アキードが床に座り込んで意識を集中させている間、サティーナはアキードの言葉を考えていた。
(アキードを対象にした結界ということは、アキードの敵が張ったっていうことよね? そうすると、やっぱりアキードの敵にも契約魔がいるんだわ)
 目を閉じてゆっくり呼吸を繰り返すアキードを見る。その顔には全く焦りはない。いや、こんな状況だからこそ落ち着いているのだろう。
(私が巻き込まれた理由…あるとしたら、ジュメル卿とトルム国)
 サティーナの目下の敵、フロストとトルム国総領が通じていることはノアの報告で知った。そして、アキードの探している人はトルム国にいると、元神殿の仲間が伝言を残した。
(これがアキードの敵の罠だとしたら、トルムで間違いないでしょうね)
 伏せられた器に視線を落とし確信する。
 トルム国総領。アキードは黒幕だと断言できないと言っていた。しかし、サティーナを今の状況に陥れたのは総領だろうと確信しているようだった。
「トルム国の総領に契約魔はいるのかしら?」
「聞いたことはないが、おそらくいないだろうな」
 何かに集中しているようだったので答えは期待していなかったのだが、しっかり返ってきた。
 見るとまだ目を閉じたままだ。
「じゃあ、この結界は別の人の契約魔?」
「そういうことだな」
 だから黒幕だと言わなかったのか。
 漠然とした納得があったが、疑問が浮かんだのもそれを聞いたからだろう。
「あ、のね? だとしたら。誰の契約魔?」
 魔種自らが契約者を探し契約することはほとんどない。大体は召喚され、契約を結ぶのだと聞いた。
 普通の人はサティーナ同様、魔種を怖れるものだし、召喚は普通の人間にできるわけもない。魔種も力の弱い人間に興味はないだろう。そこから考えても契約者になる人間はそれなりの立場にいる人であることが多い。
 その質問にアキードは目を開け、サティーナを見やる。
「…おそらく、ノアの言っていた「最悪」だ」
 その言い方になにやら不穏な空気が混ざった。
「もしかして、知ってる人?」
「確証は無いが、おそらくな」
 アキードの確証がないは、ほぼ間違いないという意味だと、サティーナは解釈した。
「あの、早く呼び出したほうが…」
 契約魔には契約魔だ。サティーナの判断に誰も間違っているとは言わないだろう。しかし、アキードは乗り気ではないようだ。
「今呼んだら、お前がここにいるぞと叫んでいるようなものだ」
「そうだけど」
 背に腹は変えられない。
 ここでアキードが死ぬようなことになったら、一生自分を恨むだろう。
(死…)
 なぜそんなことを思ったのだろうと一瞬首をかしげた。
 この結界の罠は、ただの足止め。あるいは捕縛だと考えなかった理由。
 それは目の前のアキードの左腕にあった。
 あの時の襲撃は間違いなくアキードを、サティーナも含め殺そうとしていた。
 その事実に思わず息を飲み込む。
 押し黙ったサティーナの思考を察したのか、アキードはもう一つ付け加えた。
「それに、今あいつを呼ぶと結界ごと偽装符も吹っ飛ぶ。そうなれば敵も容赦なく襲ってくるだろう」
 あの襲撃がそうであったように、アキードの居場所がばれればすぐにでも敵がやってくるのは経験済みだ。
「結界の中にいる以上、あいつらも外部との連絡は取れない。状況としては五分だ。俺がトルムに向かっているのはあいつらもわかっているだろうが、だからといって明確な場所を教えてやる気はない」
 足音が近づきアキードは話をやめ、素早くサティーナの腕を取り壁際の暗がりへ引っ張る。先ほどと同じように背に隠し、足音がいってしまうまでそうしていた。
「ノアを呼ぶのは最終手段で、今じゃない」
 サティーナを背中から解放すると、真直ぐに見つめた。
「ただノアを呼ばないのはお前にとって、死を意味するかもしれない」
 でも、呼ばないのだと、そう言われている。アキードはどうしても自分の居場所を知られたくないようだ。
 それはサティーナのことを思っていっているのではなく、本当にそう思っているのだと、少しだけ苦い顔をして告げるアキードを見て思った。
「わかったわ。できるだけ足手まといにならないようにする」
 まっすぐ見上げて頷くサティーナの視線を受け止めきれず、アキードは少しだけ目を伏せた。
「そうしてくれ」
「それで、その隔離結界を壊せるの?」
 この質問にしばし沈黙が訪れた。
「?」
 何もいわずに眉を寄せるアキードをサティーナはじっと見つめ、両手を腰に当てて、心底仕方がないといった風に、ふぅとため息をついた。
「手伝いましょうか? 聖騎士様」
 軽い皮肉も感じられる声に、アキードは微笑した。
「悪い」
 短い謝罪を聞くとサティーナはにっこりと微笑んだ。
 
 
 明るい茶店村ではあるが、本格的な夜が来れば闇も増える。
 時々、剣士と思われる男たちが二人歩いてくる。おそらくサティーナたちを探しているのだろう。
 彼らの目を盗み、アキードと共に向かった先には二階建ての茶店があった。
「あそこ?」
「ああ」
 アキードの説明によると、隔離結界を維持するには魔種もそうとうな力の消費になるらしい。そのため、何かを媒体にして力の軽減を図るのだそうだ。
「媒体と言うよりは力の供給源と言ったほうが正しい」
 それが、二箇所から感じられるのだそうだ。サティーナが手伝うことになった訳はそこにある。
「どちらか一つを壊せばいい。契約魔はおそらくそこまでして、俺を結界内に留めておくことは無いと思う。やつらは基本的に自分が一番だからな」
 一つが見通しのよい広場。
 もう一つが今、目の前にしている建物にある。
「できるだけ敵の目を引きつけるが、全部は出てこないだろう」
 アキードはあの首飾りを外すとサティーナの首にかけた。
「まだ結界が働いているが、目くらまし程度で弱い。いいか? サティーナは保険だ。行動に移るのは俺が倒れてからでいい。絶対に無茶はするな」
 サティーナはかけてもらった首飾りを手にしてにっこり微笑んだ。
「ええ、わかってる。私にはやることがあるもの。こんなところで死んだりしないわ」
 その宣言を聞くとアキードは頷いた。
「わかってるならいい」
 そういうと辺りに目を配った。人の気配はない。
 サティーナはアキードの合図で二階建ての茶店の近くへ走った。隠れられそうな場所に身を潜める。
 アキードはそれを見届けると広場にある媒体を壊すため、足を向けた。
 ここからは完全に別行動をとることになる。
 茶店の横手、物置き場になっていて暗い場所にサティーナは身を潜めていた。そこからは明るい表通りが良く見えた。
「現れたらしいぞ!」
「どっちだ?」
 剣士が二人足音を潜めて裏通りからやってきた。
 サティーナは首飾りを握り締め、息を潜めて彼らが通り過ぎるのを待った。
 剣士二人はサティーナに気がつくことなく、表通りに出て真直ぐ広場のある方角へと走っていった。
 よく耳を澄ませば声が聞こえ、金属のぶつかる音がする。
(アキード)
 どうやら闘っているようだが、ここからでは戦況を見ることもできない。
 そこまで思って気がついた。
 アキードが倒れてから、とはどう判断するのだ?
(まさか、そのつもりなんてことは……)
 ないはずだと思った。ノアを呼ぶのは最終手段だとしても、最終的には呼ぶつもりなのだ。
 サティーナが心配せずともアキードはノアを呼ぶ。
(でも、それなら今呼んでも同じことよね?)
 危機的状況に落ちてから呼んでも、今呼んでも結果は同じ。
 違うことは、その時にアキードが無事かどうかということ。
 一気にサティーナの顔から血の気が引いた。
 アキードがノアを呼ばないのは自分のためではない。サティーナのためなのだ。
 ノアを呼べばアキードの偽装符も結界も吹き飛ぶ。だが、同じ状況にあった襲撃のときアキードは対処していた。
 サティーナは自分の持っている首飾りをもう一度握り締めた。
 目くらまし程度ではあるが、この首飾りは結界を発動できるのだ。これがないアキードはノアを呼んでもすぐに姿を隠せない。対してサティーナはこれがあるために見つかり難い。
 どう転んでもサティーナには有利だが、アキードには不利だ。
(いつも、いつも、肝心な説明が足りないのよ!!)
 サティーナは胸中で叫び、行動を起こすことを決意した。