二話 夕闇の訪問者
 夜明けの近づく薄暗い部屋の中で、男は己の契約魔が持ってきた報告に腹を立てていた。
「お前がこれほど役に立たないとは思わなかったぞ」
 低く静かに、それでも確実に怒っているとわかる声で、目の前に立つ青年に話しかける。
 しかし怒られているはずの青年はまったく動じず、反省することも謝罪することもなかった。
「私は万能ではない。勘違いするな」
 平然と言ってのける青年を睨みつける男は四十後半くらいだろうか、どこにでもいる中年男性である。身なりはよく、茶色の髪を後ろへなでつけている。
 対する青年は真っ黒のマントに全身を包み、長い髪は濃い紫色をしている。表情のない真っ白な顔は無機質で、それゆえに背筋を凍らせるほど美しかった。
 そんな一種独特の迫力を持つ青年を、臆することなく睨みつける男に、青年は小さくため息をついた。
「お前も知っているだろう。あの場所は特別だ。灼石(しゃくせき)の作った結界を破ることのできる魔種など限られている」
 だから仕方がないだろうと言外に諭したのだが、男にはただの言い訳にしか聞こえない。
「お前があの場所に入れないことなど百も承知だ!」
 男は腹立たしさをぶつけるように、拳を机に叩きつけた。
 しかし、その怒りにも青年はため息をついた。その仕草に男は盛大に舌打ちをし、大きな椅子へ腰をおろした。
「私が呆れているのは、魔種であるお前が"灼石"を取り逃がしたことだ。人間ならいざ知らず」
 怒りの収まらない男を見る青年はその言葉にわずかに首を傾けた。
「あの場所から灼石が出て行った痕跡はない」
「なに?」
 表情を変えず、淡々と事実だけをいう青年に苛立たしくも、男は聞き返した。
「では護符を持っていたのではないのか?」
「灼石を隠せるほどの護符を作るのは至難の業だ」
 その言葉に男は冷静さを取りもどしたのか、椅子に座り直して青年に向き合った。
「それではまだ、アレはあそこにあるということか?」
「お前の部下の報告では、あの場所にはすでにない」
 青年はそこで言葉を切った。視線を雨戸のおろされている窓へと向ける。
「いなくなったという娘が持ち出したのだろう。だが、その娘は灼石ではない。探す光がないのでは私に探せるわけがない」
 閉じた窓からわずかにもれ出る光を見て、青年は目を細める。
 赤い目は巫女や占術師など、特殊な力を持つ人間に多く見られる色で、俗に「赤目」と言えばそれは力があるという意味である。
 その中でも焼けた石のように赤い瞳を持つ人間を「灼石」と呼び、彼らは結界を作ることができる。…というのは建前で、本来は、結界を作れる人間を「灼石」と呼び、作れない半端な力を持つ人間を「赤目」と言うのだ。
 しかし、青年の話に男は疑わしげに眉を寄せた。
「あの土地の赤目が灼石でないことなどあるのか?」
「赤目だからといって全てが灼石ではない。結界を作れるからといって、赤目とは限らない事と同じだ」
 灼石の作る結界が世界で一番強い。それは誰でも知っている。しかし、世界には赤い目でなくても彼らに匹敵するほどの結界を作る人間もいるのだ。
 魔種である青年の言葉に、男は何かを言いかけたのだが、開いた口を閉じ考え始めた。
「赤目ではあるのだな?」
「お前の部下の報告ではそうだ」
 それを聞くと男は席を立ち部屋の外へ出た。側近を呼ぶとすぐさま命令を下す。
「ハイデン殿に連絡を取れ。私兵を数名借り受け、イノへ向かわせろ」
「かしこまりました」
 側近が一礼して去ると、男は振り返り扉に立つ青年にも命を出す。
「赤目なら他の人間よりは探しやすいだろう。お前もイノへ行け」
 男の言葉が終わると同時に、青年の姿はその場から消えた。
 それを見届けると男は部屋へ戻り、窓を開け雨戸を上げた。
 朝日が眩しく、暗かった部屋へと差し込む。
 明るくなった部屋の壁一面に大きな絵が掛けられていた。椅子に座る女性の肖像画だ。長く癖のない美しい亜麻色の髪。暖かな眼差しは透明な水色で、朝日に照らし出された男へと向けられている。
 男はゆっくりとその肖像画に手を伸ばし、そっと平面の髪を愛おしそうに撫でる。
「リリアナ。必ず手に入れてみせる。待っててくれ」
 肖像画に向けられた男の目は哀しそうに微笑んでいた。
 
 
◇ ◇ ◇
 
 
 幽鬼の森で一夜を明かした二人と一匹は、朝日が昇る前に歩き出していた。
 旅の道連れになったアキードの契約魔のおかげで、幽鬼に襲われることもなかったが、朝日で周囲が明るくなるまでサティーナは不安だったようだ。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
 サティーナの質問に答えたのは目の前を歩くアキードではなく、その契約魔のノアだった。
「光に集まるっていうのは、夜の間の話ですよね?」
「太陽に集まる魔種はいない」
 契約魔の答えにサティーナは安堵のため息をつくと、隣を歩く契約魔をちらりと見た。
 夕べも思ったが、立った姿はやはり大きい。その体高、実にサティーナの腰まである。サティーナ自身それほど身長が低いわけではないことを考えると、この犬型の契約魔はかなり大きいと言えた。
 しかし、その姿から想像するほど獰猛ではなく、魔種の中でも契約魔になるものは知能が高いというのは、どうやら本当のようだ。
 そんなことを考えながら歩いているうちに、森の中にもようやく太陽の光が届いてきた。
 歩くのに支障がなくなったため、つけていたランプを消す。
 幸い霧もなく、寒さも歩いているうちになくなった。
「休むか?」
 アキードがランプをしまいながら、周りを見まわすサティーナに声をかけた。
「ありがとう。でも大丈夫です。ポンシェルノは斜面が多いから足は丈夫なほうだし」
 笑顔を作るサティーナはやせ我慢をしている風ではなく、本当に平気な様子だ。昨夜は慣れない暗い森を歩いたため、躓いたりしていたが、見えていればそれほど苦ではないようだ。
「それに、あなたも急いでいるんでしょう? ね?」
 最後の台詞は契約魔に向かってだった。それを受けた契約魔は目をぱちくりさせ、感心したように呟いた。
「夕べはあんなに怖がってたくせに…」
「適応力の問題だろう。行くぞ」
 適応しきれてない契約魔が、面食らった様子でサティーナを見る様はどこか笑え、アキードは口の端を上げた。
 
 先を急ぐ一行は黙々と歩き続けていたが、太陽が真上に来るころ少し早めの昼食にすることにした。
 森は幽鬼がいるとは思えないほど快適で、小鳥が鳴き、涼やかな風が吹く。
「これが普通の旅行だったらもっと楽しめたのに」
「オマエは十分楽しんでるように見えるぞ」
 残念そうに空を見上げて呟かれた言葉に、契約魔が呆れたように言った。
「ここにするか」
 前を歩くアキードが足を止め、荷物を降ろした。
「うわぁ。これって何ですか?」
 サティーナはその荷物を降ろした場所を興味深そうに見つめた。
 そこにあったのは円形のまっ平らな岩である。高さは足首程度しかなく、人工的に磨かれているわけではないようだ。例えるなら木を伐採した跡のように見える。
「昔話では精霊が祭りをする場所だそうだが、何かの神殿の柱とも言われているらしい」
 サティーナも荷物を置くと、早速携帯用の昼食を取り出した。
「これが柱だとするとかなり大きな神殿だったのね。アキードさんは、この辺のことにずいぶん詳しいんですね」
 珍しく説明するアキードに、サティーナは素直な感想を述べたが、平たい岩にそれ以上興味はないようだ。岩の上に着ていたマントを敷くとその上に座り、ふとアキードが自分を見ていることに気がつく。
「どうかしました?」
 じっと自分を見つめるアキードに、サティーナは少しだけ緊張した。何か余計なことを言って気分を害したのかと思ったのだ。
「…いいや。なんでもない」
 しかし、サティーナの心配をよそに、アキードも自分の荷物から昼食を取り出しはじめた。
 アキードの行動に首をかしげ、原因はなにかと契約魔を振り返る。
「…オマエの適応力に驚いているだけだ」
 お座りをした状態の契約魔は、振り返ったサティーナを見て、尻尾を二、三度振ってみせた。
「それって褒めてるの?」
 少し頬を膨らませたサティーナは、あっと思い出したように手を打った。
「そうだわ……はい。さっき見つけたの。おいしいのよ。あ、それとも魔種は食べたりしないのかしら?」
 契約魔の前に差し出されたものは柑橘類の果物だった。丸い黄色のそれはとてもよい香りを発している。
 差し出された果物を凝視する契約魔の表情は読めないが、明らかに困惑した様子だった。
 そんな二人の会話にアキードは苦笑して空を仰いだ。
 木々の葉の間から見える空は青く澄み切っており、雨は降りそうにない。
「ポンシェルノの洗濯日だな」
 そうポツリと洩らすと、サティーナは目をぱちくりさせ、ついでくすくすと笑いだした。
「……なんだ?」
「だって、そういうこと言いそうにないんだもの」
 表情に乏しい青年が、一家の主婦がよく使う言葉を口にするのはどこか笑いを誘った。
「別に女だけしか使わない言葉でもないだろう」
「そうだけど」
 口を手で覆って笑うサティーナに不機嫌そうな視線を投げ、取り出した昼食をもくもくと食べ出した。
(照れたのかしら?)
 そう思うとさらに笑いが込み上げてくる。
「笑うときは笑え。こっちが気持ち悪い」
 そう言われてサティーナはたまらず吹きだした。一応両手で口を覆ってから声を出して笑った。
 旅に出てからあまりにいろんなことがありすぎて、声を出して笑うのは久しぶりな気さえする。
(神様、ありがとうございます)
 昨日と一変して楽しい旅になっていることに、サティーナは密かに感謝した。
 
 
 森に入って三日目の夜。
 サティーナは契約魔に慣れたのか、夕食を済ませるとさっさと荷物を枕に横になった。
 その様子を見て、呆れたように契約魔のノアは言ったものだ。
「オマエ、もう少し危機感を持ったほうがよくないか?」
「え? だって、…あなたは強いんでしょう?」
 ノアの言葉に、当のサティーナはにっこりと微笑み「おやすみなさい」と言うと、本当に寝てしまった。
「なあ、コイツにお守りは必要か?」
 眠りこけるサティーナを見る契約魔は、出会って以来、サティーナの言動に振り回されていた。
 アキードは少し気の毒な自分の契約魔の姿を笑う。
「俺もお前も、すっかりその子に調子を狂わされたな」
 初めて会った時は、あまり頭の良くないお嬢さんだと思っていたアキードも、丸二日付き合ったことでサティーナの認識を改めていた。
 サティーナは突発的な状況に弱いが、一度飲み込んでしまえば恐ろしいほどの適応力を見せた。その最たるものが契約魔ノアへの対応だ。
 初めての日こそ、朝起きたときはまだ昨夜のことを引きずっているようで、ノアに対しても警戒があったようだったが、ノアが大人しくただ付いて歩いている姿を見ると、自分から普通に話しかけていた。
 二日目の夜はそれでも不安そうではあったが、ちゃんと眠りについていたし、今日はノアに色々と尋ねていた。
 
「あの、質問があるんですけど」
「なんだ?」
 例によりサティーナの質問に返事をしたのはノアであったが、今回はノアに直接尋ねてきたため、必然的にノアが答える。
「契約魔は人魔(じんま)しかなれないって聞いたんですけど」
 人魔とは人型の魔種を指す。対して獣魔(じゅうま)は人型以外を指す。
 その点からノアは獣魔といえた。
「それは人間の都合だろう」
「そうなの?」
「オレたちに種類はない。ただ、力が強いか弱いかの二つだ。強ければ形を変えることくらいできる。人型になるのは、オマエたちの都合が関係しているだけだと思うぞ」
 ノアの答えにサティーナは首をかしげた。
「あなたは強いのよね? その姿でいるのはなぜ?」
 真っ黒な毛並みは見事な光沢があり、触り心地がよさそうである。
 森を闊歩する姿はどこからどうみても、立派な体躯の狼だ。
「この姿のほうが楽だからだ。人型になると色々と面倒なんだ」
「そうなの」
 獣なので表情は読めないが、どこか苦々しい感じが漂っている。過去に何か嫌な思いでもしたのだろうかと、サティーナは質問を変えた。
「それともう一つ。契約魔と使い魔の違いって、やっぱり力の差?」
「それも人間の都合だろう。契約は知能が高くないとできないが、使いくらいなら誰でもできる」
「ああ、言われてみれば…そっか、人間の見栄ね」
 時々アキードが振り返ってそんな二人を見る。話をしていて遅れてはいないかと心配してだったのだが、そんな心配は無用のようだった。
 森の中、一般の人間にはやや早い速度で歩いているが、サティーナはノアと話をしながら、時々遅れはするが、その速さにちゃんとついてきている。
 遅れたら遅れたで一言声をかけ走ってくる。
「アキードさん! 少し待ってください」
 昼が近づくころ、サティーナは少々体力的に疲れてきたのか、そう訴えることが多くなった。
「そろそろ休むか」
「そうしたほうがいい」
 アキードの提案にノアが答えた。遅れていたサティーナは走ってくると、膝に手をついて息を整える。
「昼にしよう。大丈夫か?」
 サティーナは顔を上げるとにっこりと微笑んだ。
「大丈夫。ありがとう。疲れたというよりは、アキードさん足速いんだもの、ついていくの大変」
 荷物を降ろして水筒を出し、口へと傾けると水がなかった。
「あぁ。もうない」
 アキードの足にあわせて歩いているため喉の渇きが早く、予想よりも早く水がなくなっている。水がある場所は、ここからもう少し行ったところにしかないとノアが言っていた。
 少し肩を落とすとアキードが自分の水筒を差し出す。
「ほら」
「ありがとう。いただきます」
 お礼をいい、水を口に含むとアキードと視線がぶつかった。
「? なんですか?」
 出会ってから見つめられることが多いことにさすがに気がついていたサティーナだったが、直接聞くのは躊躇われた。
「そういえば、お前いくつだ?」
「へ? あ…十七ですけど? どうしてですか?」
 思ってもみなかった質問に小首をかしげて答える。
「敬語やめろ。特に「アキードさん」はやめろ」
「え、でも…」
 サティーナが戸惑うと、ノアが喉で笑っている音がする。
「二つしか違わない」
 アキードの言葉を理解できず、サティーナは小さく「二つ」と呟いた。
 要点しか言わないアキードの言葉を瞬時に理解できるほど、サティーナの思考速度は速くない。
 アキードが荷物を降ろし、携帯食を出すまでサティーナは小首をかしげたまま考え込んでいた。
「えっと…つまり、アキードさ…は十九歳っていうこと?」
「老けてるよな。オレも三十に近いヤツだと思ってた」
 サティーナがようやく行き着いた答えを口に出すと、ノアが素早く野次を飛ばす。それを受けてアキードがノアを睨んだのは言うまでもない。
 アキードの容姿は悪くない。しかし、そこから年齢を計るのは少し難しかった。
 若いとは思うが、表情も口数も少なく落ち着いていて、サティーナも少なく見積もっても二十代の後半くらいだと思っていたのだ。
「兄様よりも年下なんだぁ。なんだかものすごく意外だわ」
 サティーナは自分の兄を思い出しつつアキードを見る。どうみても同じくらいにしか見えない。
「何が違うのかしら? 性格?」
「多分そうじゃないのか? コイツ、かなり暗い性格だ」
 だいぶ失礼なことを言いながら、サティーナも荷物を降ろし昼食にする。
「付き合いは長いの?」
 自分の意見に賛同するノアに聞くと意外な答えが返ってきた。
「いいや。契約したのは最近だ」
「二年も前だ」
 ノアの魔種感覚での意見にアキードが人間の感覚に直して発言する。
 それでもかなり最近の話だと思った。
「そうは見えないわ。かなり長い時間一緒にいる感じがするもの」
 サティーナの言葉にアキードとノアは互いを見たが、目が合うとふいとそらした。
「だって、二人ともよく似てるわよ?」
 くすりと笑いながら言うサティーナに、アキードは眉を寄せ、ノアは耳を後ろへ下げ、同時に…
「似てないだろう」
 と言うと、お互いにしまったとでも言うように、あらぬ方向へと視線をさまよわせた。よく似た仕草に、サティーナは声を立てて笑ったのであった。