やってきた彼らが、聖都から来たと聞けばここを任されている神官が当然出てくる。
「ようこそお出で下さいました…」
歓迎を口にし、出てきた神官は二人の後ろにいる人物を認めるとぴたりと足を止め、硬直した。
「なにか?」
「いえ、あの、その方をどうして…」
サージュ神父が怪訝そうに尋ねると、神官はしどろもどろしながらも聞いてきた。
「ああ。彼は前の支配家の末裔なのだそうです。この法師が知り合いだというので町を案内してもらったのです」
打ち合わせどおり、サージュ神父は淡々と説明する。
「ところで、ここに神官は何人おいでなのだ?」
そんなことは問題ではないというように話を進めるサージュ神父に、神官もとりあえず笑顔を貼り付けた。
「私を含め五人です。今ちょうど祈りの時間ですので、全員がそろっております。どうぞこちらへ」
三人を伴い神官は『神の家』の奥へ向かう。
おそらく中心だろうと思われるところに扉が現れる。それはハッシュが縦に二人分は入るくらい大きな扉だ。木製の扉の向こうからは祈りの声が聞こえる。
神官は一度彼らを見てから扉を開ける。
光を取り込む構造の聖堂は『神の家』に相応しく、色彩豊かなステンドグラスがあり、祭壇に向かい左右に長いすが整列している。
その椅子に座り、白いローブをきた法師、神父、神官がみな手を前に組み、目を閉じて異口同音に祈りの言葉を口にしている。
荘厳で不可侵の聖域。
その聖域の最前列、神官たちが座る椅子の一番端に赤いローブの神官がいる。それはこの『神の家』での責任者であると物語っていた。
「神官長様の名は?」
アリシアが小さな声で案内の神官に尋ねると、彼も小声で答える。
「ジェロム・ガリファシュ神官です」
その名前にサージュ神父が反応した。
「ガリファシュ様というと、聖都にもいらした方か?」
「はい。ここには一年前においでくださいました」
「一年前…」
ハッシュが小さく漏らすのをアリシアも耳にした。一年前と言えばクラクベルタ当主が現当主になった時期だ。
アリシアは彼らから少しだけ離れた壁に寄りかかり、静かに息を整えた。
胸に手をやり、深く吐き出して浅く吸う。
「"ジェロム・ガリファシュ"」
ごく小さな声だったため、近くにいたサージュ神父が少しだけ注意を払ったくらいで、案内の神官にも届いていないようだ。
名前の主には当然、祈りの声が響く聖堂の中では全く聞こえなかっただろう。しかし、赤いローブの神官はいきなりこちらを振り返った。
それは前触れもなく、まるで驚愕したように。
その様子に隣の神官が怪訝そうに見やると、赤いローブの神官は何事かを囁き首を振って前を向いた。
「なるほどね」
つま先を見たまま呟かれた言葉に、ハッシュは疑問を目だけで問うた。
サージュ神父は硬直するとごくりと唾を飲み込んだ。
二人の様子に気がついたアリシアは、視線を上げ微笑むとただ頷いた。
「今すぐ神官長とお話したいのですが」
硬直する二人の向こうにいる神官ににっこりと微笑んで尋ねると、神官はサージュ神父を見てから少しだけ考えたようだ。
「今ですか?」
「はい。遅くなる前に」
その言葉に神官は動揺し、あちこち視線を飛ばすとアリシアに戻ってきた。
「…わかりました。お会いできるかお話してみます」
神官はそういうと赤いローブを目指して歩いて行った。
それを見送るサージュ神父はアリシアにそっと囁いた。
「大丈夫なのですか?」
「彼は気づいているようですね。あの神官長を呼び戻しましたからそう難しくはないですよ」
アリシアの答えにサージュ神父は不安げにしていた。
「呼び戻す?」
ハッシュがアリシアの言葉に首をかしげる。先ほど赤いローブの神官がこちらをすごい勢いで振り返ったのはハッシュも見ていた。
「彼は悪魔に意識を乗っ取られていたんです。この様子だとおそらくここにいる人たちのほとんどは精神を捕らえられているでしょう。それから解放すれば悪魔も去ると思います。神父様、悪魔祓いをお願いします」
アリシアはサージュ神父に頼むと、ひくりと眉を動かしたが厳然と頷いた。
呼び戻された神官長はできるだけの早足で三人のところへとやってきた。そして聖堂からでるように促し、扉を閉めると大きく喘いだ。
「ああ。サージュ神父。よくぞいらして下さいました。捕らわれた意識の中で神にどれほど祈ったことでしょう。私の願いはきちんと届いたのですね」
目を涙で潤ませサージュ神父を見上げる神官は、色白の細面で病弱そうな印象を与えた。
対してサージュ神父は日に焼けており、とても逞しく見えた。
「私がきたのですから、もう大丈夫です。早速悪魔祓いをしたいと思います」
神官長はそれを聞くと、驚いたように目を見開いたが、大きく頷いた。
「今この『神の家』にいる全てがここに集まっています。祓うのでしたら今が好機です」
聖堂そのものが浄化の機能がある。祈りをあげることで魂の浄化をしているのだが、それでも悪魔の支配は抜けないようだ。
「悪魔のクラスはわかっているでしょうか?」
「伯爵だと思います。私は悪魔祓いは専門ではありませんので憶測ですが」
サージュ神父はそれを聞くと「やはり」と頷いた。
「それではすぐにでも行いましょう。丁度四人います。角にそれぞれが立っていただきたい」
神父は神官二人と法師一人に目配せすると、それぞれが頷いた。
「では」
それを合図に四人は聖堂へと足を踏み入れた。
ハッシュはそれをただ見ていた。
四人が角に立ち、神父が何か言葉を紡ぎ出すと、聖堂の真ん中から光の柱が立ち上がった。
それは祈りの言葉と同調するように徐々に膨らみ、最後の祈りの言葉と共に聖堂内を満たし、そして消えた。
その光景が何をもたらしたのかハッシュにはわからなかったが、今まで祈りに専念していた法師や神父が一様に安堵の息を吐き、それぞれの肩を叩いて喜んでいた。
「終わりました」
アリシアが近づきハッシュに告げる。
サージュ神父は周りを囲まれ謝礼と賛辞を受けていた。
「さて、行きましょうか」
「あ? いいのか?」
「言いましたでしょう? 私は"流下"です。あまりここに長居はしたくないんですよ。彼の心が変わる前に姿をくらましたほうが得策です」
誰もいない廊下を進み、外へ出るとすでに日が傾きだしていた。
それほどの時間をあの聖堂で過ごしたのかと驚く。
「サージュ神父は力はあるのですが、それを高めるのに時間がかかるみたいですね。だから突入できなかったんでしょう」
「ああ。なるほど」
それであんなに渋ったのかと納得した。
外界とを隔てる鉄柵を越えるとハッシュが『神の家』を振り返る。
「悪魔祓いってあんなものなのか?」
ハッシュにしてみればあまりにもあっけなく、何故もっと早くしてくれなかったのかと不思議でならない。半年分の悩みは一体なんだったのかと腹が立つほどだ。
「彼にもう少し勇気があれば三ヶ月前に済んだ話ですね。でも、彼に二の足を踏ませるほど悪魔は怖い存在なんです」
納得がいくような、いかないような説明を受け、さっさと歩くアリシアの背を追いかけて並んで歩く。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「はい」
「呼び戻したって、どうやって呼び戻したんだ?」
ハッシュの質問にアリシアは口の端を上げた。しばらく無言で歩き、ハッシュの家が見えてきた頃、アリシアがハッシュを見上げた。
「ハッシュさん。支配には名前があるんです。この町を支配する名前はクラクベルタ。あの家を支配する名前はセルビー。ここの『神の家』を支配する名前はガリファシュです」
「…わかったような、わからないような」
眉をよせるハッシュにアリシアは笑いかける。
「ハッシュさんを支配している名前はなにかわかってますか?」
「俺を?」
「はい」
家の扉の前で立ち止まり、首をかしげた。
「ハッシュ・セルビーか?」
聞いたハッシュに悪戯っぽくアリシアが笑う。
「自身を占めるものが何かわかった時、世界は輝く」
「は?」
何を言っているのだと口を開きかけると、アリシアがドアを開け中に声をかけた。
「ただいま戻りました」
その声に出てきたのはこの家のお母さん。その後ろにはバロックが続く。
「お帰りなさい法師様、バロック君が待ってましたよ。ハッシュも、お帰りなさい」
そこにはいつものように暖かな笑顔を湛える人がいた。
「………マリーベル」
「はい?」
呆然と呟くハッシュの言葉にマリーベルが首をかしげ、その後ろでバロックの髪を撫でているアリシアが満面の笑みを返した。
「正解です」
午後の光は柔らかく、小さな家をやさしく包みこんでいた。
支配の名前 終