五話 深層にある蓋
 神官との出会いからずっと雨は降らず、順調に街道を進んでいた。
 サティーナはその街道が今までとは違い、ある法則を持っていることに気がついた。
「もしかしたらこの茶店って一定の距離を保って置いてあるの?」
 サティーナたちは一日歩き通しているわけだが、その一日に必ず大小あわせて十軒以上は目にする。
「ああ、エントよりこっちは水がないからな。この街道を作ったやつが金儲けもかねて作ったんだろうが、実際ないと困る」
 この街道の正式名称は『リーコット街道』という。
 その昔リーコットという商人が作った道で、ターシアからトルムを通りヴィーテルまで続いる。ターシアからヴィーテルまでの一番遠回りの道でもあるが、道はとても整備されているので、特に荷馬車を使う商人はこの街道を利用する者が多い。
 しかしアキードの言うように、エントからトルムまでは湖も池もなければ、川も無い。そのため街道沿いに等間隔に水の供給場所が建てられた。それが今の茶店の始まりとなっている。
 そのうち沢山の茶店が競うように立ち並び、大小あわせてどのくらいあるのかわからないほどだ。
「金儲けって、この茶店って全部その街道を作った人のものなの?」
 個人の店だと思っていたサティーナは呆れたように尋ねた。
「正確に言えば違うけどな」
 そう言って以降、口を閉ざすアキードに、サティーナは疑わしそうな目を向けた。
「…もしかしたら、説明が面倒なだけ?」
 もしかしなくてもそうだろうと、この旅の間で学習していた。
 小さな茶店はそれこそ休息と雨宿りに使われるような、ただ屋根があり、座る場所があるだけで壁のないところもある。
 かと思えば立派な二階建てで、宿としての機能も持っているところもある。
 一軒ぽつりと存在する場所や、何軒かが集まっている場所もあり、その様式は様々だった。
 そんな茶店を利用しつつ、とりあえず何事もなく四日が過ぎようとする夕方。
 地平線へ沈む太陽を見送りつつ、次の茶店で休息を取ろうと道を急いで着いた場所は、遠目には村のような場所に見えた。
「すごいわね。まるで町みたいだわ」
 そこはサティーナにそう言わせるくらいの規模だった。
 実際、小さな村より活気がある。
 小規模の茶店から、二階建ての店まであり。その他にも土産の露天などもあり、夜になるにも関わらず賑やかだった。
 そんな茶店村に向かうサティーナたちの横を一台の馬車が通り抜けた。
「なんだか、豪華な馬車ね」
 それは商人が乗るような行商の馬車ではなく、まるで貴族が乗るような装飾が施された馬車だった。御者もどこか身なりがいい。
「トルムの豪商の婦人がよく来るらしいぞ」
「そうなの…って、何を目当てにくるの?」
 アキードの説明にサティーナは頷きながらも、世界最大の呼び物のあるポンシェルノの人間として素朴な疑問を聞く。
「お茶だ。ここは唯一地下水が通ってる。その水が良い水でトルムの婦人に人気があるらしい」
「ふ〜ん。トルムから近いの?」
「馬車で一日だな」
「そう」
 トルムまでそう遠くは無いとは思っていたが、もうそんなに近いのかと思うと、嬉しいような寂しいような、複雑な気分になった。
 アキードはトルムが目的地。必然的にサティーナとはトルムで分かれることになる。その先、一人で大丈夫なのか不安になる。
 もやもやと心を支配し始めた闇に、サティーナは小さく頭を振って打ち消した。
(大丈夫よ。神官様からもらった御守りもあるし、私はハルミスの子だもの)
 太陽の端が完全に地平線に飲み込まれると、辺りはぼんやりと薄暗くなったが、それでもまだランプも必要ないほど明るい。
 一番端の茶店に近づくと、その全体が想像以上に大きいことがわかる。
「本当に、町みたい」
 今まで見てきた茶店は街道に沿って設置してあり、一歩街道から外れればすぐに茶店に入ることができた。
 しかし、ここは街道からそれる大きめの道があり、それを挟むように店が建っている。その大きな道は街道と同じ幅があり、馬車が二台並んでもまだあまる。
「ここは間違いなく、将来町に認定されるわ」
 アキードもその意見に頷いた。
「イノも元々そうだったらしいからな」
 他の旅人や商人たちがサティーナたちと同じく、休息を求めこの町へと入っていく。二人もそれにならい、街道からそれる大きな道から茶店町へと入ることにした。
 小さな町ではあるが、商人が沢山行き来することもあってか、大きな道の両脇に、大きめの火球のランプが等間隔に並び、とても明るかった。
 門のようなものはないが、守衛のように剣を腰にした男が道をはさんで二人づつ立っている。
「検問とかあるの?」
 その姿にサティーナはポンシェルノを出るときを思い出してアキードに尋ねる。
「そんなものは無い。ただの牽制だ」
「ああ。用心棒ね」
 二人並んで歩いている側を今度は商人の馬車が通り抜けた。
 本当に活気のあるところだと感心しつつ、守衛の間を通り抜けると景色が一変した。
「………な、に?」
 あまりのことに足を止め、サティーナは呆然とした。
 突然目の前にいた人たちが完全に姿を消したのだ。道を歩いている人はもちろん、店の中の人に馬車までも全てが一瞬で消え失せた。
「…まずい」
 隣で聞こえる声に目を向けると、アキードが街道を振り返っていた。
 何かを見ているような、見ようとしているような感じで、声をかけられるような雰囲気ではない。
「もしかして追っ手?」
 その様子に一番に浮かんだことを口にするが、アキードはただじっと街道へ目を向けている。
「…いや。それより悪い」
 そういうと街道へ向かいニ、三歩行くと立ち止まった。そこには何もないのだがアキードが手をかざすとわずかに空気が歪んだように見えた。
「今のなに?」
「結界の中に入った。しかも隔離結界だな」
 一度茶店のある方向へ目を向け辺りを窺う。
 人の気配は全くしないのだが、どこからともなく二人をめがけて矢が飛んできた。
「こい!」
 矢をかわして有無を言わせずサティーナの手を引いて走り、近くの茶店に入った。しかしこれも一時的避難でしかない。
 店の中は明るいままだが、やはり人はいない。
 奥へ進むと裏口がある。そこから出るのかと思ったのだが戸を開けただけで外には出なかった。
「アキード?」
 サティーナが疑問を口にする前にアキードが静かにするように身振りで示す。サティーナを自分の背中に隠すようにして、あの首飾りをひっぱり出すとなにやら唱えだした。
 その直後に敵が表口からやってきて、開いている裏口から出て行く。
 いくら暗がりにいたとはいえ彼らの前を素通りしていったのだ。
 サティーナはドキドキしながら彼らが通り抜けるのを見送り、アキードが動き出すのを待ってから声をかけた。
「何をしたの?」
「目くらまし程度の結界を張った。見破られるのは時間の問題だが、ないよりはましだろう」
 声を潜めて話すサティーナの耳に、店の外から声が聞こえてきた。どうやら敵はかなりの人数がいるようである。
 アキードは身を屈めたまま難しい顔をしていた。
「この結界を破ることはできないの?」
 外の様子とアキードを見て、素朴な疑問を投げる。
 呪術に素人のサティーナには元聖騎士の、しかも最高位に就いていたアキードが悩むほど、今の状況が大変だという認識がない。
「結界を破ることはできる。ただし、外の結界をな」
「外の結界?」
 サティーナにはなんのことやらである。
 きょとんと小首をかしげるサティーナに、アキードはどう説明すべきかを一瞬悩み、近くにあった大小の器を取り出した。
「ここに入って目の前の景色が変わっただろう? あれは切り離された空間に入り込んだからだ。それを隔離結界という」
 小さな器を伏せて置く。
「この隔離結界だけなら、俺が気づかないわけが無い。そこで、やつらはもう一つ結界を張った」
 アキードは小さな器の上に大きな器を伏せた。
 つまり今いる状況はこんな感じだということだろう。
「この外側の結界は壊せるっていうことね? でも、それじゃ、中を壊さないと外には出れないって事でしょう?」
「ああ、そこが一番の問題だ」
 苦いため息をついてアキードはサティーナを見据えた。
「空間を切り離す結界は人間には作れないんだ」
「え…」
 それはつまり一つの事実を指す。
 どくんと心臓が脈打った。急に寒気がして喉が異様に乾く。
「もう一つ言うと、これは俺を対象にしたものだ」
 余裕しゃくしゃくで言うアキードが何を言ったのか、余裕の無いサティーナには一瞬わからなかった。
「……はい?」
「だからこそ、サティーナが巻き込まれた理由がわからない。他の人間が居ないことを考えると、やはり俺限定だったと思うんだが…」
 小首をかしげたまま思考を止めたサティーナが復活するまで、アキードは目を閉じ、この空間を把握すべく集中することにした。