番外編  契約魔の秘密の出会い
 主の命で見守っていた娘が一人になってしまった。
「まったく。あいつは何を考えているんだ」
 せっかく引き合わせてやったのに、どうやら全く気がついていないようだ。
 盗賊は予想外だったが、おそらくあいつが近道を通るのはわかっていたから、わざと足止めしてサティーナがついていくように仕向けたのに。
 ここは治安のいい街だが、それは人間の話であって魔種には関係ない。
 おそろしく見つけにくい体質を持った娘だけあって、やつらもまだ見つけられないことが幸いしているが、あいつも馬鹿じゃないからな。
「道に迷ったのか?」
 案内板を見ていた娘に声をかけると振り向いて停止した。
 じいっと俺を見上げてくる瞳はあの時と同じだ。
 この娘と初めて会ったのは確か彼女が五歳くらいのときだったか。
 
 
◇ ◇ ◇
 
 
 午後の陽気に街は人で溢れていた。
 今日はここターシア国の王の誕生日があるらしい。俺にはどうでもいいことだったが、俺の主はこの日をかなり前から待っていた。
「この辺でいいのか?」
 目の前を歩く五十がらみの男に声をかけるが振り返ることなく答えた。
「ああ、そうだ」
「それじゃ、俺はそのへん歩いてくる」
 主が立ち止まったので俺も立ち止まり見上げて告げた。
「何か用があったら呼べ」
「会わないのか?」
 俺の言葉に意外そうに目を丸くして尋ねてきた。その様子に苦笑が洩れる。
「ラジェンヌにはお前よりも会ってるからいい。察しろよ、ラーク。親子水入らずで話したいだろう?」
「…ああ。そうか。悪い」
 柔らかく笑うこいつの笑顔は好きだ。元の姿だったら間違いなく笑いかえしてやるが、今はそういうわけにはいかない。
「じゃあな。くれぐれも変な事件に首を突っ込むなよ。ここはお前の国じゃないんだからな」
 歩きながら一応忠告してやる。ここでは俺の力も全力では使えない。
「わかっている。ありがとう」
 後ろからかけられる主の言葉に尻尾を振って答える。
「さて、どうするかな」
 ここまでの道のりは少し遠かったが、今日を逃せばおそらく一生会えないだろう娘との再会だ。
「あれから十三年か」
 人として長いだろう年月を経ている。
 お互い会おうと思えば会えるだろうに、あの親子は決してそれをしなかった。
 理由は色々あるが、お互いの安全のためというのが最たる理由だろう。
 それが今回安全を確保しつつ会える絶好の機会が舞い込んで、珍しく主も嬉々としていた。
 しばらくぶりに主のはしゃぐ姿を見た気がして、俺も少なからず気分が浮いていた。
 人の足に踏まれないよう注意しつつこの街の中心に向かってみた。
 主の気配は契約者ということもありどこにいてもわかる。それが先ほどから一箇所にいて動かないところを見るとどうやら娘と会えたらしい。
 ラジェンヌも強い光を持っている人間だが、今日はそれを感じない。
「ハルミスが隠したか」
 世界最高の結界を張れる人間。ハルミス。彼らの張った結界を破れる魔種は限られている。
「またそれにしても、とんでもないやつと結婚したもんだ」
 どうやって出会ったのかは俺も知らない。知ったときにはもう子供がいた。
「あいつ孫には会わないのか?」
 孫くらい会ってやればいいのにと思わないでもないが、接触しないほうが孫のためにはいいんだろう。彼らはジュメルではなくハルミスだ。
「ここは変わらないな」
 目指した街の中心にあるのは円筒形の柱だ。四本ありその上にターシア国の守護獣とされている羽のある馬が乗っている。
 なんでも富と名声を運ぶとか。
 まあ、おそらくどう考えてもあれは魔種だと思うんだが、知らない人間のほうが多そうだ。
 特に興味を引かれるものもないし、主の用はいつ終わるかもわからない。
 日当たりがよく俺と同じ姿の生き物が気持ちよさそうに昼寝をしている。
 俺も便乗するか。
 気配を殺さないと彼らを驚かせることはわかりきっているので、気配を殺してはいるが勘のいいヤツはすぐに逃げ出すだろう。
 少しだけ距離をとって人間を見下ろせる位置まで行くことにするか。
 踏まれても嫌だしな。
 焼き菓子を作っている露天の屋根に飛躍し、布張りの屋根の上に横になる。
 尻尾だけ下に垂らしていると人間の子供が必死になって手を伸ばしてくる。
 ここは大人でもだいぶでかくないと届かないぞ。
 しばらくそんな子供たちをからかっているとふと声が聞こえた。
 いや、正確には声ではない。意思のようなものだ。ふわふわとした空気に微かに紛れている。
「ぎゃ!」
 気を取られ尻尾を思い切り引かれて声を上げてしまった。
「こら。チビすけ、屋根がたわむからどけ」
 どうやら子供の騒ぎに焼き菓子の店主が俺を下ろしにかかったらしい。
 店主は俺を地面に丁重に下ろす。投げ捨てられても平気だが、中々動物思いの人間のようだ。
 地面に下ろされた瞬間、子供が一気に駆け寄ってきた。
 逃げたほうが無難だろう。撫で回される趣味はない。それに先ほどの声も気になる。
 こっちが身軽なものだから子供に捕まることもなく、とりあえず静かな場所へと足を向けた。
 少し集中したい。
 だが、静かな場所へ向かうと声は聞こえなくなった。
「なんだ? いったい」
 声の聞こえる範囲があるのか? とりあえず先ほどの場所近くまで戻ってみた。
「お。聞こえる」
 やはり範囲があるようだ。それにしても微妙な気配だ。気にしなければ気がつかないが、気になるといやに気になってしょうがない。
 声が強くなるほうへ歩くと、いた。声の主が。
 聞こえてくるのは「怖い」と「助けて」。他は子供がよく口にするお約束「お母さん、お父さん」だが、育ちがいいのか様付けで呼んでいる。
 そう、声の主は子供だ。黒い髪を耳の上に括り、淡い青い色の服を身につけている。
「迷子か」
 花壇の縁に座りこんで下を向いて泣いているようだ。
 いや、泣いてはいない。必死で泣くのを押さえている。意思から感じるのは声を出してはいけないのだということ。
 強く惹かれ子供の足元へ座り込んだ。
「どうした?」
 声をかけると子供はひどく驚いたように目を丸くした。
「迷子になったのか?」
 しばらくじっと俺を見ていたが、やがてこくりと頷いた。
「ネコさんも迷子?」
 小さな声でそう問いかけてくる。先ほどの怖いは俺への興味へと移ったようだ。
「いや、俺は散歩だ」
「ネコさんどうしてしゃべってるの?」
「猫が話すとダメか?」
「ううん」
 俺の質問に首を横に振って即答した。
 この子供、赤い目をしている。ターシアではよくある赤茶色だ。
 声が聞こえたのはおそらく強い力があるからだろうが、それにしてはずいぶん光が弱い。いや、それよりも妙なものが見える。
「お前の親は赤い目をしているのか?」
 問いにはこくりと頷いた。
「もしかしたら、父親の名前はダンか?」
「ネコさん、おとうさま知ってるの?」
「そうか…お前」
 この子供の目の奥に封印が見える。それもかなり厳重だ。蓋と鍵は別の力で作られていることからそうとう厄介な力を封印している。
「……なるほど。声か」
 今はもう聞こえていないがおそらくあの気になる声を封じられているのだろう。
「ネコさん?」
 俺の呟きは聞こえなかったようだ。不思議そうに見つめてくる。
「俺は偉いからな。お前のお父様を見つけてやれるぞ」
「ほんとう?!」
 俺の言葉に顔を輝かせて詰め寄ってきた。
「ああ。案内しよう」
「ありがとう!」
 そういうと俺を抱きしめた。そうとう嬉しかったのか、あるいは相当困っていたのだろう、素直に心を表現する可愛い子だ。
「ほら、放さないと案内できないぞ」
「うん!」
 元気に頷き俺を解放するとすっくり立ち上がった。
「ちょっと待ってな…」
 目を閉じてやつの気配を探る。
 ハルミス・ダン。現在のポンシェルノの守護者。守っているのは水源だ。昔の人間は水守とも呼んでいたが、今では守護者という認識も一部の人間にしか知られていないようだ。
「時代ってやつかね」
 そんなことを知っている俺もそうとう古株になったもんだ。
「ネコさん?」
「ああ、わかった。こっちだ」
 ハルミスは独特の光を放つ。そう色はないはずなのに、赤い色を発しているように感じる。それを目指して歩けばいい。
「お父様と、お兄様と、お母様できたのか?」
 ハルミスの隣に小さいが同じ光が見える。
「うん、そうなの。ネコさんどうして知ってるの?」
「さあな。どうしてだろうな」
 後ろから返る質問に答える気はない。答えても混乱させるだけだし、余計な話はしないほうがいい。主に怒られるのも嫌だしな。
 それなのに、この子供俺の言葉から何を感じたのかこんなことを言ってきた。
「ネコさん、ましゅ?」
「魔種に見えるか?」
「ううん。ネコさん」
「それなら猫だろう」
「でも、ネコさんしゃべってるし、おとうさまを知ってる」
 小さな心に疑問が浮かんだようだ。
「なるほど。そうだな…伊達に赤い目はしてないか」
 俺の見たところ"灼石"ではない。が、血は争えないと言ったところか。ちゃんと真実を見抜いているようだ。
「さてさて、どうしたもんか」
 質問には答える気はないが、おそらく俺の正体が見えているのだろう。
 後ろを振り返り子供を見てみると、真剣な瞳で俺を見下ろしていた。
 この道を曲がるとハルミスがいる。あちらもこっちに気がついているだろう。
 立ち止まり見上げると子供はしゃがんで視線を近づけてきた。
「ネコさんお目目の色違うね」
「ああ。そうだな」
 俺の目は右が黒、左が青。
「とってもキレイ」
 にっこり微笑むその顔はどうやら疑問を忘れたようだ。
「気に入ったか?」
「うん」
「そうか。俺もお前の目は好きだぞ」
 真実を真直ぐに見つめる瞳。
 灼石ではないし、半端な赤目でもない。この目には力は備わってはいないが、俺を映しこむ瞳はとても綺麗だ。
 ふと後ろから視線を感じた。
「あ! おとうさま!!」
 俺の背後に視線をやるとぱっと顔が輝いた。立ち上がりそのまま走り出してぴたりと足を止めた。
 どうしたのかと思ったら俺の目の前にまたしゃがみこんだ。
「ネコさん。ありがとう。私サナ。サティーナっていうの」
 どうやらお礼が言いたかっただけらしい。親の躾がいいのか、律儀な性格なのか笑いが洩れた。
「俺はザーダナスアージだ」
 長い名前を一度には覚えられないだろう。わざと早口で確信犯で教えた。
「ざー?」
「ザードだ」
「ザード。ありがとう」
 もう一度礼をいうと今度こそ走って父親の元へ去っていった。
 その父親に恐ろしく剣呑な目で睨まれたが教えてしまったものは仕方がない。
「契約はしてないから安心しろ」
 聞こえたかどうかは知らないが、とりあえず言っておく。
 ハルミスならわかるだろう。
「さて、面白いのに会ったな」
 そう、興味を惹かれれば俺の契約者候補だ。
 今の主に会ったときも同じような面白さを感じた。
 その主がどうやら動き出したようだ。
「お? もういいのか」
 もう少しあの子供、サティーナを見てみたいと思ったが、まあ、父親が怖いし今回はこれで退散するか。
「ラークには黙っていよう」
 名を教えたことはもちろん、会ったことも言わないほうが面白いし。
 主が会えなかった孫に会ったなどと言えば気分を害して後々大変だからな。
 やつの秘書が。
 
 
◇ ◇ ◇
 
 
「…知っているんですね。全部」
 成長とともに曇ることの多い瞳はこの娘には限って言えば例外だった。
 強く、真直ぐ、俺の瞳を見据えて真実を言い当てる。
「いい目だな。お前は間違いなく"ハルミスの子"だ」
 どうやら俺を覚えていないようだが、あの時はこの姿ではなかったから仕方がないか。
 おそらく今自分に何が起きているかも知らない。それでもここまで危険を冒してきたのは、見えていない真実が見えているのだろう。
 あの時からある封印の上に、封印ではないが戒めのような意思が蓋をしていることに少なからず脱帽した。
 どうやら俺から話を聞きたいようだが、その時間は無い。
 店の入り口へ注意を向けると待ち人が軽く息を整えやってきた。
「…アキード?」
「ここだ」
 俺が呼びかけると驚いたようだ。
「どうしてお前がここに?」
「お前はどうしてここにいない?」
 まったく、お前には危機感がないのかと文句をつけたいくらいだ。
「悪かった。まさかサティーナがそうだとは思わなかったんだ」
 どうやら今は全てを理解しているようだ。まあ、街にあれだけ間者がいればこの男のことだ気づくだろう。それに…。
「まあ、仕方ないか。あの小僧にはわからなかっただろうしな。さて、俺は行くぞ。なにやらきな臭い」
 そう言ってやると真剣な表情で頷いた。
 こいつも真実を見抜く目を持っている。あの小僧がいなければ契約者候補にいれるんだがな。
「じゃあな、サナ。気をつけるんだぞ」
 父親似の黒髪に触れると少し驚いたように俺を見上げた。
「さて、いつ気づくかな」
 おそらく今日は主に質問攻めにあうだろうと予測できる。あの時の出会いを話してやってもいいが、まだ黙っていよう。
 真実を見る瞳にあの時の出会いが思い出されるのを期待しつつ、主の元へ戻った。