親切な商人のおかげで次の町には太陽が沈む前に着くことができた。
「ありがとうございました」
「ああ、いいよ。それよりも気をつけてな。お嬢さんも嫌なときはちゃんと言ったほうがいいぞ?」
「はい…?」
にやりと笑う商人の言葉はサティーナにはなんのことやらわからない。アキードは無表情で聞いていた。
商人と別れ、二人は軽食をやっている店を見つけた。
アキードはその店の前に立ち止まったのだが、店の様子を確かめるとまた歩き出した。
そんなアキードを見て首をかしげる。
「入らないの?」
今日口にしたものといえば携帯食ばかりだ。いや、ここのところでまともな食事にありついたのはイノの食堂で食べた物だけだ。
せっかく町についたのだ、普通に食事がしたいと思うのは当然のことだろう。
「探し物がある」
「お店?」
相変わらず要点しか言わないアキードは質問にも答えてはくれない。
しかし、サティーナも慣れたのか何も言わずアキードの後をついて歩く。
何度か同じことがあり、赤い看板にフォークとグラスが描いてある店にたどり着くと、どうやらそこが目当ての店だったようだ。
説明はもちろんなく、アキードは店の中へと入っていく。
「いらっしゃい!」
店に入ると威勢のいい声が掛けられた。
そこは小さな店で、食べる所と言うよりはお酒を飲む所のようだ。常連客が多いようで、小さな店に賑やかな声が店の端から端へと飛び交う。
サティーナはさすがに気後れしたのだが、アキードはかまわず二席開いている場所へ腰を落ち着けた。
「何にする?」
間をおかずに出てきたのは筋骨逞しい男性だった。白い前掛けがとてつもなく異様だ。とても飲食店の店員には見えない。
メニューを見るとまともな食事は二つしかなく、その他は酒と肴の種類だ。二つしかない食事の一つを選び、アキードはその店員に話しかけた。
「すまない。店主は?」
「俺だが」
その質問の答えにサティーナは口元を押さえて、慌てて下を向いた。
そんなサティーナを気にすることなくアキードは質問を続ける。
「ここに栗色の髪で緑色の目の女が働いていなかったか?」
アキードの質問に店主は少しだけ首をかしげた。
「もしかして探しているのはアマンダかい? あんたはどちらさんだ?」
「マージっていうが」
そう名乗ると店主はにっと笑った。
「あんたに伝言を頼まれてる。えぇ〜っとだな。たしか『帆船の上で待つ。名前はベルーナ号』これだけだ」
頭を掻き、思い出しながら答える店主の言葉にアキードは少し考える顔になる。
「…アマンダがいたのはどのくらい前だ?」
「二、三日前かな? あの娘、一日でうちの一週間分を稼いでいったよ。人気者でなぁ、あの娘がいればもう少し良い暮らしができたかもな」
店主は、はっはっはと豪快に笑うと店の奥へと引っ込んだ。
再びアキードは難しい顔で考え込む。
サティーナは店主が去るとようやく顔をあげた。目に涙を溜め、息を吐きだす。
「ああ。大変だった…アキードは人を探しているの?」
笑いを堪えつつ、それでも話はちゃんと聞いていたようだ。
「この店にいたのを知っているのに、その人の家は知らないの?」
「…追いかけているんだ」
その言葉にサティーナは少しだけ神妙な顔をした。何を想像しているのか顔を見ればわかる。アキードは腕を組んで苦笑した。
「勘違いするなよ? 別に逃げられた女を追ってるわけじゃない」
「違うの? あ、でもそうよね。それならわざわざ伝言なんか残さないわ」
ふとサティーナは小首をかしげ、アキードをまじまじと見つめた。
「店を知っていたわけでもなかったのね?」
この店にたどり着くまでのアキードの行動を見る限り、初めから知っていたわけではなさそうだ。
「名乗った名前も…」
偽名だ。
そういえばアキードはジュメル卿の配下なのだ。それが、どうしてこんな旅をしているのか? 森に入る前、確か急いでいると言っていたようだったが…。
「もしかしたら、アキードも何か言いつけられているの? ジュメル卿に」
周りに人が何人かいることもあり、サティーナは声を潜めて尋ねた。雇われていると言っている以上はおそらくそういうことだろうと踏んだサティーナだったが、聞かれたアキードは明確な回答を避け、少し感心したように笑った。
「お前を嫁にもらう男は大変だな」
「なにそれ?」
「そのままだ」
「はい。おまちどう」
サティーナが何か言いたそうにしたが、一つの大皿を持った店主が話の間に割って入った。
大きな皿には大盛りの麦で作った麺料理が乗っていた。いや、大盛りというよりは、小さな山になっている。
「うわぁ〜」
その量に思わずサティーナが漏らすと、店主がまた豪快に笑った。
「大丈夫、嬢ちゃん。二人分だ」
それにしても多いだろう。と言えるだけの量がある。
「そういえば、アマンダといえば一つ置き土産にソレを置いていったな」
店主の視線の先にあるのは一枚の護符だ。
「効くんだかどうかは知らんが、客が来るようにって。またキレイに書いていったんで、貼らないとバチが当たりそうでなぁ。それじゃ、ごゆっくり」
悪戯っぽく笑うと別の客の注文を聞きにいってしまった。
「護符の効果はわからないけど繁盛はしているみたいね」
サティーナが出てきた料理を取り分けていると、アキードがその護符を見るために席を立った。
遠目にもキレイに描かれている護符だ。俗に"神官文字"といわれる文字で外から中心に向かい三角形を描いている。
アキードはしばらくじっとその護符を見ている。
その様子を見ながらサティーナは先に料理を食べ始めた。
「あ。おいしい」
あの筋骨逞しい店主の作った料理なので、もっと大味かと思っていたが、とても飲み屋と兼業しているとは思えないくらい美味だった。
あっという間に一度目のとりわけた分を食べてしまうと、もう一度大皿から取り分ける。二度目を半分食べるころにアキードがようやく護符の前から戻ってきた。
黙って座り、取り分けた料理を口に運ぶアキードを見て、サティーナは好奇心から尋ねた。
「護符だったの?」
その質問にアキードは口に持っていった料理を一度止めた。
「じゃなくてなんだ?」
口元に料理を持っていったまま、無表情で聞き返す。
「伝言…とか?」
サティーナの言葉で皿に料理を戻した。
「お前は…」
「勘がいいのは父譲りらしいわ」
にっこり微笑むサティーナに、アキードは頬杖をついて渋い顔をする。
「そんなところだけ似なくてもいいだろう」
「だって神官でもない人が護符を描いていくなんておかしいもの……んん?」
そう言いつつサティーナは首をかしげた。そして、アキードが見ていた護符を振り返り目を凝らす。
「あれって"神官文字"なのよね? ファブル文字は神殿にいる人しか使えない…アキードは神殿育ちだから知っててもおかしくないだろうけど…それとも、アキードにならわかる暗号?」
ファブル文字はその俗称が語るように、主に神官が使う文字である。
護符はもちろん、結界もこの文字を使う。
しかし、一般の人が見ても、おかしな形をしたものが規則正しく並んでいるようにしか見えない。暗号であってもファブル文字を基本にしているだろう。
ということは、探している人間の素性もおのずと知れる。
隣で無表情に料理を食べるアキードを見つめ、サティーナはふと呟いた。
「探してる人って神官? もしかしたらその人も何かを追ってる?」
それを聞いたアキードは、どこか観念した様子で話し出した。
「ああ。俺の追っているのは昔神殿にいたやつだ。ファブル文字を読める人間は限られてるからな。他人には言えない伝言を残すには好都合だ」
他人には言えない伝言を残し、その人物はいなくなった。という事は、移動せざるを得ない事情ができたということだ。
「お前、本当に赤目の力はないのか?」
どこか疑わしそうに見るアキードに、サティーナは少し複雑そうな顔をした。
「あるならきっと迷ったりしないわ…」
どこか落ち込んだ風のサティーナにアキードが声をかけようとしたとき、突然後ろから笑い声が立った。
二人は驚いてそちらのほうへ目を向けると、そこに一人の男がおどけた様子で何かを話していた。
「うるさくって悪いな」
そう声をかけてきたのは店主である。
「あいつは今日結婚してな、それの祝い酒だ。よかったら飲んでくれ」
二人の前に飲み物を置き、器用に片方の目を瞑る。
小さな器に入った白濁した飲み物は、ここ一帯で誓いを立てるときに飲む酒だ。それを周りにいる人にも飲んでもらい、彼らの誓いの証人になるのだ。
アキードは一口でその酒をあおったが、サティーナは一舐めしてから飲んだ。
「お酒ってよくわからない」
「ははは。結婚といえば、ターシアの姫も結婚するらしいな。聞いた話じゃこっちに向かってるらしい。運がよければお姫様を見れるかもって皆大騒ぎだ」
「え? こっちに向かってるんですか? ホルトロを通らずに?」
サティーナがこちら側を選らんだ理由がまさにそれだったため、店主の話は意外なものだった。
「ああ、ホルトロの吊り橋が落ちたらしい。修復には時間が掛かるからって、こっち側をきてるって話だ」
それまで黙々と食べていたアキードが、店主の言葉に反応した。
「橋が落ちた?」
「ああ。そっくりそのまま谷へ落ちたって聞いたが、噂だからな、どこまで本当かはわからん」
話の途中で注文が入り、店主はまた店の奥へと戻っていった。
「橋が落ちた…」
アキードの低く呟いた声に振り向くと、深刻そうに眉を寄せていた。
「どうかした?」
「いや。食べ終わったら出るぞ」
「…うん」
店を出る頃にはすでに夜がきており、町にはところどころに細くランプの明かりが灯されていた。
イノに比べればとにかく暗い。月が出ていればまだ明るかっただろうが、今夜は雲が掛かっているためかランプ以外の光が存在しない。
人がいるのはわかるが、顔を判別するには不十分だ。
しかし、この時の二人にはそれはかえって都合がよかった。
黙って歩いていたアキードは、ふと歩みを止めサティーナの腕を掴んで建物の影へ隠れた。
突然の行動に驚きつつ、一点を見つめるアキードの視線を追った。
視線の先にいたのは灰色のマントの男だ。ちょうどランプの下にいるため、立ち襟にある何かが光って見えた。
「どうかしたの?」
サティーナは訳がわからずアキードに問う。
「フロストの追っ手だ…イノにいたやつらとは違うな…」
白っぽい灰色のマントは夜の町でもかなり目立つ。やはり宿屋の辺りをうろうろしていた。
「出るぞ」
そういうと来た道を戻るように町の外へ向かった。
「でも、あれって、もしかしたらターシアの官僚じゃないの?」
ポンシェルノで何度か見たことがあるその姿に、サティーナは困惑した様子でアキードに尋ねた。
「もしそうなら、もう少し町に活気があっていいはずだろう。官僚は団体で行動するものだ」
「あ…」
ポンシェルノにくる彼らは確かにいつも団体でやってくる。そして、宿にかなりの金を落としていくものだ。こんなに小さな町なら総出で彼らを歓迎するに決まっている。
しかし、町の様子からそんな感じは見受けられない。
「それに、忍びならあんなに目立つマントはつけないだろう」
アキードの向かった先は近くの雑木林だ。
ランプも点けず、真っ暗な中をアキードはすたすた歩く。
サティーナははぐれないようにアキードの荷物をしっかり握っていた。
雑木林は手入れがしてあり木々が等間隔で立っているため、夜空を見上げることもできたが、あいにく月も星もない。
「ランプは点けないほうがいい?」
あの幽鬼の森を思い出し、サティーナは少し不安でアキードに尋ねた。
「そうだな。そろそろ来る頃だし大丈夫だろう」
そういうと歩みを止め、荷物を降ろして何やらし始めた。
おそらくランプを取り出しているのだろうとサティーナにもわかった。見えない周りに目を向け、アキードの言葉に小首をかしげる。
「そろそろ来る? ああ、えっと…」
かちりという小さな音とともにランプに明かりが灯される。
「通り名を口にするくらい平気だぞ」
魔種の名前を口にすると制裁がある。言い伝えでもなんでもなく、常識としてある知識だ。わざと教える魔種もいて、実際に制裁にあった人間は少なくない。
「俺がいるのに、他の人間が名を呼んだからといって制裁を加えるほど馬鹿じゃないだろうしな」
契約者が主人であることは間違いないが、それでも彼らの全てを縛ることは人間にはできない。それは魔種のほうが格段に強いからだ。
しかし、アキードとノアに限ってはどうやら違うようだ。
初めて会ったときから感じていたが、どうもノアはアキードに逆らえないようなところがある。
「…アキードって、本当は何者?」
魔種に余裕の対応をするアキードは、もしかしたらとんでもない大物かも知れない。とてもそんな風には見えないが。
サティーナを振り返り、口の端を上げて笑うその顔がランプに照らされ、これ以上はないくらい嫌な笑顔に見せていた。
「魔種よりたちが悪いかも」
「まったくだ」
サティーナの感想に賛同しつつ音もなく、闇の中からノアが現れた。
「で? どうだった」
当たり前のようにアキードが聞くと、ノアは一度サティーナを見つめてから報告した。
「最悪だ」