サティーナと別れたアキードは繁華街を歩いていた。
 何をするでもなく、ただ店の前をしばし眺め、そして立ち去る。そんな作業を繁華街の端からやっているのだった。
 夕闇の中、店の客引きに声を掛けられながら歩いている前を、自警の一人が町の者に呼び止められ、何かを訴えられていた。
「…ですから、あれは営業妨害です!」
 店の者は顔を真っ赤にして、宿屋街の方向を指しながら話している。どうやらかなり怒っている様子だ。それを自警の男がなだめる。
「わかった、わかったから、少し落ち着け。そいつは灰色のマントをつけてたんだな?」
 自警の男の質問に店の者は怒りを持続させつつも、少し気を落ち着け答えた。
「はい。そうです。いきなりですよ? 片っ端から女性を捕まえて「おい、お前、名はなんという」なんて…うちは売春宿ではないんですよ!!」
「ああ、わかってる。お前の店は純粋な宿屋だ。わかったから少し落ち着け」
 店主と自警の男の話はまだ続いていたが、アキードは最後まで聞くことなくその場を離れた。
 その足は宿屋街へと向かって歩き出していた。
 イノの宿屋は町の中心に集まっている。
 そのため宿屋を求める人は必然的に、商店街と繁華街を通り抜けねばならない。
 宿屋街へ出るとちょうど一つの宿屋から、話にあった灰色のマントを着た男が二人でてきたところだった。
 マントの下には剣を帯びている。
 少し白っぽい灰色のマントは立ち襟がついており、その襟に徽章がつけられていた。一見葉のような形のそれは、ペンの先を模している。ターシア国の官僚だけが付けることを許されている徽章だ。
 その二人連れは、出てきた宿とは違う宿に入っていった。
 アキードはそれをつけ、宿屋に堂々と入って男たちの後ろに立った。
「いらっしゃいませ」
 受け付の女性がにこやかに話しかけると片方の男が無表情に尋ねる。
「ここに黒髪の女は泊まっているか?」
「はい。黒髪の女性でしたら数十名お泊りです」
「……………」
 にこやかに答える女性の言葉になにやら剣呑な空気が漂う。
 しかし、受け付ン十年の女性は笑顔でその沈黙を受け流した。
「赤い目をしているはずだ」
「していた方もいらしたと思いますが、そこまでははっきりいたしません。申し訳ございません」
 男が沈黙を破ると女性は笑顔を崩すことなく、はきはきと受け答えをする。
「…お泊りになりますか?」
 女性の問いに男はもう片方の男を見ると、その男が首を横に振った。
 それを受けて話をしていた男は「いい」とだけ言うと踵を返した。その時、ちょうど後ろにいたアキードにぶつかりそうになり、「邪魔だ」といらだった様子で去っていった。
 そのアキードが受け付の前に立つと、女性は何事もなかったかのような笑顔で対応する。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「いや。連れがいるんだが、どこの宿にいるのかわからなくて…。サティーナって名前なんだが来てないかな。ポンシェルノの子なんだ」
「少々お待ちください。……えーっと。女性一人でお泊りの中にそういった名前の女性はいらっしゃいません」
「そうか。ありがとう」
 その宿を出ると先ほど去った男たちを捜し、後を追いかけた。
 男達は次々と宿屋に入るとなにやら話をしている。おそらく先程の会話と同じ事を話しているに違いない。
 後をつけて最終的に着いた先も宿だった。どうやら男達はここに泊まっているらしく、同じマントを着けた仲間が彼らを出迎えた。
「どうだった?」
 その質問に男達は首を横に振る。
「ここには黒髪の女など腐るほどいる。赤い目にしてもそうだ、いた"らしい"というくらいで手がかりにならん」
「まったく。フロスト様の契約魔は役に立たないし、赤目を見つけるのもここじゃ易くはない。大体、人が多すぎる」
 男達は難しい顔をして沈黙する。
「それで、どうする?」
「どうするも…あとは端からあたるしかないだろう」
「結局それしかないか。顔を知っているやつはいないよな?」
「ああ。わかっているのは長い黒髪に赤目、名前はサティーナということだけだ」
 それを聞いてアキードはすぐにその場を離れた。
 人気のない場所まで来ると壁に背を預け、腕を組みしばらく地面を見つめていた。やがて仕方なさそうに小さな声で呼びかけた。
「ノア」
 先ほど別れたばかりで近くにいたのだろう。彼の契約魔はすぐに現れた。
 例により闇の塊そのものが、ゆっくりと狼の姿へと変わる。
「明日は確実に雨だな」
 アキードは現れたノアの軽口を無視し、やはり要点だけを告げる。
「サティーナを探せるか?」
 その言葉に契約魔はじっと契約者を見つめた。
「オマエ、アイツとはわざわざ別れたんじゃないのか?」
 アキードの要求はノアにしてみれば不思議以外の何物でもない。
 幽鬼の森での彼の態度は、明らかにサティーナの存在に懸念を抱いていた。できることなら早く別れたいと思っていただろう。
 この町に来てせっかくその思いが叶ったのに、逆に探せとは解せないのも道理である。
 自分の要求が意に反していることを十分よく理解しているアキードは、ノアにもわかるように言った。
「サティーナは"ハルミス"だ」
 サティーナがいたら暗号にしか取れない言葉だっただろう。しかし、ノアにはそれで十分だったようだ。それはつまり、アキードが抱いていた"懸念"が現実の物になったということだった。
「どうしてわかる? あれは絶対に"灼石"じゃないぞ?」
 ノアの言葉にアキードも頷いた。
「ああ。お前の話が嘘だとは思ってない。確証は別にある……サティーナはおそらくこの一件に巻き込まれている」
 店と店の間にできる暗がりで話していると、ちょうどそこへあの灰色のマントの男が三人歩いていくのが見えた。
 アキードがそれを視線だけでノアに伝える。
「あれがどうした?」
「フロスト殿の部下だ。そいつらがサティーナを探してる」
「フロスト…?」
 ノアはその名前にしばし思考を巡らせた。
「ああ。確かジュメルの息子の名か。それがどうしてアイツを探してるんだ?」
「フロスト殿が探している物はポンシェルノにある。サティーナはポンシェルノの人間だ。そのサティーナをフロスト殿の部下が探しているとなると、答えは一つしかない」
 難しい顔をして言うアキードの話にノアは口をぽかんと開け、次いで驚いたように、搾り出すように慎重に聞く。
「"アレ"を、アイツが持ってるってことか?」
 アキードはそれを真剣な眼差しで肯定した。
「ああ。それも急いでいるということは、ジュメル卿になにかあったのかもしれない。もし、このままフロストの手に渡って、ジュメル卿の座が移るようなことになれば…」
「あのジジイがそう簡単にやられはしないだろう」
 深刻なアキードを横目にノアは鼻で笑う。ふいに殺気が近くから発せられ、ノアは耳を後ろに下げた。
「でも、アイツが巻き込まれたってどうして言える? それとこれとは別件ってやつじゃないのか? オマエが関わる必要はないだろう」
 サティーナを遠ざけたかったのは、彼自身が急いでいるからでもあるが、それ以上にやっかいな問題を抱え込みたくなかったからだ。
 サティーナの問題は彼の抱えている問題に関係があるとは断定できない。
 しかし、アキードは首を振る。
「今この時機にフロスト殿が動いたのは偶然か? ジュメル卿はこの世で唯一の使用権をもつ人間だ。その座を狙うものは多い。そしてそれよりも、邪魔に思っている者のほうがはるかに多いだろう」
「確かに、間がよすぎるのも事実だ」
 アキードの言葉にノアは頷くが、ため息とともに首を横に振った。
「ダメだ。言っただろう。アイツは赤目とは思えないくらい光が弱い。こんな光の雑踏の中からアレを見つけるのはオレでも無理だ。ヤツの契約魔も探せないでいるからアイツらがここにいるんだろう」
 ノアの答えは想像していたが、それでも聞き返した。
「そんなに見つけ難いのか?」
「明け方の白い空に星を見つけるようなものだ」
 その説明は的確で、アキードも苦虫を噛み潰したような顔になった。
「オマエのほうこそ心当たりはないのか?」
 人間の感覚は魔種のノアにはわからない。アキードはしばらく考えていたが、やがて重いため息をついた。
「宿に泊まってはいるだろうが、どことは断定できない。強いて言えるのは安い宿ってことくらいだ」
「それなら、安い宿を片っ端からあたるのが近道だな。オレは何か目印がないと探せない」
 魔種といえど探すべきものがはっきりしないのでは力の使いようもない。
「とりあえず、オレも手伝って、って…おい」
 ノアの言葉が終わらないうちに、アキードは走り出していた。仕方なくノアもついて走る。
 アキードが走った先はあの小さな屋台だ。
「悪い。さっきここからお守りを買ったんだが、覚えてるか?」
「えっと、はい。女の子のお連れ様ですよね?」
 走りこんできた客に驚いていたが、女性はアキードを覚えていたようだ。
「あいつの後、誰かお守りを買ったか?」
 サティーナがお守りを買ってからそれほど時間はたっていないはずだ。屋台のある場所も客が多く来る場所でもない。
 女性の答えもやはり、「いいえ」と首を横に振る。
 アキードは足元にいるノアへと視線投げ、ノアもその無言の問いに頷く。
 走り出したノアの後を、今度はアキードが追った。
 向かった先は宿屋街ではなく、宿屋街を囲むようにある商店街だった。