novel top
会いたいなんて言えないよ
1ヵ月後の結末
 二日と開けずそれはやってくる。
 いつもと同じく電子音が鳴り響き、その音に一瞬だけびくりと肩を揺らせ、単調音を繰り返すそれを見やる。
「はぁ」
 一度だけため息。
 小さなその端末を取り上げて、丁重に開いてディスプレイを確認する。
 表示されているのは番号のみ。登録することもまだしていないから当然だ。
 しばらく番号を睨んでから通話のボタンを押す。
 そして耳に押し当てれば、いつものようにいつもの声があいさつを口にする。
「こんばんは。雪乃さん」
 低音で艶のある男性の声。
「何か用ですか?」
「用があるからかけてるんだけど?」
 初めて連絡があってからおよそ一ヶ月が経とうとしていた。
 このやりとりもすでに何度目かも数えるのも馬鹿らしい。それくらい頻繁にしているやりとりだ。
「済みましたね?」
「済んだって…雪乃さん、わかるの?」
 いつも一言で終わりになるよう仕向けるのに、何故かこの相手には通じないどころか、いつも会話が延長してしまう。
「はぁ〜」
 わざと聞こえるように大きなため息をついてみてもまったくの無駄。電話口ではいつものようにやけに耳障りのいい声が音を殺して笑う。
 一体この人は自分の何をそんなに気に入ったのだろう? いや、問えばきっと即答で答えてくれるだろうが、聞くのは怖い。それ以上に興味を持ったと思われるのも避けたい。
「それで。何用ですか?」
 できるだけ平坦に、冷静に対応する。
「雪乃さんは遠距離恋愛をどう思う?」
「………は?」
 まったくの予想外の言葉にしばし沈黙。
「遠距離恋愛。雪乃さんは平気? それとも寂しくて他に男作る?」
「二択なんですか?」
「それ以外ってなにかある?」
 そう言われ、少しだけ考える。
「経験ないのでわかりません」
 うん。結局それって経験しないことにはわからない。自分はそれほど寂しがり屋ではないと思っていても、実際そうなってみると違ったなんてことはよくある話だ。
「じゃあ、今までの恋は近いところが多かったんだ」
「そうですね………」
 ん? と首をかしげる。なぜこんなことを答えてるんだ?
「あの」
「はい」
「用は済みましたか?」
「え? 別に恋愛調査が目的じゃないんだけど」
 自分からこんな話題を持ちかけておいて、なんだその言い草は!
「あのですね。私もそんなに暇じゃないですけど」
「でもすぐ出たよね?」
「それはっ……」
 否定できないところをつかれ言葉が詰まる。
「待ってた?」
「待ってません!」
「そう? 残念」
 電話の向こうの相手は面白そうにくすくす笑う。人を馬鹿にしてるのかと怒鳴ってやりたくなるのだが、それはしない。それでも出てきそうな言葉に唇を噛んで蓋をする。いつも今日こそはと思うのに、どうしても感情を引き出されてしまう。
「俺は待ってるんだけどな」
「………」
「ねえ、雪乃さん。そろそろ会わない?」
 こちらの沈黙に、からかいのない穏やかな声に、少しだけ困った響きが含まれる。
「雪乃さん」
 名前を呼ばれるたびに心臓が一つずつ鼓動の数を増す。それを自覚したのはいつかも、もうわからない。このやりとりが始まって一ヶ月未満でしかないのに、電話が来るたびに何かが変わる。
「会いません」
 これ以上はまずい。どこかでずっと警鐘が鳴っているのに、この繋がりを私から断ち切れないほどの何かがすでにできている。それはひとえに電話の向こうにいる木崎と名乗ったこの人が作った。
「会ってどうするんですか」
 一度だけ会った事がある。しかし、それはまだ私が彼を知らない状態での話だ。この電話がくるようになってからはまだない。というより、ずっと断り続けている。そろそろ諦めてもいい頃だと思う。
「会っても何も変わりませんよ」
 何を期待しているのかわかりませんが。付け加えようとした言葉は彼の含み笑いに止められた。
「ねえ、雪乃さん。会いたくもない男相手にどうしてこんなやり取りしてるの?」
 その指摘に思わず息を止めた。
「番号も教えてるんだから拒否してしまえばいいと思わない?」
 便利な世の中だ。もちろん拒否できる。
 では、なぜしないのか? どうして?
 どこかで鳴っていた警鐘が耳の中で打ち鳴らされている。これ以上は聞いてはだめだ。そう聞こえるのに、思考も手も動かない。
「雪乃さんが俺を拒まないうちは諦めないよ」
「どうしてっ」
 思わず問い返した自分の声に驚いた。
 一瞬にしてまずいと焦る。
「どうしてって、決まってるでしょ。雪乃さんが好きだから」
 もう、ダメだ。
 心臓がこれ以上は無理だというくらい早く脈打っている。体温の上昇はそのせいだ。決して、木崎さんの言葉のせいじゃない。
「だから、雪乃さんもごまかさないで」
 何をと口にしかけて、初めてこちらから強制的に電話を切った。
 着信が怖くて電源も切って、うるさいままの心臓を抱えてベッドにもぐりこんだが、もちろん寝付けなかった。暗い部屋と静かな空気に、意識すまいとするのに勝手に思考は木崎さんの声を思い出し、その言葉を思い出す。
「どうしようぅ」
 何をどうしようなのか。そんな台詞ばかりが頭の中を回って、まともに眠れないまま朝が来た。
 重い頭を抱えて、とりあえず起きる。
 一応社会人であるため仕事は待っている。寝不足で頭が回るか大いに怪しいがそれでも何もしないよりはましだ。何かしていないと余計なことばかり考える。
 食欲はないため支度をして、テレビをつけニュースを見るが何も頭に入らない。これは早めだとしても会社に行ったほうがいい。そう判断して、いつものバッグを手にして携帯を拾う。
 電源を切ったままだ。このまま忘れたことにして会社に行こうかとも思ったが、それができれば苦労は無い。仕方なく電源を入れるその指が震えてる。
「重症だぁ」
 苦笑が洩れると同時に携帯が鳴った。
 一瞬だけ身構えたが、それはよく知った曲で、登録者は一人だけ。
「おはよう。香苗さん。どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ! 珍しく電話繋がらないから心配したじゃない」
 開口一番怒声が耳を打つ。
「ごめんなさい。電源切ってた」
「何かあったのね?」
「………」
 さすが、香苗さん。私の事はなんでも知っている。
「ゆーきーのー」
「なんでもないよ。大丈夫」
「何もなかったら電源まで切ったりしないわよ」
 私のことなのに断言までしてくれる。
 固定電話のない私と香苗さんをいつでも繋ぐものが携帯の存在だ。そして、それを私から断つことはほとんど無い。
「話せないなら無理には聞かないけど」
 とりあえず電源は入ったみたいだし。苦笑した声が安堵に聞こえ、間違いなく心配させたのだとわかる。
「あのね…」
 どうせ出勤までまだ時間がある。
 夕べの話をできる限り話した。
 
 私の話を聞き終えた香苗さんの一言はなんともストレートだった。
「馬鹿」
「香苗さん。もう少し柔らかく言って欲しいんですけど」
「何を言っているのよ。これ以上相応しい言葉はないわ。木崎さんすごくステキな人よ? それを一ヶ月近くもお断りしてただなんて。罰当たりにもほどがあるわ」
 なぜ、私が怒られなければならないのだろうか?
「香苗さんが私の番号教えたりしなければこんなことにはならなかったのに」
 グチグチ言うと、女王の声が耳元で低く笑う。
「雪ちゃん? 何か文句があって?」
「いいえ。ゴザイマセン」
 香苗さんとのそんなやり取りに、先ほどまであった重い気持ちが軽くなっていることに気がつく。
「それで、どうするの?」
「どうするのって……」
 もしかしたら終わったかもしれない。
 そう思ってズキリと胸が痛む。
「会わないの? いいえ、会うべきよ」
 いとも簡単にさらりと、あっさりと言ってくれる香苗さんに、少しだけ抗議してみる。
「でも香苗さん。一ヶ月も断り続けてるんだよ? それなのに、今さら会いたいなんて言えないよ」
「あら、会う気はあるのね?」
「いや。それは、なんていうか」
「いいじゃない。会ってはっきりさせなさい」
 しどろもどろな返事に、香苗さんはきっぱりと断言する。
「はっきりって?」
「あなたの気持ちよ」
 ――「だから、雪乃さんもごまかさないで」
 香苗さんの言葉に、木崎さんの声が重なる。
 それだけで、目頭が熱くなる。
「私の気持ちは…」
 もう、答えは出てるのかもしれない。それを木崎さんは知ってるのかもしれない。夕べの電話を思い出して呟くと、耳元で大きな声が現実に引き戻した。
「私に告白してどうするのよ! ほら、さっさと会社に行きなさい」
「え?」
 会社? と、時計を見るとすでに出勤時間。
「うわ! か、香苗さん、行ってきます!」
 驚いて、バックをひったくって玄関まで走る。鍵を開けてドアを閉めるのと同時に、香苗さんが笑いながら送り出してくれる。
「いってらっしゃい。幸せになるのよ」
 その声を聞いて反射的にパタンと携帯を閉じ、最後の言葉を反芻して思わず苦笑してしまった。
 香苗さんは私が木崎さんと会うことで幸せになると確信しているみたいだ。
「は〜。香苗さんには敵わないや」
 今日はこちらから連絡してみようか。きっと彼は驚くだろう。そう思うと自然に顔がほころぶのがわかる。
 どうやら私は確信犯の二人にしてやられたようだ。

END

novel top
甘い恋の欲求で5のお題・・・配布元「原生地」様
会いたいなんて言えないよ