天気がいいとオープンカフェも数席設けられて、一瞬だけここはどの国だろうと思うような通りになる。誰がつけたか通称「異国通り」。捻りのないネーミングセンスだと木崎さんが苦笑しながら教えてくれた。
今日は天気もよく、お昼であることもありオープンカフェでの昼食となった。
まあ、木崎さんが先にきてて、オープンカフェに座ってただけだけど。
食事も終わり、珈琲を飲みつつ他愛のない話をしていると、ふと木崎さんが首をかしげて尋ねてきた。
「元気ないね」
「…そうですか?」
「うん」
思いのほか真剣に頷かれて視線を落とした。少し厚め作りのカップに入った珈琲に晴れ渡った空が写りこんでいる。
白いカップに切り取られた小さな空は暗く淀んだ鈍い色。
今の私の心境もこんな感じだなと思って少し笑った。
「元気ですよ。ただ、あまり晴れてないだけです」
今日のような天気は苦手だ。
青い空に白い雲が浮かんで、小鳥が平和にさえずっている。
きっとこんな日に、ちょっとおしゃれなオープンカフェでの昼食を、こんなステキな男性と過ごしている女性なら、もっとキラキラした瞳でお話するんだろう。
でも、今の私はそんな気分ではない。
「それで迷ってたんだ」
「え?」
「気分が乗らなかったんならそう言ってくれてもよかったのに」
にっこり微笑む木崎さんは大人だ。おそらく私がそう言えば残念だといいつつも受け入れてくれただろう。でも、私は会いに来た。この黒い感情を引きずったまま。
ふと、何故だろうと思う。
いつもはこんな時、例え香苗さんでも会いたくはない。相当無理強いされない限りは拒否の姿勢を崩さないのに、木崎さんにはあっさりと崩された。「会いたい」たったその一言で。
「雪乃さん?」
ぼんやりと見ていた木崎さんが心配そうな顔で名前を呼んで、ようやくここがオープンカフェだと思い出す。
「本当に、どうしたの?」
「どう、したんでしょうね。いや、木崎さんのせいですけど」
それだけは間違いない。木崎さんが全ての原因だ。
私の言葉にきょとんとした表情が徐々に固くなっていく。
「本当はイヤだった?」
電話口でも聞かれた台詞に思わず笑ってしまう。
「木崎さんがそう判断したんでしたら、そうですね。きっと」
難しい顔をする木崎さんを見て、また笑いがこみ上げてくる。
木崎さんのせい。そう、木崎さんが悪い。
一人取り残されたこんな日に電話してきて、声が聞けてそれだけでも嬉しかったのに、会いたいなんて言うんだもん。私よりも一人でいたくないって声で。
息を大きく吐き出して感情を逃がす。
だめだ。本当に。
「俺じゃだめ?」
私の心の声が聞こえたように、耳触りのいい声が尋ねてくる。
いつも電話から聞こえるよりも遠い距離なのに、妙にはっきりと聞こえる。
「俺じゃ足りない?」
小さなテーブルを挟んでふわりと微笑んで紡ぐ声が優しくて、真直ぐ見返す瞳が全てを受け入れてくれていて、だからこそどうしていいのかわからない。
「ん?」
「………」
「出ようか」
一つ困った息を落としてから突然立ち上がって店を出た。それに慌ててついて行く。
さすがの木崎さんも、何も答えない私をもてあましたのだろうか。
それは十分考えられる。
「何してるんだろう」
こんな晴れた日に。
こんな暗い気分を抱えて。
会いたい人に会ったのに…。
「あれ? 雪乃さん?」
声をかけられ視線を上げれば、木崎さんはけっこう離れた場所にいた。どうやら足を止めてしまっていたらしい。
「雪乃さん、本当に大丈夫?」
少し駆け足でやってくる木崎さんが心配そうに声をかける。
「足りないです」
あと一歩の距離で木崎さんが止まった。
「え?」
無表情に私を見返す。この人でも無表情になるんだと頭のどこかで考えながら、口が勝手に言葉を吐き出す。
「足りないんです」
声だけじゃ足りない。
会うだけじゃ足りない。
でも、言ってもいいのだろうか? その手で抱きしめてほしいなんて…。
かなり長い間立ち往生していたと思う。
ふいに木崎さんが動いて、するりと私の背中に手を回した。
「じゃあ、何が足りないか言って?」
耳元で聞こえる笑いを含んだ低い声に眩暈を感じて目を閉じた。
「雪乃さんは何を望む? 何が欲しい? 言ってもらわないとわからないよ」
「…言ってもいいの?」
望んでもいいの? 欲しがってもいいの?
「うーん。もう関わらないでとかじゃなければね。ちなみに俺は「明」って呼んで欲しいんだけど」
小さな望み。ささやかな願い。
そのくらいならいい? 少しなら言ってもいい?
「…明……もう少しだけこうしてて…」
少しでいいから。それ以上望まないから。
こんな晴れた日は……まだ少し、怖いから。
「雪乃が望むならいくらでも」
そう言って、優しく強く抱きしめてくれる。
私が言って欲しい言葉を伝えてくれる声を、私が望む以上のものを与えてくれるこの手を、本当は振り払うべきなのかもしれない。初めから一人でいれば一人にされることはないから。
でも、振り払うどころか、望んでしまうのは彼だからだろうか。
「本当に、だめ」
「え? ダメ?」
少しだけ緩くなる抱擁に、今度は私から抱きつくと、少しだけ動きを止めてからもう一度抱きしめてくれる。
「俺はもしかして、もう少し自惚れてもいいのかな」
「ダメです」
嬉しそうな声に即答する。
「ダメなの?」
「これ以上、木崎さんが自惚れたら大変なことになりそう」
「あ。木崎さんに戻ってるし」
少し悲しそうな声に思わず笑って見上げると、そこに木崎さんの笑顔と青い青い空があった。
END