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 滞在先になっている『神の家』へ帰るとジョルジュが心配そうに玄関口で待っていた。
「ああ、よかった。どこへ行ったのかと心配していました」
 ほっとした様子でバロックを見る。メレシーナの側に置いてきたバロックがいなかったのだ。それは心配しただろう。
「アリシアさんのほうへ行ったんですね」
「ええ。道に迷ったらしくて、そこで会いました」
「そうですか。よかった」
「メレシーナさんは?」
「先ほど気が付きました。今は自室で寝ています。……あの」
 会話をしながら『神の家』に入ったアリシアに、ジョルジュは言葉を濁して視線を彷徨わせた。それ以上聞かなくても、彼が何を気にしているのか手に取るようにわかる。
 だから、言葉にはせず一つ笑顔で頷いてみせた。
「もしかしたら、明日、エンドさんがくると思います」
「そうですか。神父たちは無事なのですか?」
「ええ。大丈夫だと思います」
 それほど強い瘴気でもなかったので、あのまま憔悴して死に至るということはないだろう。浄化も一応してあることでもある。
「今日はアリシアさんもお疲れでしょう。僕もおばあさまも今日はもう寝ますから」
「はい。おやすみなさい」
 挨拶を済ませるとすぐに上の階へと向かい、あてがわれた部屋に入りマントを脱ぎ、ベッドへ早々に入り込む。
 ベッドは二つあったが、バロックが入り込んできたのでそのまま一緒のベッドで眠る。そのほうが暖かいこともある。
「封印だ」
「張られましたか」
「ああ」
 アリシアには感じないその感覚にバロックが報告してくる。
「アリシアは何も感じないのか」
「そうですね」
 いつもつけているペンダントがふいに引っ張られた。
「これがあるからか?」
 聖言を紡ぐ時いつも手にするそれは、普通なら武器か力を増幅させるものであると考えられるが、どうやらバロックには違うように捕らえられているらしい。
「私にも色々あるんですよ」
「そうか」
「はい」
 ペンダントを小さな手から取り戻すとぎゅっと抱きしめてそれ以上の質問を止めた。それがわかったのだろう、バロックもそれっきり言葉を寝息に代えた。
 
 
◇ ◇

 
 翌朝、やはりエンドが昨夜の報告に町長であるメレシーナのところへやってきた。
「夕べはご苦労様でした」
 老婆の労いに少年は首を横に振った。
「心配をかけたようだ。倒れたと聞いたが?」
「ご覧の通り、大事ありません。それで?」
 ジョルジュの入れてくれたお茶を飲みながら先を促す。
 この場になぜかアリシアも参加させられていた。一度は断ったのだが、どうしてもとエンドとメレシーナが言うのでということで聞くだけならと参加していた。
 エンドの報告によると進入したのはやはり聖都からきた神父たちで間違いないそうだ。
 彼らから話を聞き出したところによると、外の封印を切り、下へ降りる入り口の封も切り、いざ祠の中へ進入しようとしたところ、突然闇が現れたのだそうだ。
「一度は祓えたらしいのだが、途中から突然濃くなって、そこから意識がないそうだ」
「では、あそこがどんなところかなどは?」
「ほぼ見えていなかったようだな。ただ、自分たちが入ったことで起こった現象だと思っているようで、二度と近付かないと約束していった。信用はできないが、あの連中自身がくることはないだろう」
「そう。よかったわ」
 いや、ある意味別のやつらがくる可能性が出てきたのではと、アリシアは思ったのだが、その辺はアリシアには関係ない。
「でも、あの闇が発生した原因はなんだったんだ?」
 ジョルジュがした質問に思わずお茶を持つ手が止まってしまった。
「それはわからない。"天使の塵"が何かもわからないからな。もしかしたら本当に『神の家』の神父が入った事が原因かもしれないが、それも憶測だ」
 エンドがそうしれっと説明するのを見てアリシアは視線をエンドにあわせる。
「法師にもわからないだろう?」
「そうですね」
 問われて本当のことなど言えず。結局はわからずじまいでいることのほうが平和であることもあり、この話にありがたく合わせることにした。
 エンドの報告で一応の満足を得たのか、メレシーナの顔色はそれからとてもよくなった。よくなって、ジョルジュはほっとしつつも、また活発に動き出した老婆にてんてこ舞いの様子で今日も世話を焼いている。
 その合間を抜け、旅に必要なものを手に入れるために町を歩いていると途中で声がかかった。
「法師、少しいいか?」
 その声にやはりかと振り返る。
「エンドさん。今日はありがとうございました」
 目にした少年に笑顔で礼を言うと、少年は少し複雑そうな顔をして、視線だけで少し脇にそれるように促す。といっても、町中が木だらけで、すぐに人目から避けられる場所へと移る事ができる。
「なぜ、あの子があの場所にいた?」
 当然の疑問だろう。アリシアも感じたのだから。
「本人曰く、呼ばれたんだそうです」
「呼ばれた? 何に?」
「さあ? 人間ではないものに、でしょうね」
 にっこりと微笑んで告げるアリシアに、エンドは無表情でその笑顔を見つめ返した。
「法師、"天使の塵"とは」
「エンドさん。本当に私も見た事はありません。ですから滅多な事は言ってはいけませんよ。『神の家』の代行者は悪魔崇拝者を断罪に来ますが、天使崇拝者も許してはいません」
 エンドの言葉を最後まで言わせずアリシアは口を挟む。
 一つの可能性が思い浮かんだとしても、それは心の中に留めておくべきで、口にするべきことではない。
 アリシアの無言の指摘にエンドも重く頷いた。
 アルテリオ。その名前が世に知れ渡ることも少なくなったとはいえ、全く知られなくなったというわけではない。過去にその人が何をしたのかは伝承であって、事実でないかもしれないのだ。そのくらいの曖昧さでいい。
「ここは平和で、あなたたちは生きている。それでいいのではないですか?」
「法師…」
「全てに善悪をつける必要はありません。ここを守っているものが何であれ、守ってもらっていると感じているのならそれに感謝し、毎日を生き抜いてください」
 法師らしくそんな風に語るアリシアに、エンドは少しだけ表情を緩め頷いた。
「ありがとう」
「お礼を言わなくてはならないのはこちらです」
 これ以上突っ込んだ話をされてもアリシアが困る。実際、バロックがどうしてあの場にいたのか、何に呼ばれたのか、詳しい話はしていない。
「ところで法師はいつまでここに?」
 エンドが話題を代えつつ道へと戻ると、アリシアは手にした買ったものを見て首をかしげた。
「明日には出るつもりです。滞在期間も三日と言ってありますし、お昼前にでもでようかと思います」
 三泊するとは言っていない。二日も休めれば十分だ。それにありがたくないことに聖都の神父がいる。しかももしかしなくても「代行者」たちだ。
 アリシアの事情などは全く知らないだろうエンドは、それでも何か感じるものがあったのか。
「聖都の神父もいるからな」
 真顔でそんなことを呟いた。
「法師。俺から一つ頼みごとをしてもいいいか?」
「はい。私にできることでしたら」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。エンドがいてくれるから」
「でも…」
「俺が信用できないのか?」
「そうじゃないけど」
 三人のそんなやり取りを聞きつつ、バロックはアリシアを見やった。その視線に気がついたのかアリシアも視線をバロックに向け、くすりと笑う。
 今朝、アリシアが暇を告げるとなぜかジョルジュの荷物も用意されていた。
 そして老婆がにっこりと微笑むと「法師様の言いつけを守るのよ」と背を叩き、バロックにも「お願いね」と頭を撫でた。
 昨夜寝る前にアリシアに「ジョルジュがしばらく同行する」とは聞かされた。それに同意をした覚えもある。そんな中、どうやら当の本人だけがその事を知らされていなかったようで、昼間でかなりの悶着があった。
 しかし、目の前では結局別れの挨拶がなされていることを見ると、どうやら老婆の作戦勝ちのようである。
「聖都に行くのか?」
「私たちは行きませんよ」
 昨夜そう聞くとそう返ってきた。どうやらここから出たことのないジョルジュの旅教育を引き受けたらしいのだ。しばらく一緒に旅をして勉強してから聖都へ向かうらしい。どのくらいの期間になるかは不明であるが。
 かなりの路銀を持たされた人間がいるのは助かるだろうなと、そんなことを思うバロックは十分人間の生活に慣れてきていると思っていいだろう。
 アリシアは反対しなかったのかと思ったが、どうやら一応は尋ねたらしい。
「メレシーナさんはジョルジュさんを旅へ出したいと思っていたようで、前からエンドさんにもそんな話をしていたようです。でもエンドさんがここを離れるわけにはいかない事情がありますし、かといって他に頼りになる人間も見当たらないということで断念していたようですね」
 そこでアリシアに白羽の矢がたったということらしい。
「聖都の神父に頼めばいい」
 ジョルジュは聖都へ行きたいといっていた。ならば適材がいるではないかと思ったが、アリシアは苦笑した。
「まあ、いい人でしたらそれもいいんでしょうけど」
 首を傾げると、「代行者と名乗っている人間は他人の面倒などみないでしょうから」とどこか軽蔑したような目で遠くを見つめて言っていた。
 別れを終えたのか、ジョルジュが荷物を持ってこちらへ来た。
「お待たせしました。お世話になります」
「いいえ。こちらこそよろしくお願いします」
 いつのもようににこやかに挨拶するとアリシアは老婆に向かって礼をした。それを見た老婆も礼をして目元に手をやっていた。
「ここから聖都へは最短で三ヶ月です。少し寄り道をしても一年で帰ってくることを目標にしてくださいね」
 アリシアの優しい声にジョルジュも真剣に頷いた。見上げるとその瞳が潤んでいることがわかった。
「どうして泣く?」
「淋しいからですよ」
「では引き返せばいい」
「そうですね。でもそれではダメなのです。メレシーナさんを連れてくるわけには行きませんし。淋しいのはメレシーナさんも一緒です」
「ふーん」
 よくわからないが、どうやら試練ではあるらしい。
 ふと視線があったジョルジュにとりあえず言っておくことがある。
「面倒はかけるな」
 アリシアにこれ以上の負担をかけると、困るのは何もお前だけではない。そんなつもりでかけた言葉に、ジョルジュは呆然として声を発しない。
 そんな姿を見てアリシアがくすくす笑っているが、それを無視して歩くと、後ろから「善処します」とジョルジュの声がかかった。

天使と悪魔の境界線 終

end