特に今は一人ではない。そのことが思ったよりも負担になっている。
美少女に見える美少年を連れて歩くということが、何よりの負担なのだが、その本人がまったく自覚がないのか、あるいは慣れているのか…。
「あまり考えたくないわね」
「何がだ?」
「いいえ」
まだ変声期を迎えるには数年を要するだろう年齢なはずなのに、恐ろしいまでの香気を放つ小さな存在に尋ねられたが、まさかその色気は悪魔であった時のものかなど聞けない。
「そろそろ食べ物が寂しいので大きめの町に行きますね」
隣を歩く美少年に笑顔で告げると微妙に嫌な顔をされた。
拾ってから二ヶ月になるが、最初こそ乏しかった表情は、同じ年の子供たちと触れ合ったあとくらいから豊かになりつつあった。
しかし、だからこそその存在を無視できなくなってきているのだ。保護者としては喜ぶべきか否かをここのところよく悩む。
天使と悪魔の境界線
荒廃した原野を抜けると森が広がる。森があるということは水があり、つまり人が住める環境があることを意味した。
世界崩壊から人が安心して住める場所はあまりない。それどころか、一つ間違うと世界の境界が崩れたことを意味する"界壁"が現れ、向こうの世界へと飲み込まれてしまう。
それを"侵食"と言っているが、その侵食を止める術は今のところ存在しない。
「町があるのか?」
ぽっかりと突然あるような森の中に町があるのだが、荒野には人の気配はどこにもない。そればかりか動物の気配もないのだ、こんなところに人間が住んでいるのか疑問に思うのは当然だ。
「ええ。確か、アルテリオといいましたか…町があるはずです」
首をかしげて記憶を手繰るアリシアであるが、実際のところあまり役には立たないものである。そんな会話を最後に森へと近付く。
乾いた風が吹きぬける荒野から、突然広がる森に一歩踏み込んだ瞬間。
「何者だ?」
そう、声をかけられた。
声は上からしており、アリシアは声のしたほうを見上げる。
木の幹に二つ人影があるが、葉が邪魔をして全体像は見えない。それにしても随分高い位置に上っている。
「あの、旅の者です。入れてもらえないでしょうか?」
アリシアがそう声をかけるとなにやら話していたが一人が降りてきた。
目の前に現れたのはまだ少年と言えるくらいの男性だ。肌の露出をなくすよう、きっちりと着込まれた服。ほっそりとした腰に剣を佩いている。しなやかな猫のような印象を与える動作で木の上から落ちてきた。
着地から立ち上がると真直ぐにアリシアをみて、それからやや視線を落としてバロックを見る。
「聖職者か」
「はい」
声を聞けば初めに声をかけてきた人物であるようだ。
アリシアのマントの意味を察したということはどうやら通してもらえそうだ。
「その子供は?」
「拾ったのです」
その言葉に少年はアリシアに視線を戻して、じっとその瞳を覗きこんだ。視線はあっているがどこか別の場所を見ている様子だ。
なんだと首を傾げたが、少しして少年はふうと息を吐き出す。
「武器はもちろん持ってないな」
「エンド!」
上からもう一つの声が降る。こちらは歴とした成人男性の声だ。
「危険はない。それとも、聖職者を追い出すのか?」
少年が上を見上げて尋ね返すと返事に窮したのか沈黙が返る。
「行け。町に入るのに困ったら、エンドが通したと言え」
「わかりました。ありがとうございます」
にっこりと微笑んで礼を言うと少年はすぐに上に戻った。
「行きましょう」
バロックを促して歩き出すとふわりと頬を撫でるような感触があった。
「結界?」
「それとは少し違う感じですが。この森の中心に何かあるみたいですね。彼らはそれを守っているのでしょう」
そもそも、荒野のど真ん中に青々と茂る森があるのだ。何かあるに違いない。
森の中にある道を歩くとわりとすぐ町の門が見えた。
大体はどこでも同じ、町の名前がその門にある。
「アルテリオ。ですね」
見上げて読むと、アリシアたちに気がついたのだろう、門を守っている男たちが出てきた。やはりあの少年と同じようにきっちりと服を着込んでいる。肌が見えているのは手と顔だけだ。
少し妙であるが、それがここの様式なのだろう。
「聖職者か。誰が通した」
アリシアのマントを見てから厳しい口調で問われる。
「エンドという少年です」
「エンド…そうか。通るといい」
「ありがとうございます」
おそらくあの少年の名前がエンドなのだろうなと推測できる。その名前が通行手形の役割をしているのだろう、名を告げると厳しい態度だった門番はあっさりと町に通してくれた。
門の中は開けているが木々がそこらじゅうにある。街路樹などではなく、できるだけ木を切らずに町を作った。そんな感じで少し窮屈そうである。
「さて、とりあえず泊めてもらえるところを探しましょうか」
アリシアはとりあえず町の中心まで進んでみた。そこでふと違和感を覚える。大体の町にあるべき建物がないのだ。
「『神の家』がない」
「ええ、そうですね」
その代わりに別の建物がある。様式から何かの神殿のようだ。アリシアはその建物をしばらく凝視し、視線を地面に向けた。
「何かありますね」
「封印だ」
「封印…ですか? まあ、何かを守る力が作用しているようですが。…封印、ね」
バロックの言葉にアリシアは顎に手をやってしばらく考え込んだようだが、一つ息を吐き出して足元に置いていた荷物を持った。
「まあ、それはいいとして。とりあえず、宿屋はどこでしょうね」
木が邪魔をしてそれらしき建物を見つけるのは大変そうだった。ぐるりと見渡せば大体の家が二階建てで、同じような様式をしている。食べ物を売っている店は店先に並べてあることもあり比較的わかりやすいのだが、それ以外はいちいち見て回る必要がありそうだ。
「少し歩きますか」
どのくらいの規模の町なのかはアリシアもわからない。それに、本当に『神の家』がないのかも知りたかった。
町を歩いていれば当然住人に会うのだが、その全ての人が肌の露出が少ない服を着ている。首まできっちりと着込んでいる姿は暑苦しそうな印象もあるのだが、気候がそんなに暑くもないためか、着ている人たちはいたって涼しげな顔をしている。
時々すれ違う、服装が違う人物はおそらくアリシアたちと同じく、外からの人間だろう。
そんな中の一人に声をかけ、宿屋を尋ねた。
「ここは宿屋はないんだ。町長の紹介でどこか泊めてもらえるところを探すしかないですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
町長の家までの道を聞き、とりあえず屋敷の前にまできて少し驚いた。
「『神の家』だ」
「そうですね。間違いなく」
尖塔があり、左右対称の建物。間違いなく『神の家』の様式だ。しかし、門扉のような物はなく、他の家々と同じように木に埋もれるように建っている。
ここでぼうっとしていてもどうにもならない。とりあえずこの町長の家を訪問することにした。
木製の扉の横に荒縄がぶら下がっており、その縄の先に「御用の方は引いてください」の文字がある。アリシアがその縄を引くと鐘が高い音を立てて鳴った。
少し待つと扉の向こうに人の足音が聞こえ、やがて扉が開かれた。
「はい。どちら様ですか?」
中から出てきたのはアリシアと同じくらいの青年だ。
「旅の者ですが、町長さんにお会いしたいと思いまして」
「ああ。はい、ではどうぞ」
にこやかに頷くと青年はいともあっさりとアリシアたちを家の中に招いてくれた。
中に入るとやはりここは『神の家』であると思わせる物たちに出くわす。ステンドグラスや、モチーフなど「神」を象ったものが沢山ある。
アリシアたちを置いて奥に行った青年があまり待つことなく現れた。
「会うそうです。こちらへどうぞ」
通された場所は元は礼拝堂だろう。今は大きな食卓があり、なんとも家庭的な様子を見せていた。その部屋の別の扉から老婆が一人現れた。
「あらあら。法師様とは珍しいわ。ようこそおいでくださいました。驚きになったでしょう?」
おっとりとした口調で話す老婆は一つ机から出ていた椅子に腰掛けた。
「ごめんなさいね。足が悪いもので」
「いいえ。お構いなく」
「私はメレシーナ・アトリスと申します。こっちはジョルジュ。私の孫です」
「よろしく」
紹介された青年は確かに面差しが老婆と似ている。
「私は法師のアリシア・ダシュクと申します。この子はバロックです」
隣にいる少年を紹介するが、名前と見た目が一致しないのだろう。老婆と青年は少し首をかしげていた。しかし、バロックが見上げたことですぐにアリシアに視線を戻す。
「ここにいらしたということは、滞在なさりたいのですね?」
「はい。同じような旅の方に尋ねたらここに行くように言われたので」
「どのくらいの滞在かしら?」
「あまり長くは…そうですね、三日くらいでしょうか」
あまり一つのところに長くいたくないのは当初からだ。バロックを拾って少し教育が必要だと思った一度だけ長い滞在をしたが、それでも一ヶ月くらいだった。
「三日でしたら、ここにお泊まりください。昨日お客様がお帰りになったので部屋は空いていますから。そちらがお嫌でなければどうぞ」
にこやかにアリシアとバロックを順に見つめて話す老婆に、アリシアは一度バロックを見て髪を撫でた。
「では、ご好意に甘えさせていただきます」
アリシアがそう告げると老婆は手をぽんと打ってにっこり微笑んだ。
「決まったわね。さあ、ジョルジュ。法師様をお部屋へ案内してあげて? 私はこれから買い物をしてくるわ」
「おばあさま。買い物は僕が行きますから、法師様を案内して差し上げてください」
「あら。ジョルジュは残りの食料がどのくらいか知ってるの?」
二人の穏やかな言い合いに、思わず笑ってしまう。
「食事はこちらで済ませますからお気遣いなく」
町に食堂はなかったが、それでも食材は売っていたのだから食事の世話までしなくてもいいと断ったつもりだったのだが、老婆は少し悲しそうに頬に手をやった。
「昨日お客様が帰ってから食卓が寂しいの。ご覧の通り、大きな食堂でしょう? できればご一緒願いたいのですが、ダメかしらねぇ?」
「おばあさま」
どうやらそれは演技のようで、青年はあからさまに呆れの混ざる困った溜め息を落とした。
「ジョルジュさんの負けです」
「ほら。やっぱり私の言い分は正しいでしょう?」
目をキラキラさせて孫を見る老婆はとても可愛らしい人という印象を落とした。
「ですが、足が悪いのでしたら無理をしてはいけません」
「あら、大丈夫よ。もうすっかりよくなったの」
どうやら楽しい滞在になりそうだ。そんな予感を残しつつ、滞在する部屋へと案内された。