ポンシェルノ市国を出ると、そこはターシア国領内になる。そのためポンシェルノから一歩出るとターシア国の検問が待っている。
「なんの商売だ?」
「私は布屋です。あちらが茶問屋さんです」
 三つの荷馬車のうち二つは商品を、もう一つは旅の生活用品を積んでいる。
 他にも馬に乗った人たちが数人、他は荷馬車に乗っている。サティーナは生活用品を積んでいる荷馬車に便乗していた。
「ターシアのお姫様がヴィーテルに嫁ぐって聞きましたけど?」
「なんでもつい最近決まったそうじゃない。まったく、事前にわかっていればこんな目にあわずに済んだのに」
 サティーナと同じく旅をする女性が数人一緒に乗っている。その女性たちが少し不満そうに話し合っていた。
 目的地のヴィーテル国はトルム国、ターシア国と川を一本隔てている。そのため、どうしても橋を渡らなくてはならないのだが、王族が使用する際は一般人が使うことを禁止されている。王族の安全のためではあるが、一般人にとっては迷惑だ。その上、王族の馬車を追い越してはならず、その王族一行はやたらと遅いときている。
「普通は事前に御触れがでるものなんだけどねぇ」」
 ターシア兵に聞こえないように話していると、サティーナのいる馬車にもターシア兵がやってきた。
「同行人か?」
 ターシア兵は中を覗き込み顔を確認する。
「はい。女が四人。男が一人です」
 まとめ役の男が口にして初めて、サティーナはこの荷馬車に男性が乗っていることを知った。
 サティーナは最後に乗り込んだので、一番後ろ、出入り口に座っていたのだが、男性は一番奥にひっそりと荷物に埋もれるように座っていた。黒髪で、黒っぽいマントにすっぽりと包まれ、肩に剣を立てかけていることからどうやら剣士らしい。
 あまり目立ちはしないが、整った顔立ちをしている。その証拠に、サティーナより少し年上と思われる女性は、時折男性に視線を投げかけては頬を染めている。
「よし、行ってもいいぞ」
「ご苦労様です」
 まとめ役の男がターシア兵に頭を下げ、先頭に戻ると一行は動き出した。
「それはそうと、お姫様はもうヴィーテルに向かっているの?」
「ええ。話では首都を出たということだから、今ターシアへ向かうとちょうど後ろにつく形になるはずよ」
 一緒に同乗している中に、あのまとめ役の妻という女性もいて、彼女はこの話についてよく知っているようだった。
「お嬢さんもヴィーテルへ行くの?」
「え? あ、はい。そうです」
 隣に座っていた女性に聞かれ、サティーナは景色を見ていた視線を女性に移した。
「あら? あなた、赤い瞳なのね。珍しいわ〜」
 そういうと女性はサティーナの目を覗き込んだ。
「そうですか?」
 赤い瞳と言っても、サティーナの目は真っ赤というものではなく、赤味が強い茶色である。
「でも、私くらいならターシアではそれほど珍しくはないですよ」
「あら、そうなの? ヴィーテルではあまり見かけないわ」
「そういえば、ターシアのお姫様も赤い瞳をされているそうよ」
 馬車の中は女性が多いこともあり、話題はそのお姫様の話になった。
 ターシア王の愛娘、ユーセイン王女は今年で二十歳。器量はよく、性格も大人しい、淑女の鑑といわれるお姫様である。
「私一度だけ見たことがあるわ。とっても綺麗なのよ〜。波打つ黒髪で…瞳の色は遠くてわからなかったわ。ただ、私も隣にいた人から王女は赤い目をしてるって聞いたわ」
「王族に赤い瞳なんて…嘘でしょう」
「今の国王は確か、前王の従兄弟だってきいたから、その筋じゃないかしら?」
 嘘か本当かわからない噂話を飽きることなくする女性たちに、唯一同乗していた男性が辟易した様子でため息をつくと、突然馬車が急停止した。
「きゃ! なに?!」
「どうかしたの?」
 全員が馬車の外に目をやろうとした瞬間――。
「盗賊だー!!」
 先頭を行く男の叫び声が聞こえた。
「早く馬車を出せ!!」
 まとめ役の男の声が聞こえたときにはすでに遅く。待ち伏せていた盗賊は抜かりなく、旅商の一行を取り囲んでいた。
「お前たちは女たちを守れ!」
「くそ! 用心棒もいるぞ!」
「急げ急げ!!」
 盗賊に襲われたことはわかったが、サティーナたちに何ができるわけでもなく、ただ馬車の中で声を押し殺していた。
 外で護衛と盗賊の怒号が響く中、今度は突然馬車が走り出した。
「きゃあ!!」
「大変!」
 馬車の中に積まれていた荷物が、一番近くに座っていた人の上に落ちてきた。それほど急激に馬車が走り出したのだ。
 荷馬車は幌がかかっているため一番後ろの景色しか見ることができない。どうやら馬車は街道からそれて走りだしたようだ。遠くなる街道に数人の男性が倒れているのが見えた。
 恐怖に女性たちが硬直している中、すぐに行動に移せたのは、やはり唯一乗っていた男性だった。
 崩れた荷物を掻き分けて、黒髪の男性はすぐに幌から顔を出し御者席に声をかける。
「おい! 大丈夫か!?」
「俺はな!! くそっ! 追っ手だ!!」
 馬に乗った盗賊が三人、サティーナたちの乗る馬車を追いかけてきた。
「止めろ! 三人ならなんとかなる」
 男性はそういうと崩れた荷物の中から剣を取りだした。
 荷馬車が速度を落すと同時に、男性は幌を飛び出していった。それに続いてもう二人が続く。御者席にいた人たちだ。
 崩れた荷物に囲まれ、女性たちは固まって手を握り合っていた。
「何が起こったの?」
「私、これからどうなるの…」
「泣かないで、大丈夫よ。ターシア領だもの、さっきの検問の兵が助けてくれるわ」
 あまりのことに泣き出す若い女性をまとめ役の妻が慰める。サティーナもあまりの出来事に呆然としていた。
「…信じられない」
 ここのところ盗賊が頻繁に出没しているという話は聞いていた。そのため一応護衛のいるこの旅商を選んだのだが、その結果がこれである。
 まさか、初めての旅で盗賊に襲われるとは、まったく予想していなかった事態なだけに今の状況が信じられずにいた。
 しばらくすると周りがやけに静かになり、やがて飛び出していった男性たちが、盗賊が乗っていた馬を連れ戻ってきた。
「大丈夫ですか? 俺はこれから街道へ行ってみます」
「危険よ。ターシア兵が来るまでここにいたほうがいいわ」
「雇い主を放ってしまっては面目が立ちません。お前は彼女たちを守ってくれ。あんたにも頼んでいいか?」
 御者台にいた男性に声をかけ、それから馬車に乗っていた男性にも声をかける。
「かなりの人数だ。今戻るのは危険だぞ」
 その男性の忠告に護衛の男性は、わかってると言い残し街道へと馬を走らせた。
 その後ろ姿を見送っていたまとめ役の妻である女性は、同行していたサティーナたちを振り返って頭を下げた。
「ごめんなさい。こんなことになってしまって」
「いいえ。あなた方のせいではありません。頭を上げてください」
 大人の女性二人が話している間、サティーナは泣いている若い女性の背中をさすっていた。そのすぐ側、荷馬車を覆う幌の外で男性二人の声が聞こえてくる。
「荷物は布とお茶だと言っていたな? 高価な物なのか?」
「確か布も茶葉も貴族の特注品だと聞いている」
「全部か?」
「いや。全部じゃないだろう。奥さんに聞けば正確にわかると思うが…それがどうかしたのか?」
 護衛の彼にはどれが高級なのかはよくわからないようだ。
「盗賊は事前に盗む商品を調べておくものだと聞いた。金にならなければ盗み損だろう?」
「金にはなるだろう。貴族の特注品だ」
「…まあな」
 二人の会話を聞いていたサティーナには、黒髪の男性の言っていることがよくわかった。彼女の家も一応は商売をしている家柄だ。
 今回盗賊が盗み出したものは貴族の特注品。これだけ聞けば金になると考える人間は多いが、実際はちょっと違う。布地は売れるだろうが、おそらく正規の値段の数割に満たない額で売る羽目になるだろうし、茶葉などの嗜好品は価値がわからなければ高値はつかない。
 どちらも目の利く人間がいなければ、売ることもままならない。
 そして、そういったことに目の利く人間にはわかるのだ、これが盗品であると。
 そんな売りさばくのに面倒なものを好き好んで奪う盗賊はまずいない。かなりの変わり者か、そういうことに頓着しない者くらいだろう。
 そんな話を聞いているとサティーナはふと、自分の荷物から母に手渡された小袋を取り出し、着ている服の中にしまいこんだ。
 まさか盗賊に襲われるとは夢にも思っていなかったのだが、これが教訓だと思い大切な物は肌身離さず持つことにした。
 
 あの男性が行って、しばらくはじっと周りの様子を窺っていたが、時間がたつにつれ緊張もほぐれてきた。
 辺りは静かで、盗賊が襲ってくる気配も無い。
「あの…あの人かターシア兵が来るまでここを動かないんですか?」
 サティーナは素朴な疑問を投げかけた。彼女自身先を急ぐ用がある。あまり長くここに留まっていたくなかった。
 サティーナの質問にまとめ役の妻と護衛の男性はお互い、どうすると問うように目を合わせる。
「もう少しここにいましょう」
「そうよ。せめて安全が確認できるまでここにいるべきだわ」
 他の女性たちは、あの男性かターシア兵がここにくるまで待つ気でいるようだ。
「あの、他の馬車は無事だと思いますか?」
 控えめにサティーナは護衛の男性に尋ねた。男性は視線を落とすと沈黙したが、黒髪の男性があっさりと質問に答えた。
「無理だな。たとえ馬車は無事でも荷物は無いだろう」
「その場合、このまま旅を続けるわけにはいきませんよね?」
「普通はそうだろうな」
 黒髪の男性はそう言うと護衛の男性に視線を向けた。
「一度ポンシェルノ入り口の検問所に戻ることになる。その後旅を続けるかどうかは俺が判断するべきことじゃない」
 護衛の男性の言葉に他の女性たちは沈黙した。この場合誰がどう考えても仕方がない。
 今朝、母に言われた言葉を思い出しつつため息をついた。
「こんなに大変なことになるなんて思わなかったわ」
 できるだけ早くと言われたのに、すでに足止めとなってしまった。このままこうしていても仕方がない、とにかく先へ進まないと始まらないのだ。
(馬、借りられるかしら? 元々あれは盗賊の馬よね……)
 この際多少なりとも危険には目を瞑って一人で旅を続けるしかないが、自分の足で歩くよりは馬のほうが速い。
(でも、馬に乗ったこと無いのよね…)
「おい。どこへ行く気だ?」
 サティーナがあれこれと考えていると護衛の男性が咎めた。
 その声に顔を上げると、黒髪の男性が馬車から自分の荷物を取りだしたところだった。
「悪いが俺は急いでいる。これ以上ここに留まるつもりはない。日が暮れる前に少しでも移動しておきたいんだ」
 黒髪の男性はそういうと、街道とは逆の方角へ向かって歩き出した。
「どこへ行くんですか?」
 サティーナは反射的に歩き出す男性に尋ねていた。
「……この先に小さいが町がある。トルムへの近道でもあるが、身の安全は保障しない」
 言外に「くるな」と言っているように聞こえたが、サティーナにとっても近道があるならそれに越したことは無く…。
「私はあの人と一緒に行きます。ここまでありがとうございました」
 直感的にそう判断をくだし、まとめ役の妻である女性に礼を言うと、自分の荷物を持って黒髪の男性を追いかけた。