「同じ部屋でよかったのか?」
 ついた宿でアキードはそうサティーナに尋ねた。
 二人分の荷物を床に置くとサティーナは首をかしげる。
「え? お金もったいないし、ベッドは二つだし。あ。アキードはいやだった?」
「そうじゃなくてな…」
「?」
 本当に不思議そうにしているサティーナに、アキードはため息をついて説明を諦めたようだ。
「もう少しでいいから、危機感を持て」
 アキードの言葉にサティーナはどこかで聞いた台詞だと思いつつ、あの黒い狼を思い出した。
「主従で同じこと言わなくてもいいじゃない」
 少し頬を膨らませベッドに腰を下ろしたサティーナにアキードは小さく笑った。
「まあ、お前が命を狙われることはないとは思うが、少し用心したほうがいい」
 言いながらアキードはベッドの横にある小さな机を引き寄せた。椅子はなかったのでサティーナと同じようにベッドに腰を下ろす。
 どうやら何か始まるようだと、サティーナは興味本位でアキードのすることを見ていた。
 アキードは宿の受け付でもらった紙になにやら複雑な文様を描いていく。
 一段の行を書き終えるとその下に上よりも短い行を書いていく。すると逆三角形の形が出来上がる。それと同じ物を三つ、最終的に大きな三角形ができるように描いていく。
 書いている文字がファブル文字であるとわかったが、それが何を作り出しているのかサティーナにはわからなかった。しかし、見ていて飽きることもなく、アキードが書ききるまでじっとその文字を目で追っていた。
 書き終えて満足そうにペンを置いたアキードは、少し疲れたのか目頭を押さえた。
「これが結界なの?」
「なんだ。知らないのか?」
 意外そうにアキードに言われサティーナはこくりと頷いた。
 サティーナの父も結界を作るが、サティーナはその作業を目にしたことがなかった。
「灼石じゃない私は教わることはないもの」
「…そうか。これも一応結界の一種だ。擬装符と呼ばれるものだ」
「擬装符?」
「そのままだ。気配を擬装させる。これがあれば魔種に見つかることも少なくなるし、人間にもわりと有効だ」
「ふ〜ん」
 説明されてもサティーナにはいまいちよくわからないようだ。
 生返事をするサティーナをアキードはまじまじと見つめた。
「なに?」
「聞いておきたいんだが、お前、ハルミスとしての自覚はあるのか?」
「自覚って…宿屋の方面なら自覚はあるわ。でも…私は灼石は継いでないし、ただ赤い目っていうだけだし、自覚って言われても……」
 視線を落としごにゃごにゃと口の中で説明する。
「まあ、ポンシェルノから出なければ関係はないからな、知ってなくてもいいんだが…ハルミスはどういうわけか結界を壊す力を持ってる。どうやらそれは、灼石を継ぐとかは関係ないらしいぞ」
 なにやら非難を受けているようだが、もちろんサティーナに自覚はない。いつもの通りに言われたことを反芻し、整理している様子でアキードを見つめる。
「…えっと、つまり、アキードが作ったその結界も私がいると壊れる、ということ?」
 サティーナが聞くとゆっくりと頷く。
「部屋。別にしたほうが良かった?」
 少し的から外れたのか、アキードはいらだったように頭をかいた。
「俺はこの旅に出てからずっとこの偽装符を持っている。一応、これでも神殿の最高位に就いていたからな、そうでもしないとすぐに魔種に見つかる。お前は灼石ではないし、ノアの話で気を抜いた俺も悪いが、それでもだ、こんなに早く効力がなくなるとは思わなかった。おかげで………」
 ここまで早口でまくしたてたが、サティーナが再び思考を止めたことに気がつき、盛大なため息をつくと結界を起動させるべく作業に取りかかった。
 アキードがなにやら集中している横で、サティーナはその様子をぼんやりと見つめていた。
(アキードはやっぱり最高位なんだわ。んん? でも、それがどうしてジュメル卿の配下に? この旅に出てからあの護符を持っているってことは、アキードは魔種には見つかりたくないのね…魔種?…この場合おそらくは契約魔よね)
 アキードは契約魔を持つ誰かに見つかりたくなく、擬装符を旅に出るときからつけている。
 それが、つい先ほど壊れたので今作ったということだろう。
 雑木林の中で聞いたあの紙を弾くような音を思い出し、あれがそうだったのだろうと思う。
(その後にあの剣士たちが現れたっていうことは…)
 唐突に現れた剣士たち。そんなことができるのは魔種しかいない。
(じゃあ、あれはアキードの敵ということかしら)
 思考に没頭していたサティーナが視線を上げると、アキードは目を閉じ、ファブル文字を書いた紙の両脇に手を置いていた。
 それまで何も感じなかったが、ふうわりと柔らかくどこからか風が入ってきたように空気が動いた。窓は当然閉まっている。
 気のせいかと思えるほどの微風なのだが、なぜかサティーナには落ち着きをなくさせるものだった。
 無意識に胸に手を置くと、ふっと心のざわめきが収まる。
 微風はすぐに部屋の中から消滅した。
「終わったか?」
「え?」
 肌にまとわりつくような微風に気をとられ、アキードの言葉の意味が理解できなった。
「考えはまとまったか?」
 話しながらアキードは、着ていた上着の中から手の平ほどの薄い板を取り出した。
「えっと、一応」
 サティーナはその作業を見守りつつ答える。
 薄い板は二枚合わせになっており、その中に真っ二つに切れた紙が入っていた。それを取り出すと、先ほど書いた紙を挟み再び服の中にしまった。
 その作業が終わるとアキードはサティーナときちんと向かい合った。
「おそらくここから先はお前自身にも危険が迫ると思う」
 突然真剣に話し出したアキードにサティーナも真剣に耳を傾けた。
「お前の場合、知っていたほうが余計な行動を取らない気がするから話しておこうと思う。これは直接お前には関係ないんだが………」
 どこから話そうかと悩むように一度切られた腕に手を当てた。
「俺はジュメル卿の命で、ある人を追っている」
「アマンダさんね」
 サティーナはあの店で護符を置いていった女性の名を思い出した。
「ああ。正確に言えばアマンダも追っている人だ」
 うすうす気がついていた話をアキードはゆっくりと語り出した。