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 先に部屋に着いたエディウスは窓の外を見ていたが、思い浮かぶのは先ほどの光景で窓の外など見ていないに等しい。
 しばらくすると入室を求める声がして入るように応じる。
 入ってきた人物に目をやることもなく、音だけを耳で追う。
「お茶の用意ができました」
 聞こえた声に振り返ると、にこやかに微笑む顔がある。先ほど盛大に泣いていたとは思えないくらいすっきりしている顔をちらりと見て、席に着いてお茶が出てくるのを待つと、心中でため息を落とす。
 侍従部屋の扉が開いたときは正直まずいと思った。入ってくる者など決まっている場所だったからだ。
 しかし、入ってきた者は扉の前から動かない。動く気配すらないことに不思議に思って行ってみれば扉の前に蹲って泣いていた。
 あまりのことに驚いて声をかけると向こうも驚いたように顔を上げた。
 涙はそう簡単に止まるものではない。こちらを見上げてきてはいても、後から後から溢れ出し、薄緑色の瞳の焦点が合っていない。涙に濡れた顔はぽっかりと思考の空白を表していた。あれはここがどこだとか、自分が誰なのか、何が起きたのか、それらの情報処理を放棄した顔だ。
 しかしそれも束の間だった。
 手元にくるお茶に視線を落とし、そこに映る顔を観察する。
 完全にふっきれた顔をしてはいる。先ほども見たが、泣いたことなどまるでなかったかのように平然と対応していた。名残のある目元を見なければこちらもそんな事があったと忘れそうになるくらい、いつもの平静さを取り戻している。
 しかし、あの泣き方は尋常ではないと思う。
 ゆっくりと茶器を持ち上げて、さてどうするかと思いを巡らせていると突然扉が開いた。
 それはかなりの勢いで開いた。ミアもその音に驚いたのだろう、びくりと体を震わせそちらに向く。立っていたのはハロルドだ。
「ミア!」
 一言だけ言うとあっという間に別の部屋へとミアを連れ去ってしまった。当のミアも事態を飲み込めない様子だ。その証拠にポットを持ったまま行ってしまった。
 あまりのことに呆気に取られて見ていたが、あの様子だと何か知っている。
 この場から連れ去ったという事は聞かれたくない話があるということだろう。
 溜めていた息を吐き出す。
 ミアが付いて三ヶ月以上になるが、ほとんど会話らしい会話をしていない。聞いていたメディアーグ家没落の話は調べればすぐに出てきた。
 メディアーグ夫人はミアが五歳の時病で亡くなっている。
 ハロルドの婚約者だったという姉も事故で亡くなり、父親はその事がきっかけで心を病み自殺。その後メディアーグ家を継ぐ者がいないこともあり地位、領地を返上。何も無くなったミアは一人世間の荒波に放り出された。
 没落した貴族。特に跡継ぎのいない女性の辿る運命は大体決まっている。なんの利益にもならない貴族の娘に手を差し伸べる男はいない。必然的にミアは城へ働きにきた。人徳はあったようで後宮侍女へと納まり、王女付きの侍女へと抜擢され、それがローズアンナだった。
 しかし、メディアーグほどの家が没落した本当の理由は禁句に近いようだ。
 調べはしたが、公に発表されている事実はかなり違和感がある。
 そもそも"ニィ"という地位の家がそれほど簡単に没落するはずがない。しかも、姉の死から没落までの期間はわずか半年だ。あまりにも早すぎる。いや、"迅速"にと評したほうがいい。
 ミアが言っていた「メディアーグという家には大きな存在」という姉のことをもう少し調べる必要があるのかもしれない。彼女の死は本当に事故なのか。
 あの当時、確かに人のことにかまけている場合ではなかったが、それでも名家同士の結婚話である。皇太子であるエディウスが知らないはずが無い。しかし実際にミアに会うまで知らなかった。
 何かあることは間違いない。
 しかし、それは聞いてよいものなのか。
 ハロルドのあの様子では相当深い。あのハロルドでさえ、まだ引きずっている様子なのに、当事者であるミアはどれほどのものか。
 空になった茶器を置き、二人が消えた部屋の扉を見やる。
 忠告もされている。自分が関わる話ではないと思ってもいる。
 しかし、あんな風に泣いていいわけがない。
 誰にも知られないように声を押し殺し、見つからないように体を小さくして。見つかればまるで何事もなかったように笑ってみせる。
 一人、そういう人間を知っている。あの時はあまりにも無力で結局救えなかった。気がついたときにはすでに遅く、どうすることもできない状態になっている。
「難しいな」
 自分の抱える問題はなんと小さなことか。
 大きく息を吸い込んだところで、二人が部屋から出てきた。扉へ消えてから時間はそれほど経ってはいない。ハロルドは入ってきた時と違い落ち着いていた。
「目の前で逢引するのはどうかと思うぞ」
 出てきた二人に声をかけると、ハロルドはぽかんとしたがミアはくすりと笑った。
「そういえば、いたんだったな。アハナンの使者には会わなかったのか?」
 ミアはエディウスの空になっていた茶器にお茶を注ぎ、予備にあったもう一脚にも注ぎハロルドの前に出す。
「国王命令だ。お前こそ何をしてる」
 目の前に座ったハロルドに聞くと、ミアに視線をやってから爽やかに笑った。
「もちろん。逢引に決まってるだろう。なあ?」
 同意を求められたミアは困ったように微笑んで答える。
「それにしては、あまりに堂々としすぎではないですか?」
「では次はもう少しこっそりとやろう」
 二人のやりとりに、どうやらこれ以上まともな話をするつもりはないらしいと察する。
 ハロルドに視線をやると、ミアとの話しのやり取りの間に真剣な眼差しを寄こす。それに視線だけで頷くとすぐにハロルドが動いた。
「俺の用は終わったからこれで退散する。もしかしたら、今アハナンの使者に会っているのはクラウドか?」
「ああ」
 情報は行っていないようだが、そこは推測できる範囲だろう。
「どう紹介したかな」
「さあな。それは後で報告が来る」
「わかった。報告にくる」
 立ち上がるとすぐに扉に向かう。その後をミアが追いかけ扉の前で静止する。
「大丈夫なんだな?」
「はい。大丈夫です」
「無理するなよ。大体がミア一人では手が足りないだろう。女官長も気にしてたから、明日は多分誰か応援に寄こすはずだ」
「わかりました」
 誰が聞いても無難な会話で終わったが、本当に聞きたい事は大丈夫なのかということだろう。何に対してなのか。そこは想像するしかないが、見た目には確かに大丈夫そうに見える。
 扉を閉め、ミアがこちらを振り向くまでに少しの間を挟んだ。
 いつもと変わらず静かに歩く姿をしばらく眺めていると、近くまで来たミアは苦笑を浮かべた。
「お尋ねになりたいことがおありですか?」
「いいや。特に無い」
 こちらの言葉にミアは目を見開いて、言葉を詰まらせたが、それもやはり束の間。
「そうですか」
 いつもと同じように綺麗に笑うと手を軽く前で組んだ。
「本当に懐かしい人に会ったのです。ハロルド様も知っている方で、その事を伝えにわざわざ来てくださったようです」
「そうか」
 それは嘘ではないのだろう。
 しかし、全部を話してはいない。
 懐かしい人物に会い泣いていたにしては、感動してということではなさそうだった。むしろ負の要素の強い慟哭のように見えた。
 俺はどうやらそこまで許されているわけではないようだ。もっとも、人のことは言えないのだが。
「ミアは結婚しないのか?」
「結婚、ですか?」
 唐突な質問に目を瞬かせたが、少しだけ首をかしげ微笑んだ。
「そうですね。良い人がいれば」
「ハロルドは?」
 その提案にミアはぽかんとした様子で、少しだけ口を開ける。
 どうやらかなり想定外の質問だったようだ。
 その事実になにやら笑いがこみ上げる。
「ハロルドは対象外か」
「え。いえ、あの。姉の婚約者だった方ですので」
 考えたこともないと言いたいのか。複雑そうに微笑んだ。
「ハロルド様も、私のことは元婚約者の妹くらいにしか思っておりません」
「あれほど心配されてもか?」
 微笑んでいた顔がそのままの表情で固まった。その中で唯一動いているのは瞳だけ。
 正確には動いてはいないが、視線を逸らすのをぎりぎりの所で堪えている。その様子をじっと見つめ続けるとやがて微苦笑に変わり、視線をそらす。
「どこまでお調べになったのですか?」
「世間一般で言われていることくらいだ」
「そうですか」
 目を伏せ、何かを堪えるようにぎゅっと手を握る。
 椅子を少し引いて、斜め前にいるミアへ向く。テーブルにまっすぐ向かっているミアの袖を引き、こちらを向くよう促す。
 素直に従うミアを下から覗き込むと、その表情は固く、何かを押し殺していた。
「俺には知る権利があると思う」
「はい」
「そして、ミアには、俺がどこまで知ったのかを知る権利がある。聞かれれば答えるが…」
 視線を合わせなかったミアがそれには目を瞬かせ、ゆっくり視線を合わせてくる。
「知らなくていいことなら調べない。俺にはそこまでする権利はないからな」
 言葉を理解するのに少し間があり、それから弱く微笑する。
「エディウス様は皇太子殿下なのですよ? 身の回りの危険分子は排除すべきです。その人が何を考え、今どう行動しているのかを知るのは勤めです」
 ミアの言うことは正しい。少しでも疑いがあれば徹底的に調べなければ、皇太子付きなど任せられない。
「皇太子はクラウドが継ぐ」
「え」
 突然の言葉に驚きはしたようだが、反応としては薄い。
「噂も沈静化してきたようだし、クラウドも仕事に慣れてきた。せめて今回の件が片付くまでは側にいてくれないか」
 頭のいい人物だ。ここまで言えば伝えたいことはわかるだろう。
 少し困った顔をして考えていたが、しっかりと視線を合わせて答えた。
「わかりました。この問題が解決するまではお側にいると約束いたします」
「そうか」
 視線をはずし茶器を手にすると、隣で小さく息を落とす音がした。
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