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 あの場所から空き家まで少し長い距離だったが、とりあえず落とすことなくたどり着けた。
 どうにか部屋へ運びこんだが、暖めるにも暖炉などなく、仕方がないので抱いて寝ることにした。
 このまま冷たくならないように小さな体をさすった。
 さすりながらもため息が洩れる。
 どうして自分ばかりがこんな目に合わねばならないのだろうか?
 それもこれも師タラクのせいな気がしてならない。
(絶対に文句言ってやるんだから!)
 アリシアはそう心に誓いながらも、恐らく無理だろうと心の隅で思った。
 それにしても、悪魔の言った台詞が気になる。
 確かにこう言った「タラクは策士だ」。
 あの水晶の玉はおそらく霊核か、それと同等のものだろう。そうでなくてこんなことが起きるわけがない。
 そして、あのカラクリにはタラクが関与している。
 あの水晶球はタラクが悪魔を封じるときに使う道具だ。
(お師匠が封じれるのは確か、侯爵クラスまで…)
 悪魔を祓うより封じるほうが難しい。それはあの霊核があるためだ。
 祓うのはその周りの力を分散させ、悪魔をもとの場所へと帰すのが目的だ。しかし、封じるのは見えない霊核を特定し、その周りごと封じるのだ。
 高い能力と、判断力そしてなにより勘がよくなければできない。
 アリシアはそっと自分の胸に手を当てた。
 つい先ほどまでここに公爵クラスの悪魔を封じていた。
 人の体に封じるのは一番簡単で確実な方法だ。だから"空童"という非人道的な方法があるのだが、難点が多々あることも事実だ。
 一番の難点が、人間一人に霊核は一つだけしか封じられないというものだ。
 その点道具を使う方法は、道具の数だけ封じられ、犠牲が少なく、人の持つ倫理に反しない。しかし、その分だけ難度が高くなる。
 アリシアが封じていたのは公爵だが、自分を犠牲にしてようやく封じたものなのだが…。
 それは今は置いておくとして。
 どうしてあの場に、そのタラクの使う水晶球が転がっていて、しかもそれに皇位悪魔の霊核が宿っていたのかだ。
 皇位といえ弱っていたから可能だったのか?
 いや、だとしたら動けるはずがない。
(もしかして、封じきれなかった?)
 タラクの水晶球ではあの悪魔の霊核が入りきらなかったのだろうか?
(皇位だもの、そうなのかも。でも…)
 だから、どうして、そのままの状態でアリシアに会いにきたのか?
 周りの力を祓うため。それはおそらくそうだろうと思う。
 でも完全ではないにしても、すでに水晶球に封じられていたのだ。彼の言う「殺せ」――つまり空童から抜け出すこと――にはならない。それどころか完璧に封じられてしまう。
 ひとしきり考え、アリシアは諦めた。
(今は考えるのはやめよう)
 結局彼女にはタラク神父という人間の頭の中を計ることはできない。
 一度大きくため息をつくと、腕の中の子供が震え出した。アリシアはさするのを止め、肌着一枚になり裸の子供をしっかりと抱きしめた。
 とにかく今は何も考えず寝ることに専念した。
 そうやって横になっていると、皇位悪魔を祓ったことで失われた力を蓄えるべく睡魔が自然にやってきた。
 そして朝はやってきたのだ。意外に早く。
「さて、どうしよう…」
 呟いてみたがそれで事が進めばこれほど楽なことはない。
 すやすやとよく寝る子供の黒髪を梳いてやる。
「それにしても………」
 かなり可愛い顔をしている子供だ。
 夕べ見たのが間違いでなければ少年なのだが、どうみても少女だ。それもとびきりの美少女。
「前途多難、間違いなし〜」
 どこか頭痛のようなものを覚え思わず、呟きと深いため息がもれ出た。
 ああ。コレは何かの間違い、あるいは夢にするわけにはいかないかと、そんな途方も無いことを考えていたが、結局のところ胸に抱いている鼓動は現実で、アリシアは早々に頭を切り替えた。
「ん! とにかく今はこの子の服を調達しなきゃ。それと食事」
 硬いベッドから起き上がると寒い空気の中、服を見につけ食事の用意をする。
(ああ。確か夕べのお家の子、あの子と同じくらいの年頃だったな)
 別部屋にある釜に火を入れお湯を沸かしながら思いつく。
 農家からもらったパンと卵、ミルク、少しの野菜といたって簡素だが暖かい朝食を口にする。消費した体力を補うには少し足りないが、それでも満足し、まだ寝ている少年のところへも運ぶ。
 起きる気配はないが、とりあえずあの家にいって服をもらおう…。
(でもどう言おうか?)
 子供服一式をもらう理由、言い訳に少し思いを巡らせる。
 子供を拾ってしまったのは事実だが、どうしてこんなところに真っ裸の子供が捨てられているんだと自分に問う。
(奴隷の子とか?)
 まじまじと眠り続ける"美少年"を見つめ、にやりと笑う。
 それがいい、そうしよう。これだけの容姿だ、何があってもおかしくない。
 いそいそとマントを羽織る。
 農家の家は皆早起きだ。明けたばかりだが問題ないだろう。
(あ、ミルク冷めるかな…いいか)
 とにかく善は急げだ。
 まさか裸のまま歩き回ったりはしないだろうが、それでも急いだ。
 
 あの家族に服をもらえないかと尋ねたところ、喜んで提供してくれた。あちこちほころびているが、着れないことはないし、その上サンダルまでくれた。あまり裕福な土地ではないことを考えればあまりにも破格の提供だ。
 なんだか逆に申し訳なく、病魔除けの符を書いて置いてきた。法師の彼女にできるのはそのくらいしかない。
 服をもらって急いで帰ってくると、その頃には少年も起きていた。
「あ。おはようございます。体は平気?」
 部屋に入るとそう声をかける。
 まだ眠いのかベッドの上でぼんやりしていた。
 服をベッドの上に置き、朝食を置いたテーブルを見る。
 食事はまだしていないようだ。冷めたミルクを再び温めに少しその場を離れ、戻ってくると少年は裸のまま窓辺に立っていた。
「寒いでしょう?」
 窓の外を見ていた少年はゆっくりとアリシアを振り返る。
「寒い?」
 夕べ聞いたあの可愛らしい声で尋ねてくる。
「ええ。寒くない?」
 ミルクをテーブルに置き、服を差し出す。
 少年は差し出された服を見てわずかに首をかしげた。
「ああ。そっか」
 彼は悪魔なのだ。服の着かたなど知らないのだろう。
 アリシアは有無を言わせず服を着させた。ついでにサンダルも履かせ、ひょいと抱き上げて椅子に座らせる。
 着せるときに体が震えているのに気がつき、とにかく暖かいものを食べさせようと思い、暖かいミルクを飲むように勧める。
 少年は素直に従いミルクに口をつけるが、驚いたように離した。
 その反応を見てアリシアは愕然とした。
「もしかして、感覚を知らない…とか?」
 言って納得した。
 そうだ、そうだろうとも。彼らは空気とさほど変わらない存在だ。硬いものに触れるのも、柔らかいものに触れるのも、おそらく今日が初めてだ。
 寒いかと聞いたときの反応を思い出し、これは大変だと思った。
 飲めと言われたので飲んでいる風の少年に、アリシアは一つ尋ねた。
「あのね。これだけはどうしても答えて欲しいんだけど」
 言葉は理解しているようだし、知能は高そうだ。
「あなたは人間に転生したの?」
 以前の記憶がないと言われたらどうしようと思ったが、少年はまっすぐにアリシアの目を見つめて頷いた。
「タラクの話だとそういうことだ」
 アリシアは頭を抱えテーブルに突っ伏した。
「やっぱり…」
 唸るように言うと、そのままの体勢でもう一つ尋ねる。
「それで、これからどうするの?」
「どうするとは?」
 偉そうな抑揚の無い可愛い声とはなんとも違和感があるものだ。そんなことを思いつつ、アリシアは顔を上げた。
「これからあなたはどうやって生きていくつもりですか?」
 真正面から礼儀正しく尋ねる。
 人間の生活に、果たして寒さを知らない子供が生きていけるのだろうか? もしかしたら空腹も知らないのでは…。
 アリシアはそれが心配だった。
 しかし、少年にとってはなんでもないことのようだ。いや、以前からそう考えていたような冷静な判断を下す。
「しばらく貴女の側にいる」
 迷いもなく言い切った少年に嫌な予感がした。
「もしかして、それもタラク神父が言った?」
 その予感どおり、少年は頷いた。
 その可愛らしい顔を見つめながら、アリシアはここにはいない師匠に怒りをぶつけた。
「絶対に、これでもかってくらい文句言ってやるんだから…」
 史上最大級の厄介な疫病神を背負った気分だ。
 アリシアの場合悪魔だが、災厄をもたらすで言えば同じだろう。
「はあぁ〜。どうして私が…」
 もう一度テーブルにうな垂れると、ちょうど朝日が稜線から顔を出した。
(神様。私に試練を与えるのは構いません。ただ、もう少しだけ優しくして下さい)
 力なく祈るアリシアを朝日はやさしく包み込んだ。

最厄との出会い 終

end