。
(どうしよう…。このひと、人間じゃない!)
 直感的にそう感じた。
 女性の目が、どこかノアとよく似ている。
「さて、どうしましょう? あなたを殺すのは見ていてもつまらないわ」
 その声の冷たさに一気に血の気が引き、恐ろしさで息ができないのに心臓は激しく脈打った。
 目の前の女性は絶えず微笑んでいるのだが、決して気を許してはならないほどの威圧感があり、サティーナは知らず胸の首飾りを握り締めた。
 ノアがあまりにも優しかったのか、魔種とは本来こうしたものなのか。
 サティーナは対峙しただけで襲いくる恐怖に、知らず泣き出してしまっていたが、声は喉の奥で潰れたようにでてこない。
「あら、泣かないで? 大丈夫よ、あなたが死ぬときはあの男も一緒だから」
 そういうと女の手がサティーナに伸びる。細く美しいその手がまるで死神の手のように見え、後退することもできずサティーナは硬く目を閉じた。
 女の指が額に触れると同時に、ふわりと周りの空気が揺れたのを感じた。
「サティーナ!?」
「え?」
 突然知った声に呼ばれ、サティーナは今の状況を忘れて顔を上げた。
 目に飛び込んできたのは剣を持つアキードと、その足元に倒れる男たち。
「なに?」
 先ほどまで茶店の屋上にいた。おそらく魔種であろう女性と、祭壇があったのに、今目の前にはアキードがいる。
 その目に映る状況と、今自分のいる場所がわからず混乱し、一歩後ろに下がると柔らかい壁にぶつかった。
「さて、どうする? 聖騎士」
 サティーナの首にひやりとした細い指がかかる。
 指の冷たさよりも声の冷たさにサティーナは慄き、強直した。逃げるということすら頭に浮かばない。
「その子は関係ない」
 鋭くアキードはサティーナの後ろ、あの金髪の女性に言い放つが、女性はころころと笑うと嫣然と微笑んだ。
「お馬鹿さんね。あなたと一緒にいるでしょう」
 それだけで十分なのだと言外の発言に、アキードは剣を下ろした。
「あら、いいの? こんな小娘一人くらい犠牲にしても、あなたの尊い心は穢れたりしないわ」
 馬鹿にしたように、嘲るように。笑みを湛えたその顔を、アキードは無表情に睨みすえた。
「その子を殺してみろ。お前など抹消してやる」
 憤然と言い放つアキードの態度に、サティーナは目を見張って驚いた。
 あまり表情を表に出さない人だ。それと同じく感情を表に出さない人だ。それが今、完全に怒っている。その怒りは燃え盛るように激しいものではなく、地を這うようにじわじわと底冷えする怒りだ。
 サティーナの指に掛かる手が微かに強張ったのを感じたが、すぐに喉に指が食い込む。
「いっ…」
「抹消? この私が? お前に? やってみるがいい」
 瞬間的に殺されると覚悟した。
「でもその前に、あなたのほうから消えてもらいましょう」
 くすりと耳元で笑われ、サティーナはびくりと肩を揺らした。
 アキードの後ろにまだ倒れていない男が二人いる。女の視線に剣士二人が頷き、アキードに襲い掛かった。
「アキード!!」
 叫んではみたがアキードは知っているようだった。それでも動かないのはサティーナがいるせいだ。
(私のせいだ!)
 胸が熱くなると同時に目頭も熱くなる。
 アキードの頭に鈍く光るそれが振り下ろされる瞬間。
 サティーナは叫んだ。
 今、唯一助けてくれそうな名前を。