男女の友情は成り立つか?
私、東野由加里は「成り立つ」と、一応答えておこう。
親友に呼び出されたのはもう夜中。時計の針は二つとも一番上を指していた。
こういう場合の待ち合わせ場所として、家から徒歩約十五分、二十四時間営業のファミレスは存在する。
そのファミレスは道路に面して大きなガラス張りで、店の中を見渡せる造りになっている。店に入るとガラスに向かってカウンターが設置されており、そこが私たちのいつもの指定席だ。
今日も例によりそこに親友の姿を見つけた。
黒のボトムに青と黄色のTシャツを重ね着している。いつもは大体携帯をいじっているのだが、今日はぼーっと備え付けのスティックシュガーを指でくるくると回していた。
その仕草は考え事をしているときの癖だ。ガラス越しに目の前を通ったのにも気がつかなかったようだ。
「新。どした?」
店に入り声をかけるとようやく彼がこっちを向いた。
「わり。ちょっとな」
口の端をちょっと上げただけでそのあとの言葉はない。
彼、柳新は小学校からの親友だ。
小学二年のときに私は彼のいる学校へ転校したのだ。当然友達はなく、休み時間には質問攻めにあうだけで、親しくしようとしてくれる子はいなかった。
その大きな原因として、私が都会からきたということがあったらしい。後に彼が「着てるものがお嬢様だったんだよな。田舎者の俺らにしてみりゃさ」と言っていた。
一週間が過ぎても周りの様子は相変わらずで、授業中はともかく、休み時間はどうしていいのかまったくわからなかった。
そんな中、彼が話しかけてきたのだ。たった一言。
「あそぼ」
私の机の横に立って縄跳びを見せながらの誘いだった。嬉しいのと戸惑いと恥ずかしいとでいっぱいの私は二つ返事で彼の誘いにのった。
これがきっかけでクラスの中にようやく溶け込めた。
クラスの子の話によると、実は彼も一年生の途中から転校してきたということだった。あのときの私の気持ちを一番理解できたのだろう。
それを聞いてさらに親近感が沸き、何かというと彼に話をもちかけた。それこそ良いことも悪いことも。
肝試しと称して近くの農家から果物を盗んだり、親に隠れてタバコを吸ったりと、悪行のほうが多いと思う…。
高校は違うところへ行ったのだが、俗に言う悪友というものはなかなか切れない縁であるようで、高校を卒業した今でも連絡を取っている。特に相談があるときは真っ先に連絡をつける人物だ。
会えば必ず返ってくる軽口もこの日はない。
私は黙ったまま、いつものように彼の左側に座り、注文を取りにきたウェイトレスにコーヒーを頼む。
いつもならすでに話を始めているところだが、今日はコーヒーがくる間も、きてからも、お互い口をきかなかった。
他でもない、彼の纏う重く淀んだ空気が話をする雰囲気ではないのだ。
この重苦しい空気と、こんな夜中に呼び出しがあったことに、何かあったことは間違いない。ちらりと彼の横顔を見るが特に変化はなかった。
視界の隅で回るスティックシュガーが気になり、その手元に視線を落とすと、ふとその左腕に変化を見つけた。
そこにはくっきりと、白く腕時計の形をした日焼けの跡がある。
そのことで長年の親友に何があったのかを察することができた。
お互いガラスに向かって座っている状態だが、夜のガラスは鏡になる。その鏡越しに親友を見るとばっちり視線がぶつかった。
その目を見てどうやら私から聞くべきなのだとそう思った。
鏡越しとはいえ直視したまま聞くのは避け、視線をコーヒーカップに落とした。
「別れたの」
できるだけ感情を乗せないように努力した。
「うん。振られた」
「そっか…」
返ってきた簡潔な答えにそれ以上何も言えなかった。
お互い彼氏、彼女ができたとき真っ先に報告した。私は初めてできた彼氏とはとっくの昔に別れたが、彼は初めてできた彼女一筋だ。
あの腕時計はその彼女からの誕生日プレゼントだと、これ以上はないくらいのキラキラした笑顔で話してくれた。
二年前の話である。
「いいだろ〜。うらやましいだろう〜」
暑い夏、冷房で快適なファミレスで腕時計を見せてくれた彼は、本当に嬉しそうだった。
「顔がデレッデレだよ。まったく、この前まで死にそうな顔してたくせに」
相好が崩れるとはまさにこんな感じ。呆れて笑いがこぼれてしまう。
ちょっと前に彼女の態度が冷たい気がすると嘆いていたことがあった。それはどうやら彼女が彼のために、つまりその腕時計を買うために、内緒でバイトを始めたことが原因だったらしい。
「そういえば、新。アクセサリーは嫌いでしょ? 腕時計も面倒とか言ってなかったっけ? ん? あれはどこへ行ったのカナ?」
悪戯半分で尋ねると彼はとぼけた顔で言ったものだ。
「誰がそんなこと言った? 由加里、お前。うらやましいからって言い掛かりはよせよ」
「殴るよ」
「ははは」
私の冷やかしもその時の彼にはまったく通じず、とにかく幸せそうだった。
あれから二年、彼の腕には定位置と言わんばかりにその腕時計があった。
そう彼は彼女が大好きだった。いや、好きなのだ。まだ。
振られたということは、彼女の気持ちの変化であって、彼の変化ではない。
何を話すでもなくただ時間だけが過ぎていく中、彼は相変わらずぼーっとしながらスティックシュガーをくるくる回している。
その姿になぜか腹が立ち、気分がいらだつ。
彼の手元でくるくる回るスティックシュガーのせいかも知れない。
冷めかけたコーヒーに口をつけ、ガラスに映る自分を見た。自分で言うのもなんだがひどい格好だ。ジャージのズボンに、なぜか「NO smoking」と書いてある色あせた緑色のTシャツ。お風呂上りだったため顔はスッピンだし、髪も整えていないため、キャスケットで隠しただけだ。
気兼ねない"親友"だからこその姿だ。そのことにため息がでそうになる。
本当は電話から聞こえてきた絶望的な彼の声で、何があったのか、何となく想像は付いていた。その声音に胸がざわつき、家を出る前に着替えようか迷った。
しかし、彼が電話した私は"親友"なのだ。それ以上でもそれ以下でもなく…。
「…一度できた関係を自分から壊すのって勇気いるよね」
何となく出た言葉は私自身に向けた言葉だった。
私と彼の間には分厚く、透き通った"親友"という壁がある。それは超えるにはあまりにも高いが、突き破るにはあまりにも脆かった。でも、私にそれを突き破るほどの度胸も勇気もないのだ。
思わず自嘲がもれ、彼にバレないように頬杖をついて口元を隠した。
「なんか実感こもってるな」
沈黙を破った私の言葉に、彼はスティックシュガーを元の場所へと戻した。
「ま〜ね。私はそれほど強くないってことかな。ずるずる引きずって後悔するくらいなら、たった一言くらい言ってしまえばいいのにね。新の彼女みたいにさ」
残っていたコーヒーを飲み干す。それはすでに冷め切っていて苦さが増したように感じた。
「新はもちろん。彼女もつらかったと思うよ? ほら、傷つかない恋はないっていうじゃん。恋は傷つくことを前提にするもんなんだってよ」
「へーへー。さいですか。よし、じゃ、まず髪を切らないとな」
前髪をつまんで、ようやく返ってきたいつもの軽口にほっとしつつ、どこか痛い胸に気づかないふりをした。
私には今の関係を壊してまで傷つく勇気はない。
傷つく勇気がない以上、恋をする資格はないと思う。
男女の友情は成り立つか?
私、東野由加里は「成り立つ」と、一応答えておこう。