アキードが探していることなどまったく知らないサティーナは、湯屋から出ると食事にありつくべく食堂を探していた。
 小さな鞄を持ち、初めてのイノの商店を見て回る。
 店の規模は色々あるが、大きくても小さくてもどの店もきれいで、店主に活気がある。客との値引き交渉も野菜を売る店から、装飾品を売る店までどこからでも聞こえてくる。
「お嬢さん。見てってよ! 安くしておくよ!」
 と、何度声をかけられたことか。
 サティーナは旅に必要なランプを一つ買い、そんな賑やかな通りを歩いていると、一つの大きな看板のような物に出くわした。
 サティーナの足で四歩ほどの幅で、書かれているのはイノの地図のようだ。現在地が記され、商店街、宿屋街、繁華街など色で区分けされている。
 その案内板を見ていると後ろから、耳に心地よい、男性のものとわかる低い声がかけられた。
「道に迷ったのか?」
「いいえ…」
 サティーナは振り返りながら答えると、そこには黒髪の男性が立っていた。
 一瞬アキードかと思ったが、まったく違う雰囲気を持った男性だ。ほぼ無表情だったアキードと違い、柔らかく笑う男性で、左目だけ青かった。
 右目は髪と同じく黒い色で、服装も黒一色。そのせいか、その青だけが唐突にそこに存在してるように見え、サティーナはその青から目を離せなくなった。
 左目に見入るサティーナのことを全く気にせず男性は再び質問をする。
「何か探しているのか?」
 質問されたことに気がつき、サティーナは慌てた。
「え? あ、はい。えっと、その、美味しい食堂を…」
 少ししどろもどろに答えると、男性は案内板に歩み寄りすっと指差した。
「ここにある店は美味いぞ。デザートのココニアが有名だ」
「はぁ…」
 長身で端正な顔立ちの男性は、言葉使いは少し横柄だが物腰は柔らかく、優雅とさえ言える。町の案内板を背景に立っているにも関わらず、まるで社交界でダンスに誘われている気分だった。
「一人か?」
「…はい」
「それはよくないな」
「はぁ…」
 サティーナはあまり、というか全くこの場に似つかわしくない男性のする質問に、半ば呆然と答えていた。
「よし、俺も行ってやろう」
「…は?」
「こっちだ」
 そういうと男性はサティーナの手をとって歩き出した。
「ええ!? ちょっと待ってください!」
 さすがのサティーナもこれには抵抗した。しかし、男性は止まってくれない。
「待っていると席が取れなくなるぞ。人気のある店だからな」
「いえ、そういう意味じゃなくて、あの…」
 引っ張られるようにして少し歩くと、男性の言っていた店に着いたようだ。
 店の前で男性はぴたりと歩みを止め、サティーナを入り口へと導く。
「ここだ。ちょうどいい時間だったみたいだな」
「いらっしゃいませ」
 まるで連行されている気分で中に入ると、賑わってはいたものの何席かまだ空いていた。
 店に入ると手を離してもらったが、この場を去ることもできず、結局男性の後ろをついて窓際の席に座った。
 席に着くと給仕の女性が席まできて注文を取る。
 それには男性が応じ、サティーナはいまだ何が起きているか把握しきれていない様子で視線をさまよわせる。
「あの、失礼ですけど、あなたはいったい…」
「俺か? そうだな、傍観者ってところかな?」
「はい?」
 全く意味がわからない。サティーナの不審の視線にも、男性はただ笑うだけでそれ以上の説明はなかった。
「…どうして私って説明されないのかしら?」
 母といい、アキードといい、突然食事の世話をするこの男性といい、説明のせの字も出てこない。事細かに説明しろとは言わない。だがせめて、状況がわかる程度には説明が欲しいと切実にそう思った。
 目の前の男性は視線を窓の外へ向けていたが、机に飾ってある小さな花を見つけると、薄い紅色の花弁を優しくつまんで愛でている。
 その横顔があまりにも綺麗で、サティーナは思わず見とれてしまった。
「どうした?」
 見入るサティーナに、左右色違いの瞳が優しく笑った。
「いえ…」
 その瞳にふと覚えがあるような、どこかで見たような気さえしたのだが、これだけ印象に残る男性を忘れることが果たしてあるのだろうか? いいや、ないだろう。
 心の中で自問し、否定することでようやく次のことを考える。男性の言葉を反芻してから首をかしげた。
「何を傍観しているんですか?」
 先ほどこの男性はあえて"傍観者"という言葉を使った。そこには何か含みがあって間違いない。男性は頬杖をつき苦笑した。
「危なくない予定だったから傍観していたんだが…あいつめ、あっさりと離れやがって。何のためにわざわざ引き合わせたと思ってるんだ」
 答えになっていない男性のぼやきに、サティーナは目をぱちくりさせる。
「本来はお前の前に出てくる必要はなかったんだが、どうも、そういうわけにはいかなくなってな」
 男性は明確な答えを口にはしないが、傍観しているものはサティーナだと、そう言っているに等しい。
「…知っているんですね。全部」
 強く真直ぐ、笑う色違いの瞳を見据えて尋ねるサティーナに、男性は口の端を上げた。
「いい目だな。お前は間違いなく"ハルミスの子"だ」
 サティーナは男性に名前や出身はおろか、どこから来たのかも言っていない。それなのに「ハルミス」と言い当てた男性に、サティーナの胸の内は妙にすっきりとしたのである。納得したと言ったほうがいいだろう。
 男性の答えになっていない答えに、問い詰めようとサティーナは腰を浮かせた。
「あの…!」
 すると男性はサティーナに手の平を向け、その瞬間サティーナはぴたりと動きを止めた。
「まあ、待て。これは俺が説明することではないし、今ここで話しきれるものでもない。実は、あまり時間がないんだ」
 そういうと男性の視線は店の入り口へと移った。
 サティーナもそれを追うと、ちょうどそこに見覚えのある人物が入ってきた。
 黒髪の背の高い男性だ。
「…アキード?」
「ここだ」
 男性が呼びかけると、アキードは驚いたように目を見開いて、一瞬その場に立ち尽くした。しかし、すぐに我に返ると真っ直ぐにサティーナたちの席へとやってきた。
「どうしてお前がここに?」
「お前はどうしてここにいない?」
 厳しい声で問うアキードに、男性は心臓が凍るような声で言った。
 一瞬にして凍りついた空気に、サティーナは息を飲み、アキードは息をつき目を伏せ謝った。
「悪かった。まさかサティーナがそうだとは思わなかったんだ」
 アキードの弁解に男性は凍るような気配を消すと、机に肘をつき、その上に顎を乗せたにやりと笑った。
「まあ、仕方ないか。あの小僧にはわからなかっただろうしな。さて、俺は行くぞ。なにやらきな臭い」
 男性の言葉にアキードは真剣な表情で頷いた。
「じゃあな、サナ。気をつけるんだぞ」
 席を立つと男性はサティーナに近づいて、ふわりと髪を撫でた。と、同時にその場から姿を消した。
「え?」
「魔種だ」
 硬直するサティーナにアキードは相変わらず要点のみを告げる。
「魔種…?」
 呟き考えるサティーナを横目に、アキードは男性の座っていた席に腰を落ち着けた。
「ご注文のお料理です」
 給仕の女性が運んできた料理は二人分。
 それをサティーナとアキードの前に整然と並べていく。
 料理を並べ終え、女性が去ると同時にサティーナはアキードに尋ねた。
「誰かの契約魔?」
「そういうことだな」
 アキードは並べられた料理を食べ始めている。サティーナはその様子をじぃっと見つめ、首をかしげた。
「どうしてアキードがここに?」
 そんなサティーナの態度に、アキードはたまらず、それはそれは深いため息を吐き出した。
「あのな、お前。もう少しその思考速度をどうにかできないか?」
 どうやらけなされたようだと悟ったサティーナは、おいしそうに湯気を上げる料理にぶすりとフォークを突き立てた。
「私だって好きでとろいわけじゃないもの」
 珍しく不機嫌なサティーナに、アキードは決まり悪そうに頭をかいた。
「…悪い。で、何を話していたんだ?」
 ぱくりと一口頬張ってから、サティーナはアキードの顔をまじまじと見つめた。
「アキードとあの人は知り合いなのね。ということは誰の契約魔かもアキードは知っているのよね。そこから考えると、アキードは私のことを知っているって事よね? ついでだから聞くけど、あなたはいったい誰なの? お母様はいったい何をしたの? 危険って何?」
 一度飲み込んだサティーナの思考速度はとても速い、そして的確だ。
 そのことにもアキードはため息をつく。しかし、今回は珍しく苦笑付きだ。
「ああ、わかった。何も聞いてないんだな? ここでは話せない。そろそろ混んでくるだろうし、とりあえずは食べてからだ」
 確かに客足が先ほどよりは多くなり、空席が全て埋まっている。
「…絶対に説明してもらいますからね」
 サティーナは念を押すと、同じように目の前に並べられた料理に舌鼓を打つことにした。