「ヴィーテル国とターシア国が因縁の間柄だということは知ってるな?」
「ええ」
 なぜこんなところから話が始まったのか。サティーナは少々疑問に思ったが、とりあえずその疑問を口にはしなかった。
「その関係が変わろうとしている」
 アキードの言葉からターシア国の王女の結婚がすぐに思いつく。
「今回の結婚は政略だというやつもいるが、これを期に両国間の関係がよくなることを祈る人間のほうが遥かに多い。実際、政略的な目的ではなく、国王同士の約束だったと聞いた。次の王位は前王の息子が継ぐことも決まっているしな」
 現ターシア国王は仮の王である。前王が幼い息子を残し崩御したことで、それまでの繋ぎとして従兄弟が現国王として立っている。
 今の王の娘がヴィーテルに嫁いでも政略として弱い。それでも確実に姻戚関係が結べることには間違いない。それによって、国同士の交流も深くなる。
「だが、やはりというか、それをよく思っていない人間もいる」
 それほど二つの国の仲は悪いといえるが、それには愛国心だけが理由ではない。
「ターシアは豊かな土壌がない。金持ちではあるが、実際のところ食う物はどうしても不足している。今はトルムから仕入れているが、ヴィーテルから直接仕入れるほうがどう考えても効率がいい」
 ターシア国とヴィーテル国は川を一本隔てただけの隣国である。トルム国とヴィーテル国も同じ川を一本隔てているが、トルム国とターシア国とは陸続きである。しかし、陸続きとはいえかなり遠い。
 その遠い国のトルムを通すことで、本来なら払わなくてもよいお金が発生している。運送料、仲介料、当然仕入れた値よりも高い値を払わなくてはならない。
 だが、直接ヴィーテルと取引ができれば、その無駄に払う分を減らせる上に、トルムを通るよりも格段に近道である。
「いいことが多いのに反対しているの?」
 矛盾する話にサティーナは眉を寄せた。
「よく考えてみろ。ヴィーテルにとってはさほど変わらない変化だが、ターシアから見ればヴィーテルに貸しを作ることになる。直接敵対国から買うことにも抵抗があるんだろう」
 ヴィーテルからしてみれば、売る相手がトルムになるかターシアになるか、それだけの違いだが、ターシアからしてみれば商業国トルムから買うのと、敵対国ヴィーテルから買うのでは全く違う。
 それ相応の金を支払うのだからいいのではないかとも思うが、売る立場と買う立場では全く違うのだ。
「それに、トルムが仲介に入っているからこそ、今の状態でもそれなりの食料を買い入れることができてるが、もし、ヴィーテルから直接買うことになり、いさかいがあったときにはどうしてもターシアの立場は弱くなる」
 トルムからまた買い入れれば問題はないのだが、商売とはそういう問題ではないとサティーナは知っていた。
「つまり、トルムの信用がなくなるから?」
 その言葉にアキードは頷いた。
 問題があったときにヴィーテルから売買を止められてしまったら、ターシアは困る。困るからこそヴィーテルの不当な言い分も聞き入れなければならなくなる。下手をしたら、トルムからの不当な言い分も飲まなくてはならなくなるかもしれない。
「そして一番怖いのは、ヴィーテルとトルムの両国がターシアの敵になったとき、両国が手を結ぶようなことになったら…。という危機感だな」
 ターシアは軍事国家だ。力では圧倒的に二国に勝る。
 しかしヴィーテルは生産で勝り、トルムは物資を動かしている。物が動かなくなっては戦もできない。
「でも、王様同士が決めたことでしょう? 反対する人がいたとしても実際に王女様は今、ヴィーテルに向かっているわ。それって賛成する人のほうが多かったってことなんじゃないの?」
「ああ。そうだ」
 それなら何も問題はないではないか。サティーナは小首をかしげた。しかしアキードは渋い顔をする。
「ある特定の立場にある人間が、自分の思い通りにことを進めようとするとき、手段は選ばないものだ」
 アキードがため息とともに吐き出した言葉は今のサティーナにも言えた。
「手段…」
 その言葉に母の安否が気遣われたが、次のアキードの言葉に全てかき消されてしまう。
「お前が旅に出る二日前、王女を乗せた馬車が襲われた」
「…襲われた?」
 数度瞬きをしてから尋ね返した。
「ああ。…俺が追っているアマンダは偽名だ。本当の名前はストランド・メリーナ。元聖騎士で、今はユーセイン王女付きの侍女だ。馬車が襲われた時、当然メリーナもそこにいたはずだが、消息がつかめていなかった」
 ゆっくりとサティーナがついてこれるように話をしてくれたおかげで、なんとか思考を止めることなく話を聞けていた。
「それじゃ、あの伝言は王女様の行方?」
「そういうことだ。場所はトルム国。とりあえずそこまではわかってる」
「ちょっと、待って。王女様はトルムにさらわれたの?」
 今まで話していたのはターシア国内に反対するものがいるという話だ。そこから考えればターシアの反対派が襲ったと考えるのが普通だ。
「襲われたやつらが言うには盗賊団だったらしいが、間違いなくターシアの反対派が行ったというべきだろうな。だが、さらった王女がターシアにいたら都合が悪いだろう」
「ああ。そうね。自分たちがやりましたって言ってるようなものだわ」
 ほとぼりがさめるまでどこか別の場所に王女を隠す必要がある。その場所に選ばれたのがトルム国ということだろう。
「黒幕はわかっていないが、この一件。もしかしたらトルムも一枚噛んでいるかもしれないな」
「え?」
 サティーナには全くその思考が理解できなかった。
「トルムはターシアに恩を売りたいから? でも、それがばれたらヴィーテルにそっぽを向かれてしまうわ。そうなったら困るのはターシアだけじゃない、トルムだって……」
 困る? と首をかしげアキードを見つめる。
 別にアキードを見ているのではなく、考えをまとめているだけなのだが、アキードも視線を外さない。
「トルムは、ターシアとヴィーテルが仲良くなると、困るのね?」
 サティーナの出した答えにアキードは大きく頷く。
 元は二国。ターシアとヴィーテルしかなかった。
 そこにトルムができたのはその二国の仲が悪かったため、その間を取り持つことで、物を運び、発展してきた。
 しかし、二国が仲良くなればトルムに仲介を頼む商人が減ることは目に見えている。
「え? でも、ちょっと待って」
 自分の出した答えにサティーナは戸惑った。
「それって、黒幕はもしかしたらトルム国かもしれないってこと? そんな大それたことを誰が…」
 そこまで言い、ふとあの黒狼の言葉を思い出す。
「トルム国の総領…カーチェリア・ハイデン」
 サティーナが呆然と呟いた一言に、アキードは固い表情で頷いた。
「ああ。まだはっきりとはいえないが、トルムの総領が関わっているのは間違いない。お前が引っ張り出された原因もそこにあるだろうな」
「総領がお母様を知っていたから? でも、今回の結婚の話とはまったく関係ないわ。お母様の用はジュメル卿だもの」
 たまたま二つの事件が重なった。サティーナにはその認識も旅に出た当初なかったくらいだ。
 しかし、アキードは予想に反して厳しい視線をサティーナによこす。
「ジュメル卿は国内外の危機管理を仕切っている。今回の王女失踪もターシア側からの要請で数人が動いている」
 その一人がアキードであることは間違いない。
「集めた情報はジュメル卿へ送られるし、それをまとめて次の行動を決めるのもジュメル卿だ。それが今、娘殺しの容疑で蟄居となれば、危機管理の機能が低下するのは間違いない」
「でも、誰かがその仕事を受け継ぐでしょう?」
 今まで請け負っていた人物がいなくなれば、当然そうした自体は避けられないだろう。しかし、事が事だけにそのままにはしておかないだろうことはサティーナにも思いつく。アキードも当然頷く。
「ああ。それがフロストだ」
 アキードの言葉にサティーナは絶句した。
 何も言えずただ立ち尽くしていると、突然、扉を叩く音が部屋に響き渡った。
 どちらかと言えば控えめだったその音にサティーナは息を飲み、扉を見た。
「どなたですか?」
 アキードが尋ねると、扉の向こうから意外な人物の声が答えた。
「あの。傷のほうは大丈夫ですか?」
 二人は互いに顔を見合わせ、扉を見た。
 声はあの町医者のものだったのだ。