黒髪の男性の後ろをずいぶんと歩いた。
 森の中を歩いているため、道という道はなく。日の光が細くなったころ、周りの木々がまばらになってきた。
 その木々の間から、町の明かりと思われる光がちらちらと見え始めた。
「あれがそう?」
 サティーナは目の前を歩く男性に何気なく聞いたのだが、男性は突然ぴたりと足を止めてしまった。
 反射的にサティーナも止まり、警戒を強めた。
「町に入ったらお前は誰とも目を合わせるな」
「え?」
 あまりに唐突に立ち止まったので、また盗賊でも現れたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
 体半分を向けそれだけを言うと、用は済んだとばかりに歩きだす。
「……どうしてですか?」
 まったく意味のわからない忠告にサティーナは質問をしたが、男性に答える気はないらしい。
 ずんずん進む先に小さいがそれなりに発展した町があった。
「意外に立派な町ね。でも、こんなに発展しているのにどうして道がないのかしら?」
 街道から外れた時点ですでに道はなかったのだが、町に近づけば当然あるべき道がここにはなかった。人の通った道はもちろん、獣道すらサティーナには確認できなかった。
 唯一説明してくれそうな目の前を行く男性は、ここに着くまでサティーナを振り返ることは一度もなく、先ほどの言葉以外に何か語ることもなさそうだった。
(選択を間違えたかしら?)
 ちょっとだけそんな風に考えたが、どうにも母の言葉が頭から離れない。
 あの小袋を隠した胸の辺りをぎゅっと強く握り締め、離されないように青年の後をぴったりとついて歩いた。
 町には入り口らしいものはなく、青年が入った場所はどうやら商店のある一角だったようだ。
「兄さん、寄ってってくれよ! いい子がいるよ」
「だんな、コレなんかどうよ? いい品だぜ。今なら安くしとくよ」
 町に入いるとすぐに威勢のいい声がかかる。
 夕暮れ時なためか道はさほど込み合ってはいない。しかし、町の規模にしてはやけに繁盛している。そう思えるほどたくさんの人がいた。
「なに? ここ…」
 その光景にサティーナは呆然とした。
 ここまでに道らしい道はなかった。それなのにこれだけの人がいることに違和感を覚えたのだ。
(もしかして、他に道があったのかしら?)
 男性が歩いてきた道のりがそもそも間違いで、盗賊に襲われて、正規の道をそれていただけかもしれない。
「誰か! その女を捕まえてくれ!」
 そんなことを考えているサティーナの耳に、男の怒鳴り声が響いた。無意識に振り向くと、店から一人の女性が走り出してきた。足元は裸足で、やけに薄着だ。
「誰か助けて!!」
 女性は泣きながら必死で助けを求め、逃げ惑う。
 そうこうしていると店から複数の男たちが出てきた。女性が捕まるのは時間の問題だろう。
 こういう場合、普通助けるか、自警と呼ばれる人たちが現れるものだが、逃げる女性を誰も助けようとはしない。およそポンシェルノではありえない光景だった。
「大人しくしろ!」
「いや!!」
 女性は立ち尽くすサティーナのすぐ近くで捕まってしまった。
 男が数人がかりで女性を押さえつけているが、女性は死に物狂いで逃れようともがく。その力は大の男を凌ぐほどだった。
 男たちも必死で女性を引き戻そうと腕を取る。その時、女性の着ていた服の袖が破け、男の手が一つ離れると女性は他の男の手も振りほどいて逃げ出した。
「お願い! 助けて!!」
「え!?」
 逃げた女性が助けを求めたのは突っ立ったままのサティーナだった。
 突然のことにどうしていいかわからず、すがりついた女性が自分から引き剥がされ、男たちに連れて行かれるまで呆然としていた。
「すまなかったな」
 女性を連れ戻しに来た男の一人がサティーナに声をかける。
「あいつは今日入ったばっかりで、気が動転したらしい」
 そういうとサティーナを上から下へ見やり、にやりといやらしく笑った。
「ところで、お嬢さんは一人旅なのか?」
 その言葉にはっと気がつく。気がつけばあの男性の姿がない。
 どうやらサティーナが立ち尽くしている間にさっさと行ってしまったらしい。
「いいえ! あの、連れがいるんです」
 サティーナは慌てて首を振り、男に目を向けると、男はみるみる顔色を変えた。
「んん?……おまえ…」
 今まで笑っていた男が、突然眉を寄せ険しい顔つきになった。
「え? なに?」
 そのあまりの形相にうろたえたが、はっとあの男性の言葉を思い出した。
(目、合っちゃった…)
 背筋になにやら嫌な汗がつたうと、目の前の男がいきなり大声を上げた。
「こいつ赤目だ!!」
 その声は町中に響き渡るのではと思うほどの大音声だった。サティーナは思わず耳を塞いだが、次の瞬間にはそんな悠長なことなどしてはいられなかった。
 男の声に周りが一気に殺気だったように感じた。
 一瞬しんと静まり返ったかと思うと、今度は一斉に店の扉が閉ざされた。客も我先にと逃げ出し、向こうの方から屈強な男たちが走ってくる。
「いったい何?!」
 さすがにサティーナも逃げなければならないと判断し、とにかく走り出した。
「こっちだ!」
 闇雲に走り出したサティーナに声がかかり、サティーナは考えることなくそちらへ走った。
「! あなた!」
 暗がりの先にいたのはあの黒髪の男性だった。
 その顔を見るとサティーナは思わず抗議をしそうになったが、今はそれどころではない。
 走る後ろから怒声とともに、なにやらいろんな物が投げつけられている。町中が敵になってしまったような有様であった。
 サティーナにはもちろん何が起こったのかはまったくわからない。わからないが、とにかく逃げねばならない事だけは間違いなかった。
 
 
 逃げて、逃げて、逃げ切った先は、なんとも頼りない場所だった。
「あの、すぐに見つからないですか?」
 町外れにある民家の生垣の陰で小さくなりながら、隣でこれも小さくなっている男性に話しかけた。
「少し落ち着くまでなら持つだろう」
 幸い、民家には人はいないようで明かりもついていなかった。
「なにが起こったんですか?」
 膝を抱え、小さな声で先ほど起こったことの説明を男性に尋ねる。何となく自分の目の色に関係しているとは思うが、今まであんなに騒がれたことがないだけに、どうしてなのか説明が欲しかった。
「ここはな、"盗賊の町"って言われる場所だ」
 盗賊の町――。その名の通り、盗賊たちの営む町だ。そこに住む住人は、盗賊を相手に商売をしており、町に建ち並ぶ店の売り物のほとんどが盗品である。
 それはさて置き、男性の説明にサティーナは勢いよく立ち上がった。
「それ……!?!……!っ…」
 男性は慌てて、思わず絶叫しそうになったサティーナの口を塞ぎ、そのまま生垣の陰に引きずり込んだ。
 サティーナも自分の失態に思わず冷や汗を掻いたが、どうやら住人には聞こえなかったようだ。
 二人そろって安堵のため息を吐き出すと、男性はサティーナを離した。
「これ以上騒ぐと置いてくぞ」
「あなたが最初に説明してくれれば問題はなかったのよ!」
 小声で一気にまくし立てるサティーナの抗議は実に正当なものであった。
 古くから赤い目は世界を見通し、悪い物を排除する力があると言われている。
 つまり、盗賊やら人買いなどしている人間にとって、赤い目は天敵…いや、災いそのものとみなされているのである。この町の住人が見せた反応は当然といえば当然といえた。
「町に入る前にちゃんと言っただろう」
「あれじゃ、わからないわよ。普通」
 きちんとした説明があればサティーナも気をつけただろうし、あの光景に呆然と立ち尽くして男性を見失うこともなかっただろう。
「まさかあんな大騒ぎになるなんて思わなかった」
「それは!……ごめんなさい」
 不機嫌そうに言う男性にサティーナは少し反省した。
 そもそもくっついているのは自分で、男性が一人で歩いていればあんなことにはならなかったのだ。
 どこか理不尽を感じるが、ここで本当に置いていかれるわけにはいかない。
「まあ、いい。どうせ長居はするつもりはなかったし。…そろそろ行くか、月も出てきたことだし」
 逃げ回っているときは真っ暗だった空に、雲に半分隠れた満月が浮かんでいた。
 サティーナもその月を見上げてため息を吐き出した。
「今日はもうこれ以上、何も起きないことを願うわ」
 たった一日でしかないのにあまりにも沢山のことが起こりすぎた。
 隣で男性が静かに立ち上がり周りの様子を窺う。暗さに目が慣れ、月明かりの中でもその姿を確認することができた。
(この人っていくつなのかしら?)
 ふとそんなことを思ったのは、改めて男性の横顔を見ると、どうも自分とあまり変わらないくらいに見えたからだ。馬車にいたときはもっと年上だと思っていたのだが、青年と呼べるくらいの年齢かもしれない。
 そう見てみると、剣士にしては少し見劣りがする。身長はサティーナに比べるとかなり大きいが、胴回りはそんなに大きくはない。マントに隠れていて正確にはわからないが、それでも厚みがあるとはいえない。
(でも、剣士なのは間違いないのよね。盗賊と戦ったわけだし、見てないけど)
「行くぞ」
 男性を観察しているとそう声をかけられた。サティーナも返事をして男性の後を歩きだした。
 明かりも付けずに迷うことなく歩く男性に素朴な疑問が浮かんだ。
(この辺のこと詳しいのかしら? 以前にもきたことがあるとか…)
 この町がどういう場所かもよく知っている口ぶりだし、何度か来たことがあると判断するのは大方間違ってはいないだろう。
(…そうなるとこの人って…)
 ここにくる人間の種類は決まっている。盗賊には見えないので、なにかスネに傷持つ身なのかもしれないが…。
(でも悪い人には見えないのよね)
 盗賊に襲われたとき助けてくれたのも彼だし、急いでいると言っていたのに、時間の許す限りあの場所に留まったのは、サティーナたちを気遣ってだろう。
 ここにくる間も、あの森でサティーナを撒くことくらいできただろうし、先ほど助ける義理も、一緒に追われる必要も本来ならないのだ。
(見かけによらずお人好しなのかしら?)
 そんなことを思いつつ、後ろではまだ騒がしい町を後にした。
 
 
「あの、どこへ行くんですか?」
 完全に町から出たところでサティーナは前を歩く男性に尋ねた。
 あの町に着くまでもそうだったが、周りは木々が立ち並び道はない。どこへ向かっているのかまったくわからない。
「お前はどこへ向かっているんだ?」
 男性の質問に答えるべきか迷ったが、ここでつまらない嘘をついても仕方がない。サティーナは正直に答えた。
「最終目的地はヴィーテルですけど、とりあえずはトルムまで」
「俺が次に向かおうと思っていたところはイノだ」
 サティーナはそれを聞いて少し眉を寄せた。
「イノって街道沿いにある地方都市ですよね?」
 ターシアとトルムのちょうど中間地点にある都市である。
 トルム国への近道と聞いたのに、イノへ寄るのなら街道を行っても同じではないかとサティーナは思ったのだが、そこは男性もわかっているようだった。
「"ゆうきの森"を通れば近道だ。そこを通れば徒歩で三日…お前の足でも五日くらいに短縮できる。元々街道は遠回りだしな。馬でも三日はかかる」
 女の足で街道を徒歩で行けば、おそらく七日以上かかるだろう。それを考えれば確かにこちらのほうが近道である。
 それを聞いてほっとしたサティーナではあるが、男性のある言葉ぴたりと足を止めた。
「ちょっと待って…"ゆうき"って、魔種の"幽鬼"? その森ってもしかして…」
「ああ。"帰らずの森"とも呼ばれているな」
 青い顔をしたサティーナに対して、男性はまったく気にする様子も無く、さらりと言ってのけた。
 "帰らずの森"といえばポンシェルノでも言い伝えられている森の名だ。
 その森は昔から魔界の入り口といわれている。そんな言い伝えがあるために、街道はわざわざ迂回するように造られているのだ。
(近道って聞いたときにどうして気づかなかったのかしら!)
 今さらながらに激しく後悔した。しかし、ここから街道へ戻るにはあの町を通らなければならない。いや、そもそも帰り道がすでにわからない。
「あの! 幽鬼って本当に出るんですか?」
 月明かりがかろうじて差し込む暗い森の中、先をとっとと進んでいってしまう男性を追いかける。
「さあな。噂なんて尾ひれ背ひれがつくのが普通だ。世の中で一番怖いものは人間だろう」
「…それって、この場合、あなたの事よね?」
 安心させるための言葉だろうが、サティーナには安心の材料がまた一つ減った発言であった。