四話 必然との再会
 エント城砦からトルム国へと向かう途中、サティーナたちは雨に降られた。
 雨の少ない地方なので降っても小雨程度なのが普通なのだが、まるで水底がそのまま落下してきたような激しい雨だった。
「いや〜すごい雨だな。今年は聖火巡礼の年だろうに」
 サティーナたちと同じく雨に降られ、茶店に雨宿りしてる商人が空を仰ぎぼやいた。
 聖火巡礼の行われる年は火季と言われ、雨の最も少ない年だ。
 その年にこれだけの雨が降るのだ、ぼやきたくもなるだろう。
 小さな茶店に沢山の人が雨宿りしているため、そのぼやきにもすぐ合いの手がはいる。
「ああ、まったくだ。こっち側は雨が少ないから使っているのにな。そういえば聞いたかい? どうやらホルトロ橋が落ちたらしいぜ」
「ありゃ本当か。俺はターシアを回ってヴィーテルへ帰るんだが、それじゃあ綱渡りになるかぁ。俺ぁ高い所は苦手なんだがなぁ」
 話の内容から、ターシアからきたらしい商人がこれからターシアへ向かう商人に話をしているようだ。茶店は旅人や商人の情報交換の場所でもある。これから行く場所、今行ってきた場所の情報を聞いたり話したりするのだ。
「そういや〜知ってるか? ヴィーテルの王子がターシアの王女を花嫁にもらうって話」
「その話なら俺も聞いたな。どうやらターシアの王位の問題で王女が嫁ぐことになったって話だぜ? 確かもうヴィーテルに向かってるはずだけどなぁ…もしかしたらホルトロの橋で足止めくらってるんじゃないか?」
 そりゃ大変だと、あくまで他人事で笑っている商人たちの話を、近くで関わりのあるサティーナが聞いていた。
「本当はものすごく大変なことになってるんだけどね」
 ふぅ、とため息とともに小さく呟いた。
 今サティーナは一人である。
 只居は悪いのでお茶を頼んだのだが、雨宿りに駆け込んできた客が多く、店の給仕が間に合わないため客が自分で取りに行っている。
 勝手のわからないサティーナより旅慣れているアキードがお茶を取りに行ったのだが、人が多く中々こちらへこれないようだ。
 背の高い人なのでどこにいるのかすぐにわかる。
「お嬢さんはどこから?」
 アキードの黒い頭を伸び上がって確認していると隣にいた女性に尋ねられた。
「あ。ターシアからです」
 ここまでの道のりでそう答えるのが普通になっていた。
「そう。トルムへ行くの? ああ、もしかしたら新婚さん?」
「ぅえ?」
 あまりの勘違いにサティーナはおかしな声を出してしまった。
 先ほどまでアキードと一緒にいるのを見ていたのだろう。女性はサティーナの反応に、なぜかにっこり微笑んで頷く。
「トルムは新婚旅行にはとってもいいわよ。賑やかな所も沢山あるけど、輝水湖(きすいこ)に面した宿街は静かだし、この時期は霧が発生するでしょう? そうすると町全体が幻想的でとっても美しいの」
「はぁ」
 女性はその光景を思い出しているのか、うっとりとした表情で遠くを見つめる。
「私も新婚旅行はトルムだったわ。そこで二人は結ばれたの」
 自分で言って「きゃーっ」と恥ずかしがる。
「………」
 そんな女性に、サティーナは目を瞬き、何もいえなかった。
 そして自分の世界に入った女性の暴走は止まらない。
「着いた夜は疲れて寝てしまったんだけどね。朝になったら霧が出て、外に出れなくなってしまって。部屋に二人きり。邪魔するものは何もないわ! 窓の外は白い霧にところどころ色のついた光が見えて、まるで夢の中のようだったわ〜」
「あ、あの…」
 一人の世界に入ってしまった女性を、現実に引き戻そうとサティーナは声をかけるがまったく聞こえていない。
「だからね! 初めてはトルムが一番よ!!」
 力強く握りこぶしつきで断言された。
「は?…はい」
 まったく話がわからなかったが一応答える。そうしなければ女性の話は終わりそうに無かったのだ。
「でも、いいわね〜。新婚。甘々。ドキドキ。…ね?!」
「…ええ、そう、です、ね」
 引きつった笑いを添え、一応頷く。
 ここまできて「新婚旅行じゃありません」と言ったら言ったで厄介なことになりそうな気がした。ハルミスとしての勘というよりは、女の第六感だ。
「あら、噂の旦那様がきたわ。じゃあ、私もこれで退散するわね」
 にっこり意味深に微笑んで手を振り、別の場所へ行ってしまった。
 サティーナが固まりつつその笑顔に手を振って答えると、ちょうどアキードが現れた。
「どうした?」
 サティーナの前にお茶を差し出しながら尋ねると、脱力のため息を盛大に吐き出した。
「なんだ?」
 落ち込んでいるというよりは、疲れたという風情のサティーナにアキードは首をかしげた。
「…なんでもない、けど…ありがとう」
 お茶を受け取りつつお礼を言うが、アキードがお茶を離さない。
「けど、なんだ?」
 女性との話の内容に、サティーナはアキードの顔をまともに見れなかったのだが、声が少し硬いような気がしてようやく顔を上げる。
 そこには少し心配そうな不思議な青緑色の瞳があった。
 エントでの出来事からそう時間はたっていない。
 心配してくれるアキードに、サティーナはにっこり笑って尋ねてみた。
「私たちって新婚夫婦に見えているの?」
 その質問に今度はアキードが微妙に固まった。
 すとん、と手の中にお茶の重さが納まる。
「…らしいな」
 そう言うと未だに豪快に降る雨に目を向け、お茶を飲むアキード。
「らしいって、アキードもどこかで言われたの?」
 それには少し意外だった。聞いてみるがそれには答えない。答えないと決めたアキードが口を開くことはほとんど無いので、サティーナは早々に諦めた。
「初めてはトルムがいいらしいわ。でも、新婚旅行に初めてとか二回目とかあるのかしら?」
 疑問に思ったことを口にしただけだったが、隣でアキードがお茶を吹き出しそうになり、むせていた。
「なに?」
「いや。それって…」
 何か言いかけたままの口でしばらく沈黙し、苦笑とも嘲笑ともつかない笑いを口元に浮かべ、何事も無かったようにお茶を飲みだした。
 サティーナにはその笑いがなんなのか、さっぱりわからない様子で眉を寄せた。
「なに?」
「あるんじゃないのか? 二度目や三度目ってのが」
 絶対に本気ではないだろうとわかるほど、アキードの声には笑いが含まれていた。
「絶対に馬鹿にしてる」
 そういうと、喉の奥で笑い出した。
 それに抗議しようとした瞬間、鼓膜に空気の壁があったたような微かな衝撃があった。
 悲鳴を上げるほどでもないが、サティーナは思わず片方の耳を塞いだ。
 自分だけが感じたのかと思ったが、横にいるアキードもわずかに顔をしかめていた。
「今のなに?」
「暴走したな」
 サティーナにはなんのことやらさっぱりだったが、アキードが地面の一点を見つめたまま動かなくなってしまった。
 しばらくそうしていたが、ため息を一つ落とし嫌な顔をして、サティーナに自分のお茶を手渡した。
「そこを動くなよ」
「アキードは?」
 問いに答えるより早く、アキードは雨よけの帽子を被ると外へ出ていってしまった。
 二つのお茶を持ち、サティーナはアキードの行動に見入っていたが、周りに人間がアキードを気にする様子はなかった。
 そのあまりの無関心さに少しだけ首をかしげると、あの宿屋での話を思い出す。
(そうか、偽装符ね)
 誰も気がつかないということは無いだろうが、それでも余計な関心を引かないくらいの効果はあるようだ。
 そんなことを考え、初めて会った時、自分もアキードの存在にしばらく気がつかなかったことを思い出す。
(あの時からちゃんと持ってたのね…私が側にいてもいいのかしら?)
 エントの宿でも聞いたが、返事はもらっていない。サティーナ自身それどころではなくなったこともある。
「あれでお人好しだったんだわ。そういえば」
 ポツリと呟き手元のお茶を見る。
 そう考えると、アキードから離れろとは言わない気がする。いいや、今までも言わなかった。
 もう、離れるべきなのかもしれないこともなんとなくわかっている。
 アキードは敵に見つからないために偽装符を持っている。サティーナはそれを無意識ではあるが、壊してしまう。それがわからなかった前ならともかく、今はそれをサティーナもアキードも知っている。
 いつあの襲撃の二の舞になるかもしれない。そうなったとき、アキードは自分を守るだろうと何となく想像がついた。
(私から離れるべきなのかも…)
 冷静に考えられるようになった今、そう思う。
 サティーナは確かに追われているし、急いでもいる。でも、アキードのように命は狙われていないはずだ。
(やっぱり不安だったのかな)
 二つのお茶に映る自分に苦笑した。
 アキードが帰って来たらそう言おうと心に決めた。