「ここです」
その先にあるのは扉を開け放してある部屋だった。
男性は中を見ると声をかけ、頭を下げた。
「失礼します。お連れしました。さあ、こちらにどうぞ」
手を開け放たれた部屋の中に向け、笑顔でサティーナを促した。
サティーナは一度その場で深呼吸をしてから一歩を踏み出した。
部屋の前に立ち中を見ると、丸いテーブルがあり、座るような椅子はない。そんな簡素な部屋に男性が二人立っていた。
一人は茶色よりも白いものが多い髪の男性。もう一人は明るい茶色の髪の男性だ。どちらも身なりは大変よかった。
白髪混じりの男性がサティーナを見て目尻を下げて優しく声をかける。
「サティーナだね。よく来た。さあ、こっちへおいで」
少しだけ緊張しているサティーナをハーディスの父が促し、ようやく部屋の中に入った。
「どこか怪我はないかね? ここまでつらかっただろう」
優しく、すまなそうにしたその声だけで、この人物がどういう人なのかサティーナは一瞬でわかった。
「私は大丈夫です。……おじい様」
サティーナの言葉にさらに目尻を下げる。そして側近くまでくると手をとった。
「つらい役目をさせてしまった。だがそれももう終わる。心配はせんでいい」
そういうと後ろにいる男性に目配せをした。
「彼が次期卿としてわしが指名した者だ。彼にラジェンヌから託されたものを渡してもらえないだろうか? もちろんサティーナが気に入らなければ渡さんでもいいがな」
「卿…」
茶目っ気たっぷりにそういうとサティーナの後ろにいた金髪の男性が咎め、ジュメル卿の隣にいた男性も苦虫を噛み潰したような顔でため息をついた。
「おじい様が選んだ人でしたら皆さんも文句は言いませんし、私も賛成です」
サティーナは握り締めていたピアスを確認し、ジュメル卿の斜め後ろに立つ男性の前に進み出た。
「受け取ってもらわないと困りますけど、一つだけ。あなたは納得しているのですか?」
その質問に男性は意外そうに目を見開いたが、ジュメル卿を見てから答えた。
「納得というよりは仕方がないといった感じだな。俺が受け取らないとまた騒動が始まる。こんなくだらないことで人が死ぬよりは、俺が犠牲になるほうがましだ」
なにやら意味深な言葉だがサティーナはにっこり微笑むと、男性にピアスを渡した。
「これで現ジュメル卿はお前さんになったわけだな。では、ウィル」
そういうとジュメル卿。いや、今ではただのサティーナの祖父である男性は、後ろに控えた金髪の男性に頷いてみせた。
それを受けて男性は一つの扉を開けた。
その扉から現れたのは明るい栗色の髪をした女性である。
「サティーナ。よく無事で!……ごめんなさいね」
呼ぶ声は優しく柔らかく、その後に続いたのは謝罪だった。
「……お母様!!!」
突然現れたその存在に、今はなにも疑問を持つこともなく。
サティーナは現れた母の元へと走り、無事なことを確かめるように腕の中に飛びこんだ。
幼い子供のように泣き出す娘と、謝罪を繰り返し抱きしめる母の様子に、その場にいた者は一様に微笑んで頷きあった。
翌朝。
ジュメル卿の裁判が執り行われるこの日。朝早いにも関わらず貴族や役職についている者などがこの裁判を見物に集まっていた。
「このたびの騒ぎはジュメル卿の息子、ジュメル・フロストが起こした狂言であることが本人の証言で明らかになった。よって前任のジュメル卿は不問とすることになった」
その言葉に集まった人々は一斉にどよめいた。
大臣がわざと大きな咳払いをして静粛を促し言葉を続ける。
「尚、ジュメル・フロストの処遇については、すでに自ら牢に入り謹慎についておる。よってこれ以上………」
大臣の話はまだ続いていたが、貴族たちの話はすでに違うものへ切り替わっていた。
「前任ということは卿の位は引き継がれたってことか? アレはどうなったんだ?」
「ああ。至宝ならジュメル卿の孫だと名乗る娘が、母親の遺言だと言って持ってきたらしい」
「ではラジェンヌ殿は亡くなっておられるのか」
「亡くなったのは三ヶ月も前と聞いた」
公式に発表はされなかったが、ジュメル卿の愛娘ラジェンヌは死んでいるというのが彼らの間にすでに広まっていた。
「まったく、誰が流した話だろうな?」
周りでこそこそと話す貴族の話に耳を傾けていたハーディス・ウェインが面白そうに、隣にいる黒髪に赤目の少女に話しかけた。
「これでポンシェルノの暮らしは守られるわ」
少女はそう言うとハーディスに向かって笑顔を見せた。
「まぁ、サナがいいならそれでいいけどな」
「…現任のジュメル卿はレストア・アシルバである。以上だ」
ざわめき冷めやらぬ中ジュメル卿の裁判は終了し、サティーナの旅もここで終わりを迎えた。
「これで本当の終わりね〜。長かったわぁ」
一応正装してこの裁判の行方を聞いていたいサティーナは、胸に手をあて安堵のため息を洩らしていた。
「ところで、サティーナはどうして一緒に帰らなかったんだ?」
怪我をしたのは昨夜で、しかもあれだけの出血だったにも関わらず、平然と現れたハーディスにサティーナは少しだけ呆れた目を向けた。
「あのね。私のせいであれだけ盛大に血を流した人がいるのに、お礼も言わないで帰るわけにいかないでしょう?」
腰に手を当て、少し怒っているサティーナに、ハーディスはにっと笑って片目を瞑ってみせた。
「なんだ。俺が恋しくて帰るに帰れなかったのかと思ってたのに。違ったのか?」
「ハーディスさん。せっかく正装して貴族に見えるのに台無し」
貴族にしてはあまりに遊び人な表情に、サティーナはため息をこぼした。
「貴族に見えるんじゃなくて、元々貴族なんだって……」
「?」
言葉の最後がやけに真剣な響きを持って途切れたため、サティーナは何かとハーディスの視線を追った。
「あ…」
国王立会いの裁判だったためここは謁見の間である。部屋は十分広く、窓も光を取り入れるためにとても大きかった。
その窓を背に、濃い紫色の髪をした青年が立っていた。
昨夜、命を取りにきた魔種に警戒が強くなるのは当然といえた。
が、その魔種の隣にいる人物に二人は顔を見合わせた。
「サナ。おいで」
「おじい様…」
にこやかに微笑むその人は、先ほど裁判にかけられていた張本人である。
警戒しつつもサティーナはハーディスを伴って祖父のもとへと近づくと、先に魔種が口を開いた。
「我が主より伝言を預かってきた」
つまり、フロストからである。
サティーナは彼の契約魔である青年を見て、昨夜の印象とずいぶん違っていることに気がついた。
どこと言われるとはっきりとは言えないが、纏う雰囲気がずいぶんと柔らかいものになったというか、表情もどこか穏やかなのである。
「伝言?」
ハーディスが問うと青年はわずかに頷いた。
「私のつまらぬ思いに巻き込み、申し訳なかった。もうお前たち親子に危害は加えない。この先、ジュメルを主に一生を償う。と、そう伝えてくれと言うことだ」
「ようやく悪夢が終わったか」
ハーディスの安堵の呟きに青年は頷くとサティーナを見つめた。
「一つ聞いてもよいか?」
「は、はい」
「あの時、あなたは至宝を本気で壊すつもりだったのか?」
結局は壊れなかったのだが、サティーナの行動を考えるとそういう意思があったことは間違いない。
「私は全てを知っているわけではありません。でも、あれが全ての原因だと思ったんです。あんなものがあるから、フロストさんは事実を受け入れられなかったんだと思うの」
あの小さなピアスにどれだけの力があるかなどサティーナにはわからないし、壊して全てが片付くものでないことはわかっていた。
「不確かなものを頼る前に、自分のするべきことをきちんと見定めろ。灼石である父が兄にいつも言ってるわ。私にもいつも迷うなと言うの。まっすぐ、事実を受け止めどうするかを考えろって。……その事実がどれほど辛いものだとしても」
フロストにはそれができなかった。
「だから、それに気づいてくれてよかったです」
にっこり微笑むサティーナの表情に、知らず青年は微笑んでいた。
「真実を見つめる強さは、やはりハルミスなのだな」
その言葉にサティーナは最高の笑顔で答えた。
「ええ。私はハルミスよ。力がなくても、それは揺るがない事実で、真実なのよ」
ハルミスの瞳 終了