闇の中、手を引かれて走りきった先は町だった。
「…どこ?…」
「…さぁな…」
 とりあえずここがどこか知る必要があったが、二人ともかなり息が上がっていた。ここまで全力疾走してきたのだから当然といえば当然である。
 息を整えながらアキードが町を観察している間、サティーナは地面に腰を下ろして後ろの森を振り返った。
 森は静かで先ほどの剣士が現れる気配はなかった。そういえばノアの姿もない。
「どうやらここはエント城砦みたいだな」
「えぇ! エント?!」
 あの町からエント城砦まで、どんなにがんばっても一日以上はかかるはずだ。それを全力疾走したからといってこんな短時間で着くはずがない。
「ああ、そうか」
 アキードは納得したように自分の傷口を見た。とりあえずの止血に手で押さえているが、押さえた指の間からは血が流れている。かなり出血しているようだ。
「そうだわ、怪我!」
 アキードが負傷していたことを思い出すと、荷物の中から適当な布を取り出した。切られたのは左腕。とっさに身を引いたらしく傷はそれほど深くなかったが、全力疾走したためか出血がひどかった。
「どうしよう。お医者さまに診せたほうがいいわ」
 応急処置にとりあえず血止めをするサティーナの手が少し震えていた。
「このくらい平気だ。だいたいこの怪我じゃ怪しまれるだろう」
 アキードの傷は誰がどう見ても切られた傷で、なにかまずいことをして切られたのではと疑われるのが落ちだ。
 しかしそんなアキードの言葉をサティーナは意に介さなかった。
「大丈夫よ。私に任せて」
 そう言うとアキードを連れて町へと入ったが、当然門兵に引き止められた。
「お前たち、どこから来た?」
 アキードがほらみろと言いたげにサティーナを見るが、サティーナは気にする様子もなく門兵に話をする。
「イノからきたのですが途中で盗賊にあってしまって…この人が助けてくれたのですが怪我をしてしまったんです。怪我の手当てだけでもさせてもらえませんか?」
 心底困った様子でサティーナが話をすると門兵がアキード見る。
「負傷したのか? なら入るといい。医者を呼ぼう」
「ありがとうございます!」
 最高の笑顔でお礼を言うと門兵も警戒を解いたらしく、二人を城壁の中へと通してくれた。
「………詐欺だな」
 ぼそりとアキードが洩らすとサティーナが足を踏みつけた。
 門兵の一人に連れられてきた場所は、どうやら町の会所のようである。
 町医者がアキードの手当てをしていると、門兵の夕食を持ってきた女性たちがサティーナたちにも夕食を用意してくれた。
「残り物だけど、よかったらどうぞ。それにしても盗賊ですって? 大変だったわね〜。ゆっくりしていきなさい。ここは元城砦だから安全よ」
「はい。ありがとうございます」
 暖かい食事と女性たちの気遣いに感謝しつつご馳走になった。
 エント城砦はかつてターシア国が建設した城砦だ。しかし、時とともにターシアの国力低下のため今では自治区となっている。城砦という利点もありかなり発展している町である。
「ここ最近は盗賊が頻発しているらしいな。ついこの前もお前らと同じように非難してきた旅商がいてなぁ。街道も物騒になったもんだ。それで、盗賊は複数だったか?」
 城砦の兵士…いや、今は自治なのだから彼らは自警なのだが、困った様子で頭をかきながらサティーナに尋ねる。
「はい、多分…。逃げるのに必死だったので他のことは…」
 そこまで気が回らなかったと言外に伝える。
「そうか。まあ、命があっただけでも感謝しないとな」
「はい。彼がいなかったらどうなっていたかわかりません」
 怖かったのは事実なので、サティーナは固い表情をした。
 襲ってきたのは盗賊ではなかったが、間違いなく経験を積んだ剣士だった。それも複数。
「いきなり現れるなんて…」
 深刻にぼそりと呟いたサティーナに、自警の男は励ますように肩に手を置いた。
「とりあえず今日はここにいるといい。宿はどうする? なんだったらここにいてもいいぞ?」
 会所ではあるが自警たちの休息所などにも使っているのか、狭いながらも二人は寝られるくらいの場所が確保されていた。
 ベッドではなく、少し高くなっている床に直に寝そべるようだ。
 サティーナはそれを見て少しだけ考えた。
「まだ宿はやっていますか?」
「そうだな。まだそんなに遅くはないからやっているはずだ。どこか紹介してやろう…どこか部屋は空いているか?」
 自警の男が聞いたのはアキードの治療に当たっている医者である。
「ああ。キーゼンの宿なら空いていますよ。ちょっとぼろいですが」
 にっこり笑いながらサティーナに言うと治療が済んだらしく立ち上がった。
「この会所の向かい三軒目ですのですぐわかりますよ。では、私はこれで」
「あ。料金は…」
 アキードが聞くと医者の彼は首を横に振った。
「いいえ、たいした治療でもありませんのでお金は結構です。それより、あまり動かさないようにしてくださいね。それでは」
 そう言うと会所をすぐに出て行ってしまった。
 アキードとサティーナはいいのかと少し顔を見合わせた。
「あの医者の奥さんはかなりの恐妻でな、金よりもそっちのほうが気になるだろう。オレももう行くが、明かりはそのままにしておいてもいいからな」
「あ、はい。ありがとうございました」
 自警の男も自分の持ち場に戻っていった。それを見送ってからサティーナはアキードに視線を移した。
「傷は大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
 肩口の傷であるためアキードは上半身裸であった。
 サティーナは慌てて目をそらしたが、そのまま首をかしげた。
「あれ?」
 もう一度振り返り、まじまじとアキードが首に提げている物を見つめてから、サティーナは震える指でそれを指差した。
「あ・ああぁ…アキードっ。そっそれ、それって、もしかして!……」
 言語機能がやられるほどの混乱状態に陥れたもの…。
「ああ。これな」
 そういってアキードがつまみ上げたものは首飾りだ。
 細い銀の鎖に通されたそれはなかなか凝った作りの首飾りだった。
 盾の後ろに剣と、元は一対であったと思われる片方折れた翼があり、盾の真ん中には青い透き通った石がはめ込まれていた。
 記憶の片隅のある思い出が蘇る。
 
 まだサティーナが小さい頃である。
 父の友人だという神官をしている男性が尋ねてきた。
 名前など記憶にないが、女の子の性だろう、その男性がしていた首飾りはよく覚えている。
「おじちゃん。それとってもキレイ」
 サティーナが興味をもったのも無理はなく、翼を生やした盾には赤い石がはめ込まれていた。
「おとうさまのお目目みたい」
 サティーナの評価がおかしかったのか、神官はくすくす笑いながらその首飾りを外してサティーナに見せてくれた。
「サナの父上の目のほうがもっとキレイですよ。ね?」
「あのな、俺に同意を求めることか?」
 父のため息を聞きつつ、サティーナはその首飾りを目に焼き付けるように見つめた。
「サナも欲しい〜」
 そうねだってみたが、父はぽんぽんと頭を撫でるだけで何も言わなかった。その代わりに神官が教えてくれたのだ。
 それはクラム・パルテ神殿に仕えるものが持つことを許される称号だという。
 後で知ったことだが、その称号は見ただけで役職や階級がわかるようになっている。
 盾に透明な石がはめ込まれているのは司祭、巫女、祈祷師など階級は低い。
 それに翼があると神官。加えて錫杖で司教。剣で聖騎士。この三つは石の色で位が決まっており、下から透明、琥珀、緋。
 さらにその上にあるのが青。
 
 そう、アキードの首飾りにある石。青い石は最高位を示す。
「あぁ、アキードって、アキードって!」
 本当にかなり混乱しているようだ。言葉が続かない。
 そんなサティーナの反応に、アキードはため息をつきながら服を着る。
「落ち着け」
「落ち着けって、そんなの無理よ! だって、それってアキードは……」
 サティーナがその先を続けようとすると、アキードの目がひたりとサティーナの目を捉えた。
 それだけで、なぜか言葉を飲み込んでしまった。
 サティーナが止まるとアキードは服を着込んで、その称号をしまいこんだ。
 その様子を見ながらサティーナはようやく落ち着きを取り戻し、ほうっと感嘆のため息を吐き出した。
「まさかこの目で見るとは思わなかったわ」
 サティーナがどうしてここまで驚き、混乱したのかといえば、クラム・パルテ神殿は一国の規模があり、そこに住む人間もそれ相応に大変な数であるのだ。
 国にも匹敵する人口から最高位につけるのはたった五人だけ。それも血筋でも人選でもなく、完全能力主義で決まると言われている。
「…なんだか、頭痛くなってきた」
 サティーナは片手で額を押さえてうめいた。
「私って、もしかしたらとんでもない状況にいるんじゃないの? ハルミスに生まれたことは仕方がないけど、お母様の生まれも、アキードの立場も、なんだかとっても仕組まれているような気がしてきたわ」
 この旅は初めから、なにか見えない糸に絡まれている、そんな思いがサティーナの胸に渦をつくる。
 アキードは何も言わずに黙々と会所を出る準備をし、サティーナの荷物もついでに持つとようやく声をかけた。
「とりあえず話は宿に行ってからだ。今はここを移動したほうがいい」
 考えることが多すぎてアキードの傷のこともすっかり忘れていたが、右手に二つの荷物を抱えるアキードを見て慌てて自分の荷物を持った。
「あ。荷物、アキードのも持つわ。すぐそこだもの平気よ」
 拒否される前にサティーナはアキードの荷物も持つと、会所を出て教えてもらった宿を探す。
「三軒目…ってあれね…うん。間違いないわ」
 あの医者は"ちょっと"と言っていたが、かなり過大評価していたといえる。
「会所のほうがよかったかな」
 少し重いアキードの荷物を担ぎなおしちらりと後悔した。
「あそこよりはましだ」
「そう?」
 さっさと宿に向かうアキードの評価に疑いの眼差しを送りつつ、その背中を追った。