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 ここ最近お世話になっている家にいつものように戻ってくると、そこにいつもと違うものを見つけた。
 いや、いつもあったものがなくなっていた。
「今朝出たときはありましたよね?」
 後ろにいる美少年に尋ねると彼は短く「ああ」と答えた。
 初めてこの家を訪ねたときから、木製のドアには魔除けのリースが取り付けられていた。それが今はリースを引っ掛けていた小さな突起があるだけだ。
 下を見るが落ちてはいない。
 少しだけ不思議に思いながら扉を開けた。
 家に入る前に声をかけると子供たちがどやどやと押し寄せた。
「法師様、お帰りなさい」
「バロックもお帰りなさ〜い」
 にこやかにやってくる子供たちに「ただいま」といいながらふと首をかしげる。
「お母さんは?」
 いつもなら彼らの母であるマリーベルも顔を出す。顔を出せなくても声が必ず聞こえてくるものだが、この日は声すらもかからなかった。
「お客さんがきてね、どこか行っちゃった」
「お父さんも?」
「ん〜ん。お父さんはまだ帰ってないよ」
 一番年上の男の子が答えてくれる。他の小さな子たちはバロックを引きずって談話室へと向かっていた。
「お留守番ですか。偉いですね」
 名前は確かケリーと言ったか。一番面倒見のいい少年の頭をなで、褒めると少しはにかんだように笑って談話室へと向かった。
「マリーベルが家を空けるなんて珍しいわね」
 治安のあまりよい所ではない。そのため滅多に子供たちだけにはしないマリーベルが、夕方に家にいないのはかなり珍しかった。
笑顔の理由
 アリシアも談話室へ向かうと、バロックがげんなりとしながらも子供たちと戯れている。
 嫌だと思っているなら逃げればいいのに、彼はなぜかそれをしない。
 それを見ているとなぜか微笑ましく、ついアリシアの顔に笑顔が浮かぶ。
「ああ、そうだ。ケリー、玄関扉のリースはどうしたの?」
「ぼく知らないよ」
「そう」
 少しだけ部屋を探してみるがそれらしいものは見当たらず、台所も見てみるがそこにもない。
 まさか夫婦の寝室を覗くわけにもいかず、アリシアは子供たちから紙と鉛筆をもらうと護符を書き始めた。
 子供たち数人がわやわやとアリシアを取り囲み、その作業を見ていた。
「これなに?」
「きれ〜い」
「法師さまじょうずだね」
 口々に感想がもれアリシアは子供たちにお礼を言う。
「さて、やはり玄関ですかね」
 子供たち数人を引き連れ、アリシアは玄関にやってくるとその紙を扉に押し当てた。
「我、汝に請うは、魔を祓いし光りなり」
 窓のない玄関は暗いのだが、ドアにつけたアリシアの手の平が光り出す。
 それを見て子供たちは「わ〜」っと目を見開く。
「我、汝の加護を欲する者なり」
 ふわりと光がアリシアの頭の上に塊となって現れる。
「我ら迷い子に、聖なる輪と、光の導(しるべ)を与えん」
 言葉の終わりと同時に頭上にあった光が部屋、屋敷中を満たして消えた。
 子供たちは目の当たりにした奇跡にもう大騒ぎだ。その場ではしゃぐ子、談話室にいた子供たちに自慢する子。アリシアに尊敬の眼差しを送る子など、反応は様々だ。
「ん。とりあえずこれでいいかな。お世話になったし」
 法師であるアリシアは、路銀を稼ぐのにこういった"奇跡"と呼ばれるものを与えている。家に災いが降りかからないように、家族が円満に暮らせるように。
 談話室に戻るとバロックがものすごい形相でアリシアを睨みつけた。
「ああ、忘れていました。すみません。でも大丈夫でしょう?」
 元悪魔である美少年に、法師が行使する聖なる力はあまり気分のよいものではなかったようだ。
 少しだけ悪かったなとアリシアはバロックの頭を撫でる。
「…次は一言欲しい」
「はい。そうしますね」
 これ以上はない美少年が、不機嫌そうに見上げてくる姿はなぜかとっても可愛らしく、アリシアはにっこり微笑んでもう一度謝った。
「すみません」
 
 
 日が傾きランプが必要になってくる頃、ようやくこの家のお母さん、マリーベルが帰ってきた。
「法師様。ごめんなさい」
 どこか憔悴したマリーベルにアリシアは驚きつつも首を振った。
「いいえ。私は平気ですが…何かありましたか? こんなこと今までなかったようですから、子供たちも心配していましたよ」
 その言葉通り、子供たちはマリーベルが帰ってくると同時にわーっと寄ってきて口々にどこに行っていたのと尋ねてきた。
「ごめんね。早く帰ってくるつもりだったんだけど、お母さんのお友達が倒れてしまってお見舞いに行っていたの。お腹すいたわね。ご飯は食べた?」
 マリーベルの説明に納得したのか、ただ単に帰ってきたことに満足したのか、にっこり微笑むマリーベルにしばらく纏わりつくと各々散らばっていった。
 アリシアもそんな光景を見ていたが、台所に向かうマリーベルについて食事の用意を手伝った。
「あら、法師様。やってくださったんですね。ありがとうございます」
「ええ、少しだけ。ミリーちゃんが手伝ってくれたので助かりました」
 孤児を預かるこの家には十二人の子供がいる。その中で唯一の女の子であるのがミリィだ。
 今もテーブルを覗き込もうと爪先立ちしてようやく頭だけ出している。
「ありがとうミリー。もう立派なお姉さんね」
 そういって頭を撫でると恥ずかしそうにしながらも、にーっこり微笑んだ。
 スープやら炒め物などを手伝いながらふとアリシアは尋ねた。
「そういえば、魔除けのリースがなくなっていましたけど、どうしたんですか?」
 必要なくなって捨てたのかとも思ったが、隣にいるマリーベルが少しだけ動揺したように見えた。
「ああ、えっと。いつの間にかなくなっていたみたいで、また神父様に頼もうかと思っています」
「そうですか。実はお礼にと思って夕方に護符を張らせてもらいました。有効期限のあるものですけど」
 それを聞いてマリーベルは瞳を輝かせた。
「まあ! それはありがとうございます。ハッシュはあまり話してくれませんが、法師様は聖都の神父様より頼りになるそうですね」
 ふふふと笑いながらの台詞にアリシアも曖昧に笑った。
「その法師様が張ってくださったのなら安心です」
 にっこり微笑んで言うマリーベルに、アリシアは張った護符の説明を始めた。
 その話を子供たちが聞いていたらしく、口々にあの時の光景を説明して、自分たちの感想をそれぞれ述べていた。
 そんな楽しい夕飯作りに玄関から声がかかる。
「あ!! お父さんだ!」
「おかえりなさ〜い」
「おう。ただいま」
 この家の主人の声がするとマリーベルも台所から声をかける。
 足に腕に子供を鈴なりにつけた主人であるハッシュが顔を出す。
 これがこの家の日常の風景だった。
 それを見ながらアリシアは何かを思い出すように微笑んでいた。
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